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宮崎神宮 本宮祭にて 宮崎神宮 本宮祭にて


宮崎県の神社

このページでは宮崎県内に鎮座する神社の中から、一部だけですが、写真で紹介します。
記紀、日向神話のゆかりの地多き宮崎県下には、多くの由緒ある神社があります。
令和3年現在、神社本庁(宮崎県神社庁)が包括する県内の神社は649社。県内で一番神社の多い市町村は延岡市、ついで宮崎市です。

 神社本庁(宮崎県神社庁)が包括する県内の神社(画像リンク)

ここでは、現在、観光としても著名な神社や、私が興味を抱いた神社などを中心に順次掲載しておりますが、まだまだ掲載すべき多くの神社があります。

大きくは、市町ごとに分けておりますが、並び順に意図はありません。
おりをみて撮影、追加して行きたいと思っております。
当サイト内、関連ページ → Googleマップで宮崎の神社を表示


【更新情報】 跡江神社(宮崎市)  小松神社(宮崎市) 追加

延岡市

行縢神社 行縢(むかばき)神社
主祭神:伊弉冉命(いざなみのみこと)事解男命(ことさかおのみこと)速玉男命(はやたまおのみこと)
秀麗な山と荘厳な滝は、古代の山岳信仰を起し、これらを御神体として社殿建立が行われた。 養老二年(西暦718年)紀州(今の和歌山県)熊野大社の御分霊が奉祀された。
詳細は行縢神社で。


港神社 港神社
青い鳥居が印象的 
詳細は港神社で。


五ヶ瀬町

三ヶ所神社 三ヶ所神社
主祭神:伊弉諾尊、伊弉冉尊
三ヶ所神社は西暦900年後半ごろに創建。本殿は総欅(けやき)造り、建築風と彫刻は近世の傑作といわれています。棟札から文政元(1818)年に造られたものと推定されている。
この本殿は、平成14年10月に宮崎県の文化財に指定されている。
詳細は三ヶ所神社で。


三ヶ所神社奥宮 三ヶ所神社奥宮
御祭神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 瓊々杵尊 猿田彦尊
二上山は日向には少ない山岳信仰の神山であります。神山と云っても、山のどちらに向かって拝めばよいのかと云ふ、とまどいもあり後に男岳の南面九合目附近の岸壁の下に、小祠を建てたと伝えられております。
詳細は三ヶ所神社奥宮二上山で。


祇園神社 祇園神社
御祭神 素盞鳴大神・大己貴大神・伊弉冉大神 他
869年 京都 八坂神社より素盞鳴大神を勧請、その他の諸神を合祀し八坂神社と改称。昭和十年、祇園神社と改称現在に至る。
詳細は祇園神社で。


高千穂町

高千穂神社 高千穂神社
主祭神 三毛入野命(ミケヌノミコト)。三代実録第一巻にもその記述がある1200年以上の歴史を持つ古社。かつて高千穂郷(現在の高千穂町、日之影町、五ヶ瀬町、諸塚村)には554社もの神社があり、その中でも格の高い88の神社を「高千穂八十八社」と言う。その「高千穂八十八社」の総社として信仰を集めてきたのがこの高千穂神社。
詳細は高千穂神社で。


天岩戸神社 天岩戸神社 
神話の中でもよく知られた天照大御神(アマテラスオオミカミ)の天岩戸開き、あの天岩戸伝説を伝える神社。 天岩戸神社には天照大御神(アマテラスオオミカミ)が身を隠した天岩戸(洞窟)を祭る東本宮とオオヒルメノミコトを祀る西本宮があり、主に天岩戸神社と呼ばれているのは西本宮。
詳細は天岩戸神社で。


くしふる神社 くしふる神社
祭神は迩迩芸命、天児屋根命、経津主命、天細女命等。古事記に迩迩芸命(ニニギノミコト)が降り立った所を「筑紫(九州)の日向の高千穂のくじふる峰」と記され、その場所と考えられている「くしふる峰」の中腹にある神社。
詳細はくしふる神社で。


荒立神社 荒立神社
祭神は猿田彦命、天鈿女命(アメノウズメノミコト)を主神とし大年神 迫天満 興呂木家先祖をお祭りする神社。ご祭神の天鈿女命は神楽の元とも言われ、芸事の上達にもご利益があり、昔から芸能人もよく参拝する神社とのこと。
詳細は荒立神社で。


向山神社 向山神社
祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冊命(いざなみのみこと)他10神、鳥居から社へ続く、約500mの参道が「熊野古道」を彷彿させる雰囲気、石灯籠など見所も多い。
詳細は向山神社で。


秋元神社 秋元神社
祭神は国常立命(くにとこたちのみこと)、国狭槌命(くにさつちのみこと)、豊斟淳命(とよくみぬしのみこと) 境内には、山水が流れ落ち、昔から御神水として祀られています。
詳細は秋元神社で。


下野八幡大神社 下野八幡大神社
祭神はホンダワケ、タマヨリヒメノミコト、神功皇后。社殿によると岩戸山裏村(今の上岩戸)二ツ嶽におまつりされていた、正八幡を大神惟元公がこの地に移し、高千穂太郎政信公の時代に境内を整え社殿を建立したと記されています。
詳細は下野八幡大神社で。


二上神社 二上神社
瓊々杵尊(ニニギノミコト)が降り立ったと、伝えられる「二上山」は山自体がご神体として崇められておりました。二上神社は元々は二上山の9合目にありましたが、道が険しく、特に冬の積雪時などは参拝が困難なこともあり、里宮が作られました。
詳細は二上神社で。


中畑神社 中畑神社
主祭神:建磐竜命(たていわたつのみこと)神武武天皇の御孫にあたる建盤竜命が筑紫の国(九州)統治の命を受け、下日向県(しもひゅうががた)を経て阿蘇に向かう途中、四方をのぞまれたのが鎮座地にある「国見ヶ丘」と伝えられております。開拓の神様です。何かを始める時などに。
詳細は中畑神社で。


落立神社 落立神社
主祭神 伊弉冊命 (いざなみのみこと) 御利益 子授安産 火伏せ 防火など。
神社を取り囲む奉納板は圧巻です。
詳細は落立神社で。



嶽宮神社 嶽宮神社
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冊尊 (いざなみのみこと)を祀る。ニ上神社の外宮・参拝所として昌泰3年(900年)に建立。
詳細は嶽宮神社で。


鉾神社 鉾神社
主祭神:日子穂々出見命 豊玉毘売命 菅原道真公 3000年来、祖母山の頂上に鎮座されていた。往昔、祖母嶽大明神の下宮八社の一つとして県境鉾峠(尾平峠)に勧請したのが神社の起源といわれる。
詳細は鉾神社で。


二ツ嶽神社 二ツ嶽神社
主祭神 八幡神・若宮大神・菅原道真公 建立年は不明。豊永4年(1707)の刻印のある神鏡が伝わっていま
す。高千穂に八幡牡を最初に勧請した神社といわれています。
詳細は二ツ嶽神社で。



石神神社 石神神社
主祭神は国常立命ですが、地元では牛神神社と呼ばれており、高千穂神社の御祭神である三毛入野命(みけいりのみこと、神武天皇の兄神)に仕えていた牛を社傍にお祀りして創建されたとの説もあります。
詳細は石神神社で。


永の内 八大龍王水神社 永の内 八大龍王水神社
古伝によると、或る日雷鳴轟き豪雨の天空より黒雲と共に八大龍王水神御降臨遊ばされ数々の御神示に氏子等その御神恩に恐惶し、奉斎したと伝えられているとの事
詳細は永の内八大龍王水神社で。


祖母嶽神社 祖母嶽神社
彦火火出見命 豊玉毘売命 大日霊女貴命(おおひるめのむちのみこと)(天照大神)天津湯彦命 菅原道真公を祀る。祖母嶽下宮八社の一つとして祖母嶽大明神とよばれ寛文9年(1669年)に領主有馬左衛門左康純が再建したと伝える。
詳細は祖母嶽神社で。


椎葉村

椎葉厳島神社 椎葉厳島神社
市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祀り、素盞鳴命(スサノウノミコト)を祀る。交通安全、厄除け、女の神様としても崇敬を受け村を見渡す子丘に鎮座し、古くは厳島大明神と呼ばれていました。
詳細は椎葉厳島神社で。


十根川神社 十根川神社
十根川神社は、十根川、大久保、椎原、鹿野遊、内の八重の五集落を氏子(うじこ)とし、縁結びの神様として崇敬されています。明治4年(1871)までは八村大明神(やむらだいみょうじん)と呼ばれていました。境内の八村杉(天然記念物)は樹齢800年と言われています。
明治以降は、大己貴乃命(オオアナムチノミコト)を祀っています。
詳細は十根川神社で。


諸塚村

塚原神社 塚原神社
天ノ太玉命 品陀和気命 大鷦鷯命 息長足姫命 国常立命を奉る。
古くは平田(太)大明神と称し、明治四年に現称に改めた。
詳細は塚原神社で。


美郷町

神門神社 神門神社
百済の禎嘉王を祀る神門(みかど)神社は、創建が養老2(718)年と伝えられる宮崎県内屈指の古社で、平成12年に神社本殿が国の重要文化財に指定された。
詳細は神門神社で。


門川町

門川神社 門川神社
宇気母智神(うけもちのかみ)他を祀る。、旧大将軍神社を称せしに人々の生活を豊かにすべく国土を招き、世の中の幸福を増進すべく人間生活の守護神として享禄3庚寅年(1530年)に勧請したと伝える。
詳細は門川神社で。


日向市

大御神社 大御神社
天照皇大御神を祀る。創建の年月は詳らかではないが、神社に伝わる「神明記」その他の古文書によれば、往古 皇大御神 日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節とされる。
詳細は大御神社で。


立磐神社 立磐神社
表筒男命 中筒男命 底筒男命を祀る。神武天皇お船出の地、美々津に鎮座。
航海の安全祈念し、埠頭に住吉大神を祀る。
詳細は立磐神社で。


湊柱神社 湊柱神社
神武天皇が美々津港を船出される際に、速秋津彦命、速佐須良彦命、伊吹戸主命、瀬織津姫命の四柱を祭祀
詳細は湊柱神社で。


都農町

都農神社 都農神社 (日向国一宮)
主祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)別名:大国主命(おおくにぬしのみこと) (七福神の大黒様)都農神社は創建年代は不明ですが、927年成立の延喜式神名帳に「日向国児湯郡都農神社」とある式内小社であり、日向国一宮でもある。1100年以上の歴史があると思われる。
詳細は都農神社で。


川南町

舞鶴神社 舞鶴神社 
舞鶴城内の各所に八幡宮、天満宮、白山神社、財部大明神、龍宮の神々を奉斉して藩の隆昌を祈念せられ、五神殿様として厚く尊崇された。明治四年廃藩置県に際し現在の地に社を建て五社を合祀して旧城名に因み舞鶴神社と称するようになった。
詳細は舞鶴神社で。

平田(へいだ)神社 平田(へいだ)神社 
御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)など
天正年間に大友宗麟の兵火に遭い、社殿や古文書は焼失、その後秋月公により社殿の修理や寄進などが行われた。
詳細は平田(へいだ)神社で。


白髭神社 白髭神社 
御祭神はイザナキノミコト、タケハヤスサノオノミコト、猿田彦大神など
当初、神社は現神社後方に位置する白鬚権現山に建立、天長2年(825年)に当地に鎮座
詳細は白髭神社で。


高鍋町

高鍋 鵜戸神社 高鍋 鵜戸神社 
御祭神は鵜葦草葦不合命 天照大御神 他 
景行天皇が熊襲征討の際に海陸安全、全戦勝祈願のために立ち寄ったとされている。
詳細は高鍋鵜戸神社で。


木城町

比木神社比木神社
大己貴命・お妃 三穂津姫命・事代主命・素盞鳴命・お妃 櫛稲田姫命・福智王 ふくちおう 以上 六柱の神々がお祀りされている。高鍋藩 秋月歴代藩主より深く崇められ、社殿改築、鳥居の建立等、寄進奉納されている。
詳細は比木神社で。


新富町

湯之宮神社湯之宮神社
猿田彦命を祀る。湯ノ宮は、神武天皇ご東遷の際湯浴みの地として顕彰されている。神社の南西に神井があり、往古は湯を湧出せりと伝えるが、現在は真清水をなり四時絶える事はない。
詳細は湯之宮神社で。


西都市

都萬神社 都萬神社
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祀る。 都萬神社(都万神社とも書くようです)は、その昔、都農神社、霧島神社、高千穂神社と並ぶ、日向式内四座の一社で、続日本後記に「承和4年(837年)日向国子湯郡妻預官社」と記されている由緒ある神社。瓊瓊杵命[ににぎのみこと]が姫を見初めたことから、縁結びの神として、そして3つ子を無事出産したことから安産の神としても知られる。
詳細は都萬神社で。

銀鏡神社 銀鏡(しろみ)神社 
長享3年(1489)創建 銀鏡神社の御祭神 イワナガヒメとオオヤマヅミノカミ、そして懐良親王
詳細は銀鏡神社で。

尾八重神社 尾八重神社 
主祭神 大山津見神 大国主命
永正8年(1511年)時の雄八重領主 黒木吉英により鎮守神社として創建された。
詳細は尾八重神社で。

速川神社 速川神社 
御祭神は瀬尾律比当ス(せおりつひめのみこと)、速開津比当ス(はやあきつひめのみこと)、気吹戸主命(いぶきどぬしのみこと)、速佐須良比当ス(はやさすらひめのみこと)
詳細は速川神社で。

鹿野田神社 鹿野田(かのだ)神社 
御祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)弘安以前より勧請された古社累代崇敬篤かった神社である。
詳細は鹿野田神社で。

西米良村

児原稲荷神社 児原稲荷神社
倉稲魂命 ウカノミタマノミコト、彦火火出見命 ヒコホホデミノミコト、・太田命 オオタノミコト、大宮姫命 オオミヤヒメノミコト、木花咲耶姫命 コノハナサクヤヒメノミコト、 大山祗命 オオヤマツミノミコト を祭る。 創建不詳。一説に養老2年(718)とも伝えられる。
詳細は児原稲荷神社で。


国富町

本庄稲荷神社本庄稲荷神社(剣柄稲荷神社)
彦稲飯命・玉依姫命・神倭磐余彦命を祭る、剣柄稲荷神社(俗に本庄稲荷神社と称される)は国富町の中央台地本庄の第38号古墳(剣柄(けんのつか)古墳)の上に鎮座している。剣柄稲荷神社の創建は今からおよそ1900年余年前、景行天皇の12年11月(32年11月とも)いわれている。
詳細は本庄稲荷神社(剣柄稲荷神社)で。


諏訪神社諏訪神社(国富町)
事代主命・建御名方命・磐長姫命を祭る、諏訪神社は村の鎮守の宮として今より千年の昔 天禄2年(974) 信州(長野県)諏訪神を伊佐生森田に勧請 天正13年(1585)7月27日 福島秀安はじめ300名により現在地に遷宮されたと伝えられる。
詳細は諏訪神社(国富町)で。


綾町

綾神社綾神社
仲哀天皇、仁功皇后、応神天皇 を祭る。天長8年(831)3月勧請といわれる。旧棟札によれば貞享年間(1684〜1688)以前は、宮谷(字五ケ所)に鎮座。故あって天和元年(1681年)に現在地に遷宮。 明治5年 町内社を合祀し、綾神社と改称、現在に至る。
詳細は綾神社で。


宮崎市

巨田神社 巨田神社 
天太玉命、誉田別命(應神天皇)、大帯姫命(神功皇后)を祭る。本殿は、文安5年(1448年)に再建されたことが棟札によって判明。本殿の構造は、三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)で板葺き、木部には朱が塗られ、南九州には数少ない中世神社建築の遺構で、修理時期を明示する棟札が二十二枚も保存されています。本殿は国指定重要文化財
詳細は巨田神社で。


佐野原神社・佐野原聖地 佐野原神社(佐野原聖地) 
鵜葺草葺不合尊の宮殿跡で、イツセノミコト(五瀬命)、イナヒノミコト(稲氷命)、ミケヌノミコト(御毛入沼命)と神倭伊波礼毘古命(神武天皇)の四皇子がお生まれになった所と伝えられています。
詳細は佐野原神社(佐野原聖地)で。


高屋神社 高屋神社 
祭神 彦火火出見尊、豊玉姫、景行天皇神社に関する縁起並びに棟木等によれば、人皇八代後陽成天皇の御宇慶長16年(1613年)紀元2273年に社殿の改造の棟木あり、又、神官の系図により仁明天皇の嘉祥2年(849年) 紀元1509年に神官となりし事記載有、このことによって、その由緒が伺える。
詳細は高屋神社で。


江田神社 江田神社
御祭神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 伊邪那美尊は安徳天皇 寿永2年正月配祀お祓いの発祥の地、「かけまくも畏(かしこ)きイザナギの大神、筑紫の日向の橘の小戸の憶原に・・・」の祝詞の、あの地である。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと) 日本最古のご神体を祀る神社。
詳細は江田神社で。


一葉稲荷神社 一葉稲荷神社
主祭神 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
衣食住殖産の神 商売繁盛 商工水産五穀豊穣 産業等の大祖神
詳細は一葉稲荷神社で。


小戸神社 小戸神社
我が国の本崇と仰ぐ伊勢の神宮(内宮)の御祭神 天照大神の親神様 伊弉諾神を祀る。
「小戸」とは今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。小戸神社は旧称を「小戸大明神」といい約1900年前の景行天皇の勅により創建と伝わる。
詳細は小戸神社で。


住吉神社 住吉神社 
伊邪那岐命の禊(みそ)ぎかの際に綿津見三神と共に生まれた表筒男命(ウハツツノヲノミコト)・中筒男命(ナカツツノヲノミコト)・底筒男命(ソコツツノヲノミコト)を祀る。 大阪の住吉大社、福岡の志賀海神社とともに「住吉三神」として知られる。 住吉三神は、航海安全の神として崇拝されてきた。
詳細は住吉神社で。


宮崎神宮 宮崎神宮
初代天皇神武天皇とその父ウガヤフキアエズノミコト、母玉依姫命タマヨリヒメを祀る伝統ある神社で社殿によれば神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たていわたつのみこと)が九州の長官に就任した際、祖父のご道徳たたえるために鎮座したのが始まりと伝えられている。
詳細は宮崎神宮で。


皇宮屋 皇宮神社 皇宮屋 皇宮神社
皇宮屋(こぐや)とは神武天皇御東遷前の皇居跡と伝えられるところで、宮崎神宮の摂社に列する皇宮神社が鎮座している。ご祭神 神日本磐余彦天皇 (後の神武天皇)、吾平津姫命・手研耳命を相祀。
詳細は皇宮屋 皇宮神社で。


奈古神社 奈古神社
瓊々杵尊他を祭る。創建は古く、成務天皇の御代と伝えられる。
古くは権現と称され、その後神武天皇を宇佐八幡と崇めたことから奈古八幡宮の勅号を得、また、古来より吾田長屋という地名にちなんで長屋神社とも呼ばれ明治4年に奈古神社と改称されている。
詳細は奈古神社で。



生目神社 生目神社 
主祭神 品陀和気命(応神天皇)、藤原景清公 
古くから眼病にご利益がある目の神様 として広く知られる神社
詳細は生目神社で。


大塚八幡神社 大塚八幡神社 
主祭神 ・ホンダワケの尊(応神天皇)・タマヨリヒメの尊(神武天皇の御母)・オキナガタラシヒメの尊(神功皇后) 
第五十五代文徳天皇の斎衡年間(845〜7年)に宇佐八幡宮ご分霊を戴き祀って創建されたといわれる。
詳細は大塚八幡神社で。


小松神社 小松神社 
主祭神 ・天照皇大神 天児屋根命 天太玉命
室町時代 伊東祐堯 当社再興という棟札あり、相当古い時代に勧請創建されていたと思われる。
詳細は小松神社で。


跡江神社 跡江神社 
主祭神 ・彦火々出見尊 豊受皇大神 天児屋命
古来神明宮と称し、第105代後奈良天皇の御代に再興し奉り、維新の改革により跡江神社と改称)
詳細は跡江神社で。


金崎神社 金崎神社 
主祭神 彦火火瓊々杵尊 木花開耶姫尊 彦火火出見尊 豊玉姫尊 
 玉依姫尊 神武天皇狭野より宮崎の宮に御遷御の時、この丘上にお休みになられ、橘の小戸の阿波岐原お望みになられた地。詳細は 金崎神社で。


加江田神社 加江田神社
天照大神(アマテダスオオミカミ) 伊弉諾尊(イザナギノミコト) 伊弉無命(イザナミノミコト)を祀る。
天照皇太神宮、伊勢太神宮などと称されています。
詳細は加江田神社で。


熊野神社 熊野神社
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀る。
旧清武郷五社宮の一つとされていました。
詳細は熊野神社で。


木花神社 木花神社
木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)物語の地が、宮崎県宮崎市の木花(きばな)にもある。
木花の地名自体、コノハナからとの一説もある。
詳細は木花神社で。


青島神社 青島神社 
青島の南中央にある青島神社は ひこほほでみのみこと(山幸彦)、后の豊玉姫命、塩椎神(塩椎老翁)を祀る神社。ひこほほでみのみことは山幸彦として親しまれており、「海幸彦 山幸彦」の神話はここ青島海岸が舞台となっている。
詳細は青島神社で。


野島神社 野島神社 
塩筒大神(しおずつのおおかみ)猿田彦神(さるたひこのかみ)上筒大神(うわつつおのかみ)中筒大神(なかつつおのかみ)底筒大神(そこつつおのかみ)を祀る神社。
詳細は野島神社で。


田野天建神社 田野天建神社 

旧田野神社の大国主尊(オオクニヌシノミコト)、旧田野大宮大明神の百済王(くだらおう)天建神社の天児屋根命(あめのこやねのみこと)の三神を合祀、
詳細は田野天建神社で。

日南市

鵜戸神宮 鵜戸神宮 
「海幸 山幸」の山幸彦の息子、(神武天皇の父)鵜葦草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を祀る。断崖絶壁の大洞窟(およそ千平方メートル(約三百坪)の中に朱塗りの御本殿、 鵜戸神宮 、地元では 「鵜戸さん」 と愛称され 安産 夫婦円満、育児、漁業、航海 そして 縁結びの神として 古くから信仰を集め、念流陰流 剣法発祥の地としても知られています。
詳細は鵜戸神宮で。


駒宮神社 駒宮神社
皇子原(高原町)で幼少時を過ごした神武天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト)が宮崎の宮に向かわれる前、ここで過ごしたとされた少宮趾(しょうぐうし)と伝えられている。
境内には、御祭神、神武天皇の石像と寄り添うように御神馬龍石号の石像が立つ。
詳細は駒宮神社で。


吾平津(あひらつ)神社 吾平津(あひらつ)神社
神武天皇のお妃、吾平津昆売命(あひらつめのみこと)他を祭る。和銅2年(709年)の創建にて、乙姫(おとひめ)大明神と称して、江戸時代、飫肥11社の1つとして歴代の藩主の崇敬篤く、明治維新に際し、伊東裕帰知事の意により、吾平津神社(あひらつじんじゃ)と改称。
詳細は吾平津(あひらつ)神社で。


榎原神社 榎原神社
御祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ) 縁結びや安産祈願、家内安全などにご神徳がある。
宮崎県指定 有形文化財 (昭和58年指定)
朱塗りの社殿は、1658(万治元)年に神社とゆかりの深い、内田万寿姫の進言により、飫肥三代藩主、藩主伊東祐久が鵜戸神宮の分霊を祀(まつ)ったもの。
詳細は榎原神社で。


潮嶽神社 潮嶽神社
主祭神はニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれた日向神話ゆかりの神 ホデリノミコト(海幸彦)
相殿神として、ヒコホホデミノミコト(山幸彦)、ホスセリノミコト。
潮嶽神社(旧称潮嶽大権現)は全国で唯一、海幸彦を祀る神社。
詳細は潮嶽神社で。


日南市 宮浦神社 宮浦神社
主祭神は 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
詳細は宮浦神社で。


日南市 吾田(あがた)神社 吾田(あがた)神社
主祭神は 吾平津媛命(あひらつひめのみこと)・手研耳命(たぎしみみのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)
詳細は吾田神社で。


日南市 祇園神社 祇園神社
主祭神は 素蓋鳴命 稲田姫命 洞窟の中にある神社
大正12年、油津に赴任された宮崎鉄道管理所長の星野寅二氏のご尽力により大正13年4月に完成。
当時三十数名の石工が工事に携わったと云われています。
詳細は祇園神社 祇園神社その2で。


日南市 生達(そだち)神社 生達(そだち)神社
カムヤマトイワレヒコノミコト(後の神武天皇)が東征に先立ち、お后のアヒラツヒメとともに立ち寄られたところと伝えられています。また、神武天皇が四歳の時から育てられた場所とも云われているようです。
詳細は生達(そだち)神社で。


串間市

串間神社(串間市) 串間神社(串間市)
祭神:主祭神に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)別名「山幸彦」を祀り、他十二柱の御祭神をあわせ祀る。かつては「十三所大明神」と呼ばれ高鍋藩領主の島津氏をはじめ、地域の皆様の厚いご尊崇を受け現在に至っている。
詳細は串間神社で。


御崎神社(串間市都井) 御崎神社(串間市)
祭神:上津綿津見神、中津綿津見神、底津綿津見神。社殿の創建は708年(和銅1年)戊申6月と伝えられています。
1873年(明治6年)、都井神社に合祀されましたが旧社殿への参拝が絶えず、1880年(明治13年)2月、鹿児島県庁より許可があり、旧社殿へ還座され現在に至っている。とあります。
詳細は御崎神社で。


三股町

御崎神社(三股町) 御崎神社(三股町) 
祭神:大国主神
御崎神社は、大字長田字宮脇にあった御崎三所大権現(御幸大明神・美咲大明神・御前大明神ともいう、後の新磯神社)を合祀した神社。
詳細は御崎神社で。


都城市

東霧島神社 東霧島神社(つま霧島と読みます。) (霧島六社権現)
伊弉諾尊(イザナギノミコト)を主祭神として祀るお社です。
霧島連峰の麓にある東霧島神社は霊峰高千穂峰をとりまく各聖地に祀られた霧島六社権現の一つ、東霧島権現社 別当・勅詔院で、霧島盆地・北諸地方を代表する山岳信仰の神社。
詳細は東霧島神社で。


神柱宮 神柱宮(かんばしら宮)
天照皇大神(あまてらすすめおほかみ)・豊受姫大神(とようけひめのおほかみ)祀るお社です。
島津荘の開拓のために大宰府より移住した平季基が、万寿3年(1026年)、天照皇大神の神託を受けて伊勢神宮より勧請したのに始まると伝えられる。以来、島津荘総鎮守として崇敬された。
詳細は神柱宮で。


狭野神社 狭野神社(さの神社)都城鎮座
御祭神は 神日本磐余彦命(かむやまといはれひこのみこと)(神武天皇)
由緒や創建の時期は明かでないが、大永6年(1526)に再興された記録があり、古くから当地方の宗廟として崇敬。 (※高原町の狭野神社とは違います。)  
詳細は狭野神社で。


的野正八幡宮 的野正八幡宮
息長帯姫命 誉田別命 玉依姫命を祀るお社です。
三股院(現在の山之口町・高城町・三股町・都城市の一部)の総鎮守であり、歴代の院司や領主は勿論、多くの民から厚い崇敬を受けていた。

詳細は的野正八幡宮で。


南方神社 (山之口町) 南方神社
建御名方命(たけみなかたのみこと) 事代主命(ことしろぬしのみこと)、八坂乙女神(やさかとめのかみ)を祀るお社です。長野県の諏訪大明神から日向国司が分神として、国の二ヶ所に祭ったのが始まり。
詳細は南方神社で。



興玉神社 興玉神社(こだま神社)
猿田彦神(さるたひこのかみ)を祀るお社です。
内神殿(厨子)が昭和58年6月、国の重要文化財に指定された。これは、応永6年(1399年)の製作で現在南九州最古の建造物とされている。
詳細は興玉神社で。


早水神社 早水神社
仁徳天皇、髪長媛、髪長媛の父である諸県君牛諸井(もろかたのきみうしもろい)祀るお社です。
仁徳天皇の妃となった髪長姫の生誕地とされております。五世紀頃(古墳時代)国造諸県君牛諸井は諸県地方を治めており、この地方の豪族の娘と結婚、その間に生まれた娘、髪長姫は絶世の美人でしたので朝廷に召されました。
詳細は早水神社で。


荒武神社 荒武神社
伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)・天照大神(アマテラスオオミカミ)・天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)・瓊々杵尊(ニニギノミコト)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・神武天皇の八神 性空上人によって、霧島山不動明観寺と同時に境内に荒武六所権現として造られ、霧島山の南門とされた。 
詳細は荒武神社で。



山田神社 (華舞神社) 山田神社(華舞神社)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)木花咲耶姫(このはなさくやひめ) 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)豊玉姫(とよたまひめ) 鵜葦草葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)玉依姫(たまよりひめ) 明治初期に、月夜見命)、上筒男命、中筒男命、底筒男命の四神を合祀。
華舞権現 
詳細は山田神社(華舞神社)で。



安原神社 安原神社
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)木花咲耶姫(このはなさくやひめ) 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)豊玉姫(とよたまひめ) 鵜葦草葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)玉依姫(たまよりひめ)を祀る。 安原権現 
詳細は安原神社で。


高原町

狭野神社 狭野神社 (霧島六社権現)
狭野神社は、神武天皇 (カムヤマトイワレヒコノミコト) 幼名、狭野尊(さのみこと) を祀るお社です。
神社名は皇子原で誕生した狭野尊に由来している。
詳細は狭野神社で。


霧島東神社 霧島東神社 (霧島六社権現)
高千穂峰への中腹、標高500メートルの高台に鎮座。創建は第10代崇神天皇の代、と言われ、ニニギノミコトが天孫降臨された際に、初めて祖先の神々を祀ったところと伝えられている。
御祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大神・天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊。
詳細は霧島東神社で。


霞神社 霞神社
御祭神 大巳貴命、少彦名命、保食命、稲荷神
古来より、農業、畜産、疾病、縁結、開運の神様として霊験著しく旧藩時代領主島津家の信仰厚く、度々鹿児島より神司を遣わし祭祀を執り行うと記録に見る。
丘の東面、社殿後方岩巌縫隙に白蛇棲息す。
詳細は霞神社で。


皇子原神社 皇子原神社 (狭野神社末社)
御祭神 神倭伊波礼天皇(神武天皇) 御幼名 狭野尊(さののみこと)
古く霧島山上に鎮座されていたと伝へる霧島狭野神社が噴火の厄難をさけて皇子原に一旦ご鎮座。神仏習合時代にはこの由緒に因み「皇子原神社」を奉斎、その復元として今日の「皇子原神社」を奉斎。
詳細は皇子原神社で。


小林市

霧島岑神社 霧島岑神社 (霧島六社権現)
祭神(瓊瓊杵尊、木花咲耶姫、彦火火出見尊、豊玉姫、鵜草葺不合尊、玉依姫)
霧島岑神社は、創建年代は分からないが、「続日本後記」に仁明天皇の承和4年(839)日向国諸県郡霧島岑神は官社に預かり、のち従五位上を授けられた」とその名が 現われている。
詳細は霧島岑神社で。


えびの市

白鳥神社 白鳥神社 
御祭神j 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。古来より白鳥山をはじめ霧島の山々は神山であり、当地は日本武尊が熊襲征伐に下向された縁深く、既に日本武尊また熊襲族の神々が祭られていたと考えられるが、平安後期の天徳3年(959)天台宗の名僧性空上人が、霧島六観音御堂で修行していた時に御神宣を受け、白鳥権現社を建立したと言われている。
詳細は白鳥神社で。



日向神話 日向三代



日向神話 日向三代




スピリチュアルみやざき 心の安らぎと癒しを巡る旅 江原啓之さんに聞く、スピリチュアル宮崎 



以下は宮崎県ではありませんが・・九州の神社を一部掲載

(鹿児島県霧島町)

霧島神宮 霧島神宮 (霧島六社権現)
迩迩芸命(ニニギノミコト)を祀る。霧島神宮は創建が6世紀という古い歴史を誇る神社です。
最初は高千穂峰山頂にありましたが、霧島山の噴火によりたびたび火災にあい、次にその西の中腹、そして高千穂河原へ移り、1484年に今の場所へ移って来た。現在の社殿は江戸中期1715年(正徳五年)、第21代藩主島津吉貴公により造営寄進されたもの。
詳細は霧島神宮で。


(福岡県)

太宰府天満宮 大宰府天満宮 
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は太宰府市にある神社で菅原道真を祀る天満宮の一つ。
学問の神様として崇められ毎年初詣は全国から200万人以上の参詣者がある。 
詳細は大宰府天満宮で。


箱崎宮 筥崎宮
主祭神 応神天皇(おうじんてんのう)、筥崎宮(はこざきぐう)は、醍醐天皇の延長元年(923年)に創建され、延喜式神名帳に八幡大菩薩筥崎宮一座名神大社とある。大分県宇佐市の宇佐神宮、京都府八幡市の石清水八幡宮と共に日本三大八幡宮として朝野の崇敬あつく、特に鎌倉時代以降は武神として武家の信仰をあつめた。 
詳細は筥崎宮(箱崎宮)(はこざきぐう)で。


(佐賀県)

祐徳稲荷神社 祐徳稲荷神社
倉稲魂大神、大宮売大神、猿田彦大神を祭る。
日本三大稲荷の一つに数えられ商売繁昌、家運繁栄、大漁満足、交通安全等種々の祈願が絶えず、参拝者は年間300万人に達しています。
詳細は祐徳稲荷神社で。


(熊本県)

阿蘇神社 阿蘇神社
御祭神 阿蘇の開拓祖、健磐龍命(たけいわたつのみこと)(阿蘇大神)をはじめ十二神
創建 孝霊天皇9年(紀元前282年)
肥後国一の宮、旧官幣大社 末社は全国に500社を超える「阿蘇神社」の総本社。
阿蘇の火まつり 火振り神事や宇奈利 (おんだ祭り) も有名。
詳細は阿蘇神社で。


青井阿蘇神社 青井阿蘇神社 
建磐龍命 阿蘇津媛命(建磐龍命の后) 国造速甕玉神 (両神の子)を祀る。青井阿蘇神社は、平安時代、第51代平城天応の大同元年(806年)阿蘇神社の御分霊を勧請し創建されました。鎌倉時代初期に相良氏が遠江(静岡県)から当地へ入国してからは氏神として崇敬を受け、地域色を強めてきました。
詳細は青井阿蘇神社で。

宮崎県内の神社を紹介)

このページは「神話のふるさとみやざき」、「みやざきの神社」の魅力をお伝えしたく、公開しているページです。

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