中之又神楽|宮崎県木城町

▶ in 神楽好き(カグラー) posted 2012.12.11 Tuesday / 07:49

【追記】 大変遅くなりましたが、平成24年撮影の神楽の写真ページ作成しました。   → 中之又鎮守神社 奉納 中之又神楽

【追記】 平成25年の中之又鎮守神社の大祭(夜神楽)は12月14日†です。
下記ページにも少し画像を掲載しました。
http://kojiki.gozaru.jp/sub/032.htm  追記おわり



先日、木城町の中之又鎮守神社大祭で奉納される「中之又神楽」(夜神楽)を見学して来ました。
中之又神楽は500年以上の歴史があり、町指定民族文化財です。

今回、ブログ掲載写真では、拡大画像は数枚のみ挿入。
後日作成するWebページでは、すべて1280pix幅の拡大写真を挿入予定ですが・・
・・ 1年以上・・ 遅れております(--;)

宮崎県木城町中之又地区のこと・・・

中之又地区は、宮崎県木城町の奧山に位置する緑に囲まれた小さな集落です。
2011年現在、32世帯57人が住んでいます。
中之又地区は昭和30年代は、林業、鉱山なども栄え、小学校の生徒数も100名を超えていたと聞きます。
産業の衰退と共に、やがて過疎化は進み、平成になると生徒数も10人以下となり、山村留学を積極的に受け入れておりましたが、残念ながら、平成21年3月、最後の卒業生を送り出して、小学校は閉校されました。

私と中之又神楽との出会い・・・

「中之又神楽」は、数年前でしたでしょうか、地元のテレビ番組で、中之又小学校の山村留学ことや、その山村留学中に、神楽を学んだ山村留学生OB/OGが毎年、日向市や宮崎市から神楽に戻って来て、舞い手を担っていることを知り、神楽の夜「是非ともそこに居てみたい」、又、当サイトでも紹介し、微力ながら、中之又神楽を盛り上げたいと、前々から思っておりました。

・・・星と星とが 讃嘆しあうように・・・


中之又神楽へ向かう道には星  
[中之又地区へ向かう道路には☆案内]

かつて、武者小路実篤は、ここ中之又地区から車で30分位の木城町石内内に「新しき村」を築きました。
道案内に付けられた、道沿いの多くの星☆は、以下の武者小路実篤の詩からなのでしょうか・・・。

 君も美しい 僕も美しい
 僕も美しい 君も美しい
 美しいものだらけの世界
 山と山とが  讃嘆しあうように
 星と星とが  讃嘆しあうように
 人間と人間が 讃嘆しあいたいものだ

中之又神楽  



[神社にお参り・・地区のお子様でしょうか・・]

中ノ野又神楽
[神事]




中之又神楽  
[神楽前の神輿入れの神事]

中之又神楽  
[山村留学OG達による浦安の舞]



続きを読む>>

中之又神楽|宮崎県木城町

▶ in 神楽好き(カグラー) posted 2012.12.11 Tuesday / 07:49

【追記】 大変遅くなりましたが、平成24年撮影の神楽の写真ページ作成しました。   → 中之又鎮守神社 奉納 中之又神楽

【追記】 平成25年の中之又鎮守神社の大祭(夜神楽)は12月14日†です。
下記ページにも少し画像を掲載しました。
http://kojiki.gozaru.jp/sub/032.htm  追記おわり



先日、木城町の中之又鎮守神社大祭で奉納される「中之又神楽」(夜神楽)を見学して来ました。
中之又神楽は500年以上の歴史があり、町指定民族文化財です。

今回、ブログ掲載写真では、拡大画像は数枚のみ挿入。
後日作成するWebページでは、すべて1280pix幅の拡大写真を挿入予定ですが・・
・・ 1年以上・・ 遅れております(--;)

宮崎県木城町中之又地区のこと・・・

中之又地区は、宮崎県木城町の奧山に位置する緑に囲まれた小さな集落です。
2011年現在、32世帯57人が住んでいます。
中之又地区は昭和30年代は、林業、鉱山なども栄え、小学校の生徒数も100名を超えていたと聞きます。
産業の衰退と共に、やがて過疎化は進み、平成になると生徒数も10人以下となり、山村留学を積極的に受け入れておりましたが、残念ながら、平成21年3月、最後の卒業生を送り出して、小学校は閉校されました。

私と中之又神楽との出会い・・・

「中之又神楽」は、数年前でしたでしょうか、地元のテレビ番組で、中之又小学校の山村留学ことや、その山村留学中に、神楽を学んだ山村留学生OB/OGが毎年、日向市や宮崎市から神楽に戻って来て、舞い手を担っていることを知り、神楽の夜「是非ともそこに居てみたい」、又、当サイトでも紹介し、微力ながら、中之又神楽を盛り上げたいと、前々から思っておりました。

・・・星と星とが 讃嘆しあうように・・・


中之又神楽へ向かう道には星  
[中之又地区へ向かう道路には☆案内]

かつて、武者小路実篤は、ここ中之又地区から車で30分位の木城町石内内に「新しき村」を築きました。
道案内に付けられた、道沿いの多くの星☆は、以下の武者小路実篤の詩からなのでしょうか・・・。

 君も美しい 僕も美しい
 僕も美しい 君も美しい
 美しいものだらけの世界
 山と山とが  讃嘆しあうように
 星と星とが  讃嘆しあうように
 人間と人間が 讃嘆しあいたいものだ

中之又神楽  



[神社にお参り・・地区のお子様でしょうか・・]

中ノ野又神楽
[神事]




中之又神楽  
[神楽前の神輿入れの神事]

中之又神楽  
[山村留学OG達による浦安の舞]



続きを読む>>

銀鏡神社大祭・銀鏡神楽(国指定重要民俗文化財 米良神楽)

▶ in 神楽好き(カグラー) posted 2011.12.16 Friday / 21:03

今年も、西都市、銀鏡神社(しろみ神社)の大祭で、銀鏡神楽(しろみ神楽)が奉納されました。
毎年、遠路、関東・関西方面からいらっしゃる方も多く、今年も、多くの方がいらして賑わっておりました。
少しだけですが、写真で紹介します。

宮崎の神楽と言いますと、まず、「高千穂の夜神楽」を連想される方も多いと思いますが、宮崎県下には、多くの夜神楽や昼神楽が伝承されていおります。
銀鏡神楽は、登録呼称「米良神楽」として、高千穂の夜神楽よりも先に、1977年(昭和52年)5月、宮崎県下では一番先に、国の重要民俗文化財の指定を受けた神楽です。
県下で国の民俗文化財に指定された神楽には、椎葉神楽、高千穂の夜神楽、高原の神舞(祓川神楽・狭野神楽)がありますが、いずれも複数の神楽の総称での指定ですが、「米良神楽」は銀鏡神楽を指します。

銀鏡神楽は12月12日より始まる、銀鏡神社大祭の際に舞われ、夜神楽は12月14日†15日に行われます。

12月14日の神楽は周辺の神社、つまり、宿神社、六社稲荷社、手力男社、若男社、七社稲荷社から神々を迎える「神迎え」(「面さま迎え」とも呼ばれる)の儀式で始まります。

神迎え

平成23年 銀鏡神楽 01

鵜戸神楽、第六番、鵜戸鬼神は鵜戸神宮に関するもの。記録によると、鵜戸神宮(当時:鵜戸山道場)の別当を務めた浜砂淡路守重賢が鵜戸で習得した神楽を銀鏡に帰郷して伝えたとされている。

平成23年 銀鏡神楽 02
[鵜戸鬼神]


西之宮大明神
銀鏡では神楽面そのものが神様として考えられており、神楽番付の前半では、この神々が次々に降臨します。(降居(おりい)と称しています。)これら神々の舞は、神主や宮司によって舞われる厳粛なものであり、鎮守社や摂社の神々が登場するのは米良系神楽の特徴です。
 
平成23年 銀鏡神楽 03
[西之宮大明神]



続きを読む>>

銀鏡神社大祭・銀鏡神楽(国指定重要民俗文化財 米良神楽)

▶ in 神楽好き(カグラー) posted 2011.12.16 Friday / 21:03

今年も、西都市、銀鏡神社(しろみ神社)の大祭で、銀鏡神楽(しろみ神楽)が奉納されました。
毎年、遠路、関東・関西方面からいらっしゃる方も多く、今年も、多くの方がいらして賑わっておりました。
少しだけですが、写真で紹介します。

宮崎の神楽と言いますと、まず、「高千穂の夜神楽」を連想される方も多いと思いますが、宮崎県下には、多くの夜神楽や昼神楽が伝承されていおります。
銀鏡神楽は、登録呼称「米良神楽」として、高千穂の夜神楽よりも先に、1977年(昭和52年)5月、宮崎県下では一番先に、国の重要民俗文化財の指定を受けた神楽です。
県下で国の民俗文化財に指定された神楽には、椎葉神楽、高千穂の夜神楽、高原の神舞(祓川神楽・狭野神楽)がありますが、いずれも複数の神楽の総称での指定ですが、「米良神楽」は銀鏡神楽を指します。

銀鏡神楽は12月12日より始まる、銀鏡神社大祭の際に舞われ、夜神楽は12月14日†15日に行われます。

12月14日の神楽は周辺の神社、つまり、宿神社、六社稲荷社、手力男社、若男社、七社稲荷社から神々を迎える「神迎え」(「面さま迎え」とも呼ばれる)の儀式で始まります。

神迎え

平成23年 銀鏡神楽 01

鵜戸神楽、第六番、鵜戸鬼神は鵜戸神宮に関するもの。記録によると、鵜戸神宮(当時:鵜戸山道場)の別当を務めた浜砂淡路守重賢が鵜戸で習得した神楽を銀鏡に帰郷して伝えたとされている。

平成23年 銀鏡神楽 02
[鵜戸鬼神]


西之宮大明神
銀鏡では神楽面そのものが神様として考えられており、神楽番付の前半では、この神々が次々に降臨します。(降居(おりい)と称しています。)これら神々の舞は、神主や宮司によって舞われる厳粛なものであり、鎮守社や摂社の神々が登場するのは米良系神楽の特徴です。
 
平成23年 銀鏡神楽 03
[西之宮大明神]



続きを読む>>

祓川神楽 (国指定・高原の神舞)

▶ in 神楽好き(カグラー) posted 2010.12.13 Monday / 18:22

霧島の峯より奥の霧はれて現われ出ずる其の峯の守

12月第二土曜日†日曜日朝(今年は11日夕†12日朝)にかけ、宮崎県西諸県郡高原町の、祓川(はらいがわ)神楽、を見学して来ました。
高原町は、霧島山の東麓に位置、 高原町のWebPage によると“祓川神楽は霧島東神社(旧名;霧島山東御在所両所権現社)の社家の年中行事の一つとして、祓川の集落に伝えられており、以前は旧暦の11月16日の夕刻から翌朝にかけて、神楽宿とした民家の庭先に御講屋を設置して行われておりましたが、現在は12月第2土曜日に、祓川神楽殿前の広場で行われている”との事で、神楽は約400年ほど前から行われていると推定されているとの事。
祓川神楽(高原の神舞) 剣

霧島東麗地域の「神舞(かんめ)」

霧島周辺では本来、「神楽」では無く、「神舞(かんめ)」(地元では「神事(かんごっ)とも」と称しますが、現在は、世間一般的に知られた名称として、分かりやすく「神楽」とも並称しているようです。

今回、初めての“霧島神舞”見学でして、事前に現地情報を収集すべく、Webを検索すると、近年、祓川神楽は神楽殿内での奉納で、神楽殿内もしくは開け放された外から見学が多いように見受けられました。
今年は、国指定ともなった、記念すべき年でもありますし、おそらく、TVカメラも入ると思うので、外に注連・御講庭(御講屋)が期待出来るかも?と、実は勝手に想像(妄想?)しておりました。
写真撮るのにも、明かり、寒さなど撮影条件は過酷ですけど、絶対外の方が、雰囲気もあっていいよなぁ†と願いつつ・・・酒屋で御神前の焼酎を購入の上、現地へ。

 おお! なんと、御講庭が外にあるではありませんか。

神楽は、“舞”以外に、こういったそれぞれの神楽に伝わる注連、御講庭(御講屋)の仕立て方、しきたり等を見学するのも、一つの楽しみであります。

今回、初めての祓川神楽で天気にも恵まれ、屋外での奉納を見る事が出来たのは、私の普段の行いの良さから来たものに間違いないです、ハイ(笑)
と・・いうのは冗談でして、室内と違い、外となると天候の心配やら、準備モロモロ、関係者の方はいろんな意味で大変とは思いますが、神楽好き(カグラー)な私としては、なんとか毎年、こうやって外でやっていただければという願いです。


続きを読む>>

Photo Miyazakiメインページへ戻る

PAGE TOP