宮崎神宮大祭(神武大祭)
▶ in 宮崎観光関連01 posted 2007.10.29 Monday / 00:18
宮崎神宮「神武さま」の愛称で親しまれている秋の風物詩ともなった宮崎神宮大祭の御神幸行列・御神賑行列が宮崎市の宮崎神宮より同、瀬頭御旅所までの区間(約4Km)で27日(土)(往路)28日(日)(復路)両日行われました。
宮崎日日新聞の10月26日付、神武さま特集記事によると
引用:「宮崎神宮によると、神武大祭は宮崎の人々の暮らしと発展を神武さまに見ていただこうと例大祭後に境内や神宮周辺をみこしが練り歩いたのが始まりで、明示42年(1909)に神武天皇の魂が乗る御鳳輦(ごほうれん)が新調されたのを機に御神幸行列と神賑行列が中心市街地を練り歩く現在のスタイルとなったという。/」引用終わり
この祭りが来ると、例年宮崎も本格的な秋の到来を感じるわけではありますが・・
いやぁ・・今年はほんと暑いこと、暑いこと、見学はTシャツ一枚でした。
最高気温28℃くらいありましたし、きっと行列の方も暑い思いをしたのではと?と。

拡大画像、もっと大きい画像にしたいのですが一般の方の肖像権が・・
例年のように、獅子舞を先頭に、御神幸行列は始まり、流鏑馬(やぶさめ)武者、黄色い装束の担ぎ手たちによる御鳳輦(ごほうれん)、着飾った稚児達、流鏑馬行列、こども太鼓に続き、御神賑行列のシャンシャン馬、古代船おきよ丸、日向木剣踊り、商工太鼓隊等々が練り歩いた訳ですが、今年は復路に都城市山之口町に伝わる身の丈4メートルの巨人人形「山之口弥五郎どん」も参加しました。
神武さまの行列で一番最初に連想するものと言えば・・やはり御神賑行列の華とも言える「シャンシャン馬」ではないでしょうか。
シャンシャン馬のお嫁さん役は各協賛企業から選ばれており、今年は宮崎銀行・太陽銀行・山形屋・宮崎放送・雲海酒造・宮崎空港ビルの社員の方の中から選ばれた6名の方が花嫁となっておりました。

この団扇みたいなの、見る側からはちょっと邪魔だったりする(^^;)
何枚か写真を撮りましたが・・私が撮影した中ではこの方(太陽銀行の方)の表情+「手」が良かったので掲載させていただきました。
そういえば、白馬ってあまり見た記憶もなかったうような・・・

一応祭りに参加されていて、ミスシャンシャン馬の方たちは新聞等にもプロフィール公開されているので、この程度の写真掲載は問題ないと判断して掲載しておりますが、不都合等ありましたら削除させていただきます。
シャンシャン馬の解説
「みやざきのうたと芸能」を参考に記載
この辺りでは大正の初め頃まで新婚夫婦が宮参りをする風習があり、夫婦は農閑期を利用し、鵜戸神宮へと出掛けた。
初日は宮崎から内海(道の駅フェニックスの少し南側)まで歩き、港の宿に1泊。
翌日はサボテンハーブ園(閉園)のあった場所の裏の旧道をたどり、鵜戸神宮境内の宿房に1泊。
3日目は再び七浦七峠を回って内海の宿に戻り、馬をひいて出迎えに来た親類縁者と、打ち上げを兼ねての宴席、というのがおおかたの日程であったそうです。
そして次の朝、晴れ着に着替えた花嫁を飾り立てた馬に乗せ、花婿が手綱を取ってわが家へと向かった。
馬の首に掛けた鈴の音が「シャン♪シャン♪」と鳴った事から「シャンシャン馬」と名づけられたとも言われている。
シャンシャン馬の風習は、日南市の駒宮神社が発祥地とされている。
神武大祭でのシャンシャン馬、かつて花嫁役は県内の各市から代表者が選ばれており、当時、市の代表に選ばれるのは大変名誉な事だったと母が申しておりました。
宮崎日日新聞の10月26日付、神武さま特集記事によると
引用:「宮崎神宮によると、神武大祭は宮崎の人々の暮らしと発展を神武さまに見ていただこうと例大祭後に境内や神宮周辺をみこしが練り歩いたのが始まりで、明示42年(1909)に神武天皇の魂が乗る御鳳輦(ごほうれん)が新調されたのを機に御神幸行列と神賑行列が中心市街地を練り歩く現在のスタイルとなったという。/」引用終わり
この祭りが来ると、例年宮崎も本格的な秋の到来を感じるわけではありますが・・
いやぁ・・今年はほんと暑いこと、暑いこと、見学はTシャツ一枚でした。
最高気温28℃くらいありましたし、きっと行列の方も暑い思いをしたのではと?と。

拡大画像、もっと大きい画像にしたいのですが一般の方の肖像権が・・
例年のように、獅子舞を先頭に、御神幸行列は始まり、流鏑馬(やぶさめ)武者、黄色い装束の担ぎ手たちによる御鳳輦(ごほうれん)、着飾った稚児達、流鏑馬行列、こども太鼓に続き、御神賑行列のシャンシャン馬、古代船おきよ丸、日向木剣踊り、商工太鼓隊等々が練り歩いた訳ですが、今年は復路に都城市山之口町に伝わる身の丈4メートルの巨人人形「山之口弥五郎どん」も参加しました。
神武さまの行列で一番最初に連想するものと言えば・・やはり御神賑行列の華とも言える「シャンシャン馬」ではないでしょうか。
シャンシャン馬のお嫁さん役は各協賛企業から選ばれており、今年は宮崎銀行・太陽銀行・山形屋・宮崎放送・雲海酒造・宮崎空港ビルの社員の方の中から選ばれた6名の方が花嫁となっておりました。

この団扇みたいなの、見る側からはちょっと邪魔だったりする(^^;)
何枚か写真を撮りましたが・・私が撮影した中ではこの方(太陽銀行の方)の表情+「手」が良かったので掲載させていただきました。
そういえば、白馬ってあまり見た記憶もなかったうような・・・

一応祭りに参加されていて、ミスシャンシャン馬の方たちは新聞等にもプロフィール公開されているので、この程度の写真掲載は問題ないと判断して掲載しておりますが、不都合等ありましたら削除させていただきます。
シャンシャン馬の解説
「みやざきのうたと芸能」を参考に記載
この辺りでは大正の初め頃まで新婚夫婦が宮参りをする風習があり、夫婦は農閑期を利用し、鵜戸神宮へと出掛けた。
初日は宮崎から内海(道の駅フェニックスの少し南側)まで歩き、港の宿に1泊。
翌日はサボテンハーブ園(閉園)のあった場所の裏の旧道をたどり、鵜戸神宮境内の宿房に1泊。
3日目は再び七浦七峠を回って内海の宿に戻り、馬をひいて出迎えに来た親類縁者と、打ち上げを兼ねての宴席、というのがおおかたの日程であったそうです。
そして次の朝、晴れ着に着替えた花嫁を飾り立てた馬に乗せ、花婿が手綱を取ってわが家へと向かった。
馬の首に掛けた鈴の音が「シャン♪シャン♪」と鳴った事から「シャンシャン馬」と名づけられたとも言われている。
シャンシャン馬の風習は、日南市の駒宮神社が発祥地とされている。
神武大祭でのシャンシャン馬、かつて花嫁役は県内の各市から代表者が選ばれており、当時、市の代表に選ばれるのは大変名誉な事だったと母が申しておりました。