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みやざき観光文化検定三級

▶ in 宮崎観光関連Part2 posted 2008.02.16 Saturday / 14:13

アーカイブ ひむかブログ OLD2
ご覧の記事は、2007年〜2013年頃に書いたブログ記事です。
「忘れられる権利」の観点より、コメント欄は全て非表示にしました。
記事中のリンク切れもあろうかと思われます。ご了承を・・。
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みやざき観光・文化検定三級」の試験が明日(2月17日)宮崎市内にて行われます。
宮崎商工会議所の発表(2月8日付)によると、受験予定者は1321人(男性855人、女性466人)とか。年齢等では、30代の364人を最多に最高齢は79歳、最年少は10歳、県外からも43人が受験予定との事。

会社単位(県職員含む)の申し込みが12件(672人で受験予定者の約半数)、当初目標の受験者総数1000人をなんとか上回ったようです。
受験者数が少なく企画倒れになった検定もあると聞きます、主催の商工会をはじめ、関係者の方もまずは一安心ってところでしょうか。

会社の中で最も多い254人の社員が受験するのは宮崎交通グループ(宮崎市)、宮崎交通グループは公式テキスト代、受検料を会社負担で賄うそうです。(良いですね†羨ましい限りです。)
宮崎交通は県内でもおそらく一番宮崎の交通、観光に係わる企業ですから、社員教育の一環、受験は当然と言えば当然でしょうね。

1月の時点で、東国原知事もみやざき観光・文化検定を受験されるような事を地元新聞記事で目にしましたが、当日、東国原知事はテレビ収録等で終日東京のようです(^^)
知事は「東京マラソン」を走るという記事もありました。

 大宰府天満宮 飛び梅 02





撮影した写真など・・・作者のPR(^^)
Youtube MORIMORI



 太宰府天満宮 飛び梅 07

 太宰府天満宮 飛び梅09

 写真は宮崎県とはまったく関係ありませんが、丁度梅の季節、そして受験の話題という事で学問の神様・菅原道真公にあやかろうって事で「太宰府天満宮」 、そこにある飛梅(とびうめ)の写真です。

以下は菅原道真公が京より太宰府に下るとき、京の紅梅殿の梅に別れを惜しみ、詠んだものだそうです。

 東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花
   あるじなしとて 春な忘れそ
 菅原道真

「春になり東(京都)の風が吹いたら、においを送ってきなさい梅の花。
 主人の私がいなくとも、春を忘れてはいけない。」という意味だそうです。

この数年後に、菅原道真公は大宰府で亡くなりますが、主の死を知った京の梅が、一晩のうちに空を飛んで大宰府に来て花を咲かせたというのが、この「飛び梅」の伝説です。

「太宰府天満宮」拝殿の右に鎮座するこの「飛梅」は現在では?紅梅ではなく白い梅です。

学問の神様・菅原道真公の話題にあやかり、明日は「みやざき観光・文化検定三級」受験者が合格となりますよう!! 

追記 2月17日 ------------------------------

みやざき観光文化検定 3級 第1回 問題と回答


今回出題された問題の概要と[回答]P**は公式テキスト掲載ページです。
回答は私が調べて書いたものですのでもしかすると間違っているものもあるかも知れません、ご指摘をお願いします。
問題は宮崎県の神話や自然、観光、生活文化など8分野から出題されました。

  • 【1】現在の宮崎県の行政区画は9市18町[3村] P2

  • 【2】現在の宮崎県の人口はおよそ[115万人] P2

  • 【3】記紀(古事記・日本書記)編纂の命を与えたとされる天皇は[天武天皇]P15

  • 【4】日向神話にいう日向3代(神武天皇含め4代)はニニギノミコト[ヒホホデミノミコト(ホオリノミコト・山幸彦)]ウガヤフキアエズノミコト P15

  • 【5】「岩戸開き」の際に岩戸の前で舞ったとされるのは[アメノウズメノミコト]P16

  • 【6】神武天皇が東征の為出港したとされる場所は、美々津[現在の日向市]P21

  • 【7】鵜戸神宮には[トヨタマヒメ]が残したと言われる「お乳岩」がある。 P20

  • 【8】古墳時代における本件の出土品中、唯一の国宝は[金銅馬具類(百塚古墳群出土)]P37

  • 【9】[西都原古墳群]の中心部分は全国にさきがけて史跡公園「風土記の丘」第一号に指定された。P36

  • 【10】1578年(天正6年)の高城・耳川の合戦は豊後の[大伴宗麟]と島津氏の争った合戦。 P43

  • 【11】幕末の頃佐土原藩を治めていたのは島津氏。[米良氏ではない] P48

  • 【12】ポーツマツ条約を締結した小村寿太郎が学んだ藩校は飫肥藩校[振徳堂]P161

  • 【13】1918年(大正7年)現在の木城町に「新しき村」を建設したのは[武者小路実篤]P104

  • 【14】1932年(昭和7年)に竣工された県庁舎はその重圧な[ゴシック]風建築である。P56

  • 【15】1974年(昭和49年)に宮崎市に宿泊した新婚客は37万184組 これは全国の婚姻数の[37%]にあたる。P61

  • 【16】正式名称を隆起海床と奇形波蝕痕と呼ぶ、青島の周囲や日南海岸に見られる独特の模様をした岩は[鬼の洗濯板]と呼ばれる。P82

  • 【17】椎葉村を原流域として高鍋町から日向灘に注ぐ1級河川で全長73Km、流域面積474Km2の川は[小丸川]P79

  • 【18】日豊海岸国定公園に属する無人島で、門川町の東方海上約7kmに位置する島は[枇榔島]P81

  • 【19】日向市は金ヶ浜、お倉ヶ浜、御鉾ヶ浦等の海水浴場があるが[熊野江]は延岡市となる。P106

  • 【20】キジに似た褐色の鳥で1964年(昭和39年)には県鳥に制定され、九州南部、県内では主に西米良村以南に生息している鳥は[コシジロヤマドリ]である。P83

  • 【21】宮崎県と大分県の県境にある山岳地帯には傾山、大崩山、行縢山、標高の一番高い[祖母山]等がある。P73

  • 【22】上椎葉椎原、十根川神社には樹高約55m、根元周囲19m、幹囲13.3m。1935(昭和10年)国の天然記念物に指定されている[八村スギ]がある。P88

  • 【23】1981年(昭和56年)に開館した宮崎県で最初の公立美術館は[都城市立美術館]P105

  • 【24】唯一の写真を見ての問題、写真は堀切峠付近にある[道の駅フェニックス]

  • 【25】矢岳高原の登り口にある県内最古の温泉郷で、1554年(天文23年)頃に霧島の大爆発による地殻変動により噴出したと言われる温泉は[吉田温泉]P112

  • 【26】椎葉村に残る代表的な民家は那須家住宅と言われている、1956年(昭和31年)に国の重要文化財に指定されたこの民家は通称[鶴富屋敷]と呼ばれている。P95

  • 【27】宮崎県総合運動公園には木の花ドーム(屋内練習施設)、サンマリンスタジアム宮崎、日向景修園(日本庭園)等があるが[はんぴドーム]は生目の杜運動公園。P99

  • 【28】延岡城西の丸には安土桃山時代から江戸時代までの天下一の称号があたえられた作家の手による能面が多数所管されている[内籐記念館]がある。P102

  • 【29】綾町にある綾城は別名[竜尾城]と呼ばれている。P102

  • 【30】西都市東米良で12月14日の前夜祭から15日の午前中にかけて奉納される神楽は[銀鏡(しろみ)神楽]P122

  • 【31】八朔の日(旧暦8月1日)、一ツ瀬川原で奉納される五穀豊穣厄払い雨乞いなどを祈願する踊りは[下水流臼太鼓踊]P127

  • 【32】田代神社(美郷町)の祭りで、毎年7月の第一日曜日に行われる牛や馬、御輿を神田に入れる祭りは[御田祭(オンダサイ)]P126

  • 【33】神武天皇を祭神とし毎年10月26日に例大祭が行われる祭りは[宮崎神宮大祭]P128

  • 【34】馬頭観音を祭る三股町の神社に古くから伝わる祭りで母智丘の大祭とともに都城北諸県地方の2大祭りと言われる祭りは[早馬祭り]P130

  • 【35】応神天皇と平景清が祭神で旧暦の1月15日から3日間にわたって行われる祭りは[生目神社大祭]P127

  • 【36】宮崎県で産する鶏肉で東国原知事の誕生にともなって一躍人気を集めている特産品の商標は[みやざき地頭鶏(ジトッコ)]P142

  • 【37】小林市出身で「棉花記」などの作品があり、第一回上海文学賞を受賞した詩人は[黒木清次]P167

  • 【38】「宮崎県観光の父」といわれ、宮崎市街自動車(宮崎交通の全身)を創立した人は[岩切章太郎]P163

  • 【39】「成せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」の名言が有名で、高鍋藩の秋月家に生まれ、米沢藩第10代藩主となったのは[上杉鷹山]P159

  • 【40】井手正太郎や木村拓也など、宮崎県出身者が活躍するスポーツは[野球]P171

  • 【41】宮崎県内で飼育されている黒毛和種のうち、日本食肉格付協会が定める肉質の基準が4等級以上のものは[宮崎牛]と呼ばれる。P141

  • 【42】「たまたま」というオリジナルブランド名がついた宮崎の特産品は[完熟きんかん]P145

  • 【43】江戸時代末期に始まり、うるち米でつくった材料であんを包んで作る国富町のお菓子は[白玉饅頭]P151

  • 【44】2007年2月1日現在の統計によると宮崎県は[ブロイラー]の生産量シェア日本一。P142

  • 【45】イワシ、アジ、サバを網具で包囲し、その逃路を断ち次第に包囲形を縮小して採捕する漁法を[巻き網漁法]という。P186

  • 【46】芋、麦、ソバ、米などを主原料とする焼酎の分類名は[乙類焼酎]P188

  • 【47】宮崎県で合せ味噌といえば米味噌に[麦味噌]を混ぜ合わせたものをいう。P189

  • 【48】[細島港]は宮崎県重要港の一つで県北地区の旭化成を中心とする産業都市を控えて工業港的な役割を果たしている。P202

  • 【49】宮崎県内の幹線である日豊(本)線は[鹿児島駅と小倉駅]を結んでいる鉄道 P197

  • 【50】西都†高鍋間や門川†日向間等で工事が進められている高速道路は[東九州自動車道]P200


以上

  みやざき観光文化検定解答

気になったこと
49の問題は、日豊本線ではなく日豊線で出題されておりました。
公式テキストでは日豊本線となっているのですが・・問題ではあえて本線を削除したのには何か意図があるのだろうか・・・?

もしかして本が付くのと付かないので区間とかが変わる???
受験者の方が、その辺りで混乱していなければ良いのですが・・。

[追記] 後で確認したところ商工会のサイトに受験対策セミナーの際に出題された練習問題に類似したものがあった。
その問題を引用すると。
【第10問】 北九州市の小倉駅から大分駅、宮崎駅を経由し鹿児島駅までを結ぶJR九州の幹線はどれか。
1,鹿児島本線 2,日豊本線 3,豊肥本線 4,長崎本線

 この練習問題でも「日報本線」となっている。

すべて4択の問題なのですが、殆んどの問題は質問と回答を良く見れば実質2択でして・・
宮崎にお住いの方なら何度かテキストに目を通しておけば合格ラインの70点はそう難しくないとは思いました。
“そのあたりを狙った?”出題者の苦労の跡が覗われます。

合格発表は、来月14日とか・・
自己採点だと当方は90点でした・・
70点以上は合格なので合格はするとは思いますが・・
観光関連を紹介するWebを開設しておる手前・・満点を目指したのですが・・
なんともお恥ずかしい結果でございました。
覚えたつもりが忘れてる・・
歳と共に脳みそのしわは確実に減っている事を実感(^^;)

これから1年間じっくり勉強して、来年?あるであるであろう?宮崎観光文化検定2級にも是非挑戦してみたいと思っております。
・・とか書きながら・・またまた来年も一夜漬けなんだろうな(汗;)

報道によると今回受験された方は11歳†80歳の約1300人との事。

>1578年(天正6年)の高城・耳川の合戦は豊後の[大伴宗麟]と島津氏の争った合戦。 P43

「高城・耳川の合戦」はおそらく出題されると思い、「以後名(1578)はムネリン(宗麟)」で覚えた私って・・(笑)

*ムネリンはホークスの川崎選手のニックネームです。

ブログ記事に追記したもの→宮崎観光文化検定三級問題と解答
公式サイトでの解答→宮崎商工会議所ページ
過去に書いた関連記事→宮崎観光文化検定
その後書いた関連記事→「みやざき観光文化検定」合格
[追記 2008年9月]
平成20年度「みやざき観光文化検定」2008/09/06

ひむかブログ2[みやざき観光文化検定三級]







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