新田原基地航空祭 2009

▶ in 宮崎観光関連Part2 posted 2009.12.10 Thursday / 18:10

今年も、12月第一日曜日(12月6日)に宮崎県新富町にある新田原基地(新田原はにゅうたばると読む)で航空祭が開催され、出かけてきました。
新田原基地航空祭の前の週(11月29日)は、福岡県にある築城基地(築城はついきと読む)で航空祭が開催され、この時期は二週連続、九州での航空祭開催となります。

2009年 新田原基地 ブルーインパルス

写真説明:毎年同じような写真ばかりですが、ブルーインパルスです。
クリックすると拡大しますので是非拡大してご覧ください。
その他の写真は記事末の新田原基地航空祭関連ページでどうぞ。

やはりブルーインパルスの背景は抜けるような青い空、こうじゃないといけませんね。
日本でもトップクラスの日照時間を誇る宮崎県、この時期の天気も例外ではなく、非常に安定しているようで、新田原基地航空祭当日の天気は、2003年より7年連続の晴天記録を更新し続けております。

天気にも恵まれ最高の航空祭でした!!
 と言いたいところですが・・今年はちょっと消化不良気味でした。

築城基地航空祭(福岡)でF-15戦闘機の事故(11月29日)

築城基地航空祭で飛行ショーのため基地上空を飛んでいたF15戦闘機の水平尾翼の部品の一部が落下するという事故が発生しました。
部品は8個ほどの破片になって基地内や南西約500メートルの林や畑などに落ちたそうです。
 → 読売新聞みんなで特ダネ!サイト(読者投稿写真)

航空祭での出来事、もし観客席に部品が落ちていたら、大変な事になっていたでしょう。

この事故を受け、航空自衛隊は保有する約200機のF15全機を緊急スクランブルなどの任務を除き、飛行中止、緊急点検を行うことを決めました。

F15戦闘機は新田原基地の航空祭においても「華」であり、特に国内最強の技量を持つパイロットの集団で†日本のトップガン”とも言われる飛行教導隊のF15アグレッッサー部隊がいる新田原基地航空祭でF15が飛ばないとなると・・・と、やきもきした方も多かったのではないかと察します。
幸い、築城基地での部品落下の原因は数日で判明、部品の板厚が薄かったことが要因との見解で、公差を見直し(最低厚基準厚の引き上げ)全数検査、規定値以上の機体については、訓練を再開しました。

 航空ファンもここでほっと胸を撫でおろしたのでした。
(この数日後、再びF15の事故が起きようとは誰が予想したであろう。)

2009年 新田原基地 F15

写真説明:F-15戦闘機 飛行教育航空隊/第23飛行隊(23SQ)
太陽を背景に撮影したとろ、いい感じにモノクロ風になりました。
後で考えれば太陽光の直射をモロ受けての撮影はデジタルカメラのCCD(受光素子)には酷な行為だったかも知れません。(汗;)
上記写真の壁紙用写真は下部リンク(新田原基地航空祭)にあります。

こんどは小松飛行場でF15戦闘機が胴体接触着陸事故(12月4日)

航空祭前日の12月4日(金)、小松飛行場(小松基地は民間飛行場と共用している)でF15が車輪を出さず胴体を滑走路へ接触し着陸するという事故をおこしました。 サンケイ新聞写真

航空自衛隊は、またまた、保有する約200機のF15全機について、スクランブルなどの任務を除いて訓練での飛行を見合わせ、緊急点検を行うことを決め、土曜日には新田原基地航空祭のF15の飛行も中止との発表がありました。

車輪を出し忘れて着陸?

新田原基地航空祭、翌日となる12月7日(月)、事故について調査してきた航空幕僚監部は、今回の事故はパイロットが車輪を出し忘れて着陸した操縦ミスである旨を発表。
着陸時にはこのようなパイロットのヒューマンエラーを回避すべく、空港にいる担当隊員による目視チェックや、操縦席では着陸時に車輪が出ていないエラー音が鳴ったりランプが点灯する等、いくつものチェックがなされているようですが、結果的には、今回これらのシステムは機能していなかったと解釈するしか無いようです。
日本の国防はこれで大丈夫なんだろうか?と誰しも不安になるような、あまりに情けない事故原因でした。
小松空港の滑走路はこの事故で何時間も閉鎖したようですが、民間機や民間人等を巻き添えにした事故にならなかったのはせめてもの幸いです。

F15が飛ばず、間の空いた飛行プログラム

そんなわけで、新田原基地航空祭の飛行展示プログラムはF15の代替穴埋めすることもなく(当然、事前届出等もあり、急なプログラム変更は無理とは思いましたが)、F15の時間は空白となり、当日は間の空いた飛行プログラムでの開催となりました。


続きを読む>>

新田原基地航空祭 2009

▶ in 宮崎観光関連Part2 posted 2009.12.10 Thursday / 18:10

今年も、12月第一日曜日(12月6日)に宮崎県新富町にある新田原基地(新田原はにゅうたばると読む)で航空祭が開催され、出かけてきました。
新田原基地航空祭の前の週(11月29日)は、福岡県にある築城基地(築城はついきと読む)で航空祭が開催され、この時期は二週連続、九州での航空祭開催となります。

2009年 新田原基地 ブルーインパルス

写真説明:毎年同じような写真ばかりですが、ブルーインパルスです。
クリックすると拡大しますので是非拡大してご覧ください。
その他の写真は記事末の新田原基地航空祭関連ページでどうぞ。

やはりブルーインパルスの背景は抜けるような青い空、こうじゃないといけませんね。
日本でもトップクラスの日照時間を誇る宮崎県、この時期の天気も例外ではなく、非常に安定しているようで、新田原基地航空祭当日の天気は、2003年より7年連続の晴天記録を更新し続けております。

天気にも恵まれ最高の航空祭でした!!
 と言いたいところですが・・今年はちょっと消化不良気味でした。

築城基地航空祭(福岡)でF-15戦闘機の事故(11月29日)

築城基地航空祭で飛行ショーのため基地上空を飛んでいたF15戦闘機の水平尾翼の部品の一部が落下するという事故が発生しました。
部品は8個ほどの破片になって基地内や南西約500メートルの林や畑などに落ちたそうです。
 → 読売新聞みんなで特ダネ!サイト(読者投稿写真)

航空祭での出来事、もし観客席に部品が落ちていたら、大変な事になっていたでしょう。

この事故を受け、航空自衛隊は保有する約200機のF15全機を緊急スクランブルなどの任務を除き、飛行中止、緊急点検を行うことを決めました。

F15戦闘機は新田原基地の航空祭においても「華」であり、特に国内最強の技量を持つパイロットの集団で†日本のトップガン”とも言われる飛行教導隊のF15アグレッッサー部隊がいる新田原基地航空祭でF15が飛ばないとなると・・・と、やきもきした方も多かったのではないかと察します。
幸い、築城基地での部品落下の原因は数日で判明、部品の板厚が薄かったことが要因との見解で、公差を見直し(最低厚基準厚の引き上げ)全数検査、規定値以上の機体については、訓練を再開しました。

 航空ファンもここでほっと胸を撫でおろしたのでした。
(この数日後、再びF15の事故が起きようとは誰が予想したであろう。)

2009年 新田原基地 F15

写真説明:F-15戦闘機 飛行教育航空隊/第23飛行隊(23SQ)
太陽を背景に撮影したとろ、いい感じにモノクロ風になりました。
後で考えれば太陽光の直射をモロ受けての撮影はデジタルカメラのCCD(受光素子)には酷な行為だったかも知れません。(汗;)
上記写真の壁紙用写真は下部リンク(新田原基地航空祭)にあります。

こんどは小松飛行場でF15戦闘機が胴体接触着陸事故(12月4日)

航空祭前日の12月4日(金)、小松飛行場(小松基地は民間飛行場と共用している)でF15が車輪を出さず胴体を滑走路へ接触し着陸するという事故をおこしました。 サンケイ新聞写真

航空自衛隊は、またまた、保有する約200機のF15全機について、スクランブルなどの任務を除いて訓練での飛行を見合わせ、緊急点検を行うことを決め、土曜日には新田原基地航空祭のF15の飛行も中止との発表がありました。

車輪を出し忘れて着陸?

新田原基地航空祭、翌日となる12月7日(月)、事故について調査してきた航空幕僚監部は、今回の事故はパイロットが車輪を出し忘れて着陸した操縦ミスである旨を発表。
着陸時にはこのようなパイロットのヒューマンエラーを回避すべく、空港にいる担当隊員による目視チェックや、操縦席では着陸時に車輪が出ていないエラー音が鳴ったりランプが点灯する等、いくつものチェックがなされているようですが、結果的には、今回これらのシステムは機能していなかったと解釈するしか無いようです。
日本の国防はこれで大丈夫なんだろうか?と誰しも不安になるような、あまりに情けない事故原因でした。
小松空港の滑走路はこの事故で何時間も閉鎖したようですが、民間機や民間人等を巻き添えにした事故にならなかったのはせめてもの幸いです。

F15が飛ばず、間の空いた飛行プログラム

そんなわけで、新田原基地航空祭の飛行展示プログラムはF15の代替穴埋めすることもなく(当然、事前届出等もあり、急なプログラム変更は無理とは思いましたが)、F15の時間は空白となり、当日は間の空いた飛行プログラムでの開催となりました。


続きを読む>>

JR海幸山幸 宮崎交通 にちなん号運行開始

▶ in 宮崎観光関連Part2 posted 2009.10.10 Saturday / 23:59

海幸山幸

JR日南線「海幸山幸」運行開始

本日、10月10日よりJR九州日南線(宮崎†南宮崎間は日豊本線)において観光特急列車「海幸山幸」が運行を開始しました。

「海幸山幸」の愛称名は 潮嶽神社(日南市北郷)や青島神社(宮崎市)が舞台となっている「海幸彦」「山幸彦」の神話にちなんで付けられたもので、車体は2005年9月の台風14号被害もあり、2008年についに廃線となってしまった旧高千穂鉄道(TR)からトロッコ列車を購入して改装、床や座席の背もたれ、外装などに飫肥杉(オビスギ)をふんだんに使っている。
列車は2両編成で51人乗り、1号車(キハ125-401)「山幸」が指定席で定員21名、2号車(キハ125-402)「海幸」が定員30名で自由席となっている。
「海幸山幸」は10月10日より来年2月28日まで土、日、祝日と年末年始期間の毎日、宮崎駅―南郷駅(日南市)間(片道55.6km)を一日一往復します。(2010年3月以降は決まり次第、JR側より案内があるとのことです。)
詳細については下記を参照願います。

JR九州日南線にトロッコ列車を改装した観光特急列車海幸山幸号

海幸山幸の撮影ポイント

 早速行って来ました。(乗車したわけではなく・・外から撮影のみですが~~;)
「海幸山幸」ですので、やはり海、そして山と列車を一緒に撮るのが良いかなぁと考え、撮影場所を探すも、これがなかなか良い場所がありません。

海幸

海と海幸山幸(海のシーン)

JR日南線は海岸線沿いを走るってイメージありますが、実際には内陸部を走るのがメインで海沿いを走る区間は結構限られ、しかも海+列車となると、なかなか良い撮影ポイントがありません。
当初、鬼の洗濯板におりて、波打ち際から撮る予定でしたが、あいにく運行時間頃は潮は満潮に近く、鬼の洗濯板は水の中ときたもんだ(^^;)
良い場所を見つけきれず、時間は過ぎ、タイムリミットに。
結局、撮影は七ツバエを背景に入れた日南市隈谷川河口の鉄橋に移動。
ここは海幸山幸関連のパンフレットにも使われている、いわばJR日南線の定番撮影ポイントでもあります。
流石メジャーポイント、10分ほど前に到着した際には既に30名程写真愛好家の方がカメラを構えてらっしゃいました。

JR 日南線 海幸山幸 01 日南市にて

撮影場所:宮崎県日南市大字隈谷甲
MAP:Mapion
GPS:E=131.23.35 N=31.33.41
駐車:道路上り車線側沿いに広くなった路肩あり。
最寄の駅:油津駅、大堂津駅間(大堂津駅寄り)

流石、観光列車、この景勝区間は列車も超低速ゆっくり走りますので、私のような「にわか撮鉄」でもズームを操作しながら落ち着いて撮影できます。
天気が良いと、海の色や砂の色、そして空の色がとても綺麗なのですが・・この日は薄曇りで、共にさえない色でした。残念。
実際の列車の色は白なのですが、逆光気味で色バランスが美味くとれなかったか、若干灰色っぽく写っております。

「海幸山幸」下りはこの鉄橋を通過後、終点南郷駅まで行きます。
南郷駅が終点ですが、南郷駅は待機する側線が無い為、油津駅まで一旦回送、次の上り発車時刻前まで油津駅で待機するようです。
列車が行った後もこの回送列車を待ってらっしゃる方が多くいらっしゃいました。
乗客のいない列車は、こういうシーンの写真ではいまひとつかとは思いますが、列車自体に興味のある方は回送を待つのも良いかも知れませんね。
(尚、回送についてはこの先も同様のスケジュールかは不明です。)

山幸

山と海幸山幸(山のシーン)

海幸山幸号は県産の飫肥杉(オビスギ)を内装・外装に使っています。
と・・、あらば、飫肥杉(オビスギ)の綺麗に植林された山々を背景に・・という条件で、撮影ポイントを探すことに・・。
これがまたまた大変、人家があったり、電柱などの人工物があったり、なかなか良い撮影場所が無い、結局、山とは程遠いですが、オビスギ林が背景に入るポイントがあったのでそこで妥協、撮影したのが下記の写真です。

観光特急列車 JR 海幸山幸 02

左の川は「広渡川」です。
日南線は電化されておりませんので・・こういう上からのシーンも電線が無く、すっきりして良いです。


続きを読む>>

JR海幸山幸 宮崎交通 にちなん号運行開始

▶ in 宮崎観光関連Part2 posted 2009.10.10 Saturday / 23:59

海幸山幸

JR日南線「海幸山幸」運行開始

本日、10月10日よりJR九州日南線(宮崎†南宮崎間は日豊本線)において観光特急列車「海幸山幸」が運行を開始しました。

「海幸山幸」の愛称名は 潮嶽神社(日南市北郷)や青島神社(宮崎市)が舞台となっている「海幸彦」「山幸彦」の神話にちなんで付けられたもので、車体は2005年9月の台風14号被害もあり、2008年についに廃線となってしまった旧高千穂鉄道(TR)からトロッコ列車を購入して改装、床や座席の背もたれ、外装などに飫肥杉(オビスギ)をふんだんに使っている。
列車は2両編成で51人乗り、1号車(キハ125-401)「山幸」が指定席で定員21名、2号車(キハ125-402)「海幸」が定員30名で自由席となっている。
「海幸山幸」は10月10日より来年2月28日まで土、日、祝日と年末年始期間の毎日、宮崎駅―南郷駅(日南市)間(片道55.6km)を一日一往復します。(2010年3月以降は決まり次第、JR側より案内があるとのことです。)
詳細については下記を参照願います。

JR九州日南線にトロッコ列車を改装した観光特急列車海幸山幸号

海幸山幸の撮影ポイント

 早速行って来ました。(乗車したわけではなく・・外から撮影のみですが~~;)
「海幸山幸」ですので、やはり海、そして山と列車を一緒に撮るのが良いかなぁと考え、撮影場所を探すも、これがなかなか良い場所がありません。

海幸

海と海幸山幸(海のシーン)

JR日南線は海岸線沿いを走るってイメージありますが、実際には内陸部を走るのがメインで海沿いを走る区間は結構限られ、しかも海+列車となると、なかなか良い撮影ポイントがありません。
当初、鬼の洗濯板におりて、波打ち際から撮る予定でしたが、あいにく運行時間頃は潮は満潮に近く、鬼の洗濯板は水の中ときたもんだ(^^;)
良い場所を見つけきれず、時間は過ぎ、タイムリミットに。
結局、撮影は七ツバエを背景に入れた日南市隈谷川河口の鉄橋に移動。
ここは海幸山幸関連のパンフレットにも使われている、いわばJR日南線の定番撮影ポイントでもあります。
流石メジャーポイント、10分ほど前に到着した際には既に30名程写真愛好家の方がカメラを構えてらっしゃいました。

JR 日南線 海幸山幸 01 日南市にて

撮影場所:宮崎県日南市大字隈谷甲
MAP:Mapion
GPS:E=131.23.35 N=31.33.41
駐車:道路上り車線側沿いに広くなった路肩あり。
最寄の駅:油津駅、大堂津駅間(大堂津駅寄り)

流石、観光列車、この景勝区間は列車も超低速ゆっくり走りますので、私のような「にわか撮鉄」でもズームを操作しながら落ち着いて撮影できます。
天気が良いと、海の色や砂の色、そして空の色がとても綺麗なのですが・・この日は薄曇りで、共にさえない色でした。残念。
実際の列車の色は白なのですが、逆光気味で色バランスが美味くとれなかったか、若干灰色っぽく写っております。

「海幸山幸」下りはこの鉄橋を通過後、終点南郷駅まで行きます。
南郷駅が終点ですが、南郷駅は待機する側線が無い為、油津駅まで一旦回送、次の上り発車時刻前まで油津駅で待機するようです。
列車が行った後もこの回送列車を待ってらっしゃる方が多くいらっしゃいました。
乗客のいない列車は、こういうシーンの写真ではいまひとつかとは思いますが、列車自体に興味のある方は回送を待つのも良いかも知れませんね。
(尚、回送についてはこの先も同様のスケジュールかは不明です。)

山幸

山と海幸山幸(山のシーン)

海幸山幸号は県産の飫肥杉(オビスギ)を内装・外装に使っています。
と・・、あらば、飫肥杉(オビスギ)の綺麗に植林された山々を背景に・・という条件で、撮影ポイントを探すことに・・。
これがまたまた大変、人家があったり、電柱などの人工物があったり、なかなか良い撮影場所が無い、結局、山とは程遠いですが、オビスギ林が背景に入るポイントがあったのでそこで妥協、撮影したのが下記の写真です。

観光特急列車 JR 海幸山幸 02

左の川は「広渡川」です。
日南線は電化されておりませんので・・こういう上からのシーンも電線が無く、すっきりして良いです。


続きを読む>>

えびの市の田の神(田の神さあ)

▶ in 宮崎観光関連Part2 posted 2009.09.11 Friday / 05:30

田の神の石像「田の神さあ」

 田の神さあ ってご存知でしょうか?

えびの市の田んぼ 水流地区

春、山から里におりて来て、田の神となって田んぼを守り、農作物の豊作をもたらすと信じられております「田の神の信仰」は全国的にありますが、鹿児島や、宮崎中南部にはこの田の神を石像にして田んぼに祀ったりする風習があります。
これらの田の神の石像を田の神さあと呼んでおります。

田の神の石像(田の神さあ)が作られ始めたのは宝永年間、最古の田の神の石像は 宝永2年(1705)在地(鹿児島県、鶴田町紫尾)との事。

鹿児島県の薩摩、大隅、宮崎県の一部で現在約2000体の田の神の石像(田の神さあ)が確認されています。 
田の神の石像は旧島津藩領に分布しているようで、宮崎県季刊誌JajaVol.13・2007年発行によると、宮崎県内で確認されている田の神さあは 合計471
内訳は、えびの市(140) 小林市(49) 野尻町(37) 高原町(14) 都城市(130) 三股町(8) 綾町(11) 国富町(14) 宮崎市(68) となっております。

宮崎県内では、藩政時代に薩摩藩に属し、やはり米どころや島津との関係が深かった地域に多いようで、えびの市や、都城市が特出しているようです。

えびの市の田の神 田の神さあ 01

田の神さあはいくつかに分類されているようですが、同じ分類の中でも躍動的なものあり、鮮やかな色彩のものあり、姿、色、形は千差万別です。
田の神さあは風景にとけこみ、なんとも愛らしく温かく、そして見ているだけでとても癒されます。


続きを読む>>

Photo Miyazakiメインページへ戻る

PAGE TOP