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霧島岑神社 表参道と仁王像 霧島岑神社 表参道と仁王像

− 霧島岑神社 表参道と仁王像 −

霧島岑きりしまみね神社 小林市細野鎮座
kirishimamine shrine

霧島岑神社 社殿 霧島岑神社 社殿

− 霧島岑神社 社殿 −

霧島岑神社 御由緒

霧島岑神社は、創建年代は分からないが、「続日本後記」に平安時代初期の第54代 仁明(にんみょう)天皇の承和4年(839)、日向国諸県郡霧島岑神は官社に預かり、のち従五位上を授けられた」とその名が現われている。

〔御祭神〕瓊々杵尊(ニニギノミコト)・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)・彦穂々出見尊(ヒコホホデミノミコト)・豊玉姫命(トヨタマヒメ)・鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・玉依姫命(タマヨリヒメ)

霧島は、噴火を繰り返す自然の厳しさの象徴として山岳信仰の場として日本有数の霊場であり、、霧島で修行をする修験者たちの拠点となったところ、霧島岑神社は、性空上人が開いた(整備した)霧島六所権現のひとつです。
当時 霧島岑神社は高千穂峰中腹(高千穂峰-御鉢の鞍部にある、せたお(脊門丘・瀬多尾等の文字をあてる。)に座し霧島中央権現宮とも呼ばれていた。
鳥羽天皇の天永3年2月3日、「御鉢」が噴火、社寺共に焼失。その後、高千穂峰-矢岳間等(新瀬戸尾、岡原、夷守岳中腹)など、霧島噴火に伴うたび重なる焼失で、各所に遷座、1873年(明治6年)に現在の場所に遷されたもの。
1874年(明治7年)に同じく六所権現の一つ「夷守(ひなもり)神社」と合祀、現在の霧島岑神社となっている。

島津義弘が飯野城に居た頃は、特に当社を敬仰、度々参拝したという。
当時は霧島中央権現の名が高く参拝の徒が四方から雲集したが夷守岳へ遷宮の後漸く少くなったという。
出展元:現地案内板より。

雛守権現社(三国名勝図会より) 雛守権現社(三国名勝図会より)

− 雛守権現社(三国名勝図会より) −

霧島中央権現宮(三国名勝図会より) 霧島中央権現宮(三国名勝図会より)

− 霧島中央権現宮(三国名勝図会より) −


式内社の霧島神社 について・・・

延喜式の神名帳には「諸県郡一座小 霧嶋神社」とあり、これが六社権現の内のどの社を指すかは諸説あり、はっきりしていないが、中央権現の称からしてこの霧島岑神社とする説がある。

〔参考〕 以下は天皇家の“ふるさと”日向をゆく (新潮文庫) 梅原猛著 より一部引用
“霧島岑神社はかつては、霧島中央権現と呼ばれていた。
『延書式』の「神名帳」には「諸県郡一座小 霧嶋神社」とあるが、これが六社権現のうちどの社を指すかははっきりしていない。霧島神宮であるという説もあるが、中央権現の称からして、この霧島岑神社こそ式内社の霧島神社であるという説がもっとも正しいと思われる。『統日本後紀』(しょくにほんこうき)に、仁明天皇の承和四年(837)、日向国諸県郡霧島峰の神に従五位上を与えたとあるが、これはやはり霧島岑神社であろう。”


〔参考〕wikipadiaより一部引用
“三国名勝図会には『霧島大権現宮』と六社の本宮であったことが記されており、かつては霧島中央権現とも称されていた事などから、本来は当神社が霧島神社の本元本宮としての「霧島岑神宮」として、霧島六社権現の御本社となるはずであったものを、当時の明治政府の中枢にいた薩摩藩閥の政治力によって鹿児島県側にある分社の西御在所霧島権現(現霧島神宮)が御本社の様になったものと思われる。”


霧島岑神社の文化財等

霧島岑神社の霧島岑御神像六躰(瓊瓊杵尊、木花咲耶姫、彦火火出見尊、豊玉姫、鵜草葺不合尊、玉依姫)は、市指定有形文化財に指定されている。
 

霧島岑神社 交通アクセス・地図等の情報

鎮座地:〒886-0004 宮崎県小林市大字細野4937番
地図:GoogleMapMapion
マップコード(227 460 432*44)
緯度経度:N=31.57.45.2 E=130.57.36.9(日本測地系)
小林ICより車で約25分、JR小林駅より車で約20分
県道104号沿いに鳥居がありますのでわかると思います。
参道前左側に100台駐車できる大きな駐車場がありますので、ここに駐車の上、苔むした表参道で参拝されることをおすすめします。この参道空間は厳か、癒されます。北参道を車で行くと、社殿横にある「北参道駐車場(20台)」もあります。
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霧島岑神社周辺地図 霧島岑神社周辺地図

− 霧島岑神社周辺地図 −



表参道の入り口では「仁王像」が守護する

表参道の入口で、享保元年(1716)建立の仁王像(阿・吽)が守護する。かつての神仏混交を想像させる場面です。

霧島岑神社 仁王像 霧島岑神社 仁王像

− 霧島岑神社 仁王像 −
 
霧島岑神社 仁王像
霧島岑神社 仁王像

 


霧島岑神社 参道

社殿へと続く木々に覆われ、苔むした石段は、厳かな空気が漂います。北参道でショートカットせず、こちらの表参道を歩いて向かう事を強くおすすめします。

霧島岑神社 表参道にて 霧島岑神社 表参道にて

− 表参道 −
 
ご神木・樹齢400年のイチイガシ
霧島岑神社 表参道にて
− 表参道石段 −

 
 
霧島岑神社 表参道にて
− 表参道石段 −
霧島岑神社 表参道にて
− 表参道石段 −

 
 
霧島岑神社 表参道にて
− 表参道石段 −
霧島岑神社 表参道にて
− 表参道 −

 



第二鳥居の奥には、ご神木“縁結びの木”、柞(イスノキ)と梛(ナギ)が第3の鳥居を形成している。
 
鳥居
− 鳥居 −
柞(イスノキ)と梛(ナギ)

 
 
霧島岑神社 拝殿内
− 拝殿内 −
霧島岑神社 社殿

 
 
本殿鞘堂
− 本殿鞘堂 −
馬頭神社・繭(まゆ)神社

 


霧島六社権現(六所権現社)と性空上人


霧島には霧島山を囲むようにして霧島六社権現と総称される一連の神社がある。
霧島神宮(西御在所霧島権現社 別当・華林寺)(鹿児島県霧島町)、をはじめ、東霧島神社(つま霧島と読む)(東霧島権現社 別当・勅詔院)(宮崎県都城市高崎町)、狭野神社(狭野大権現社 別当・神徳院)(宮崎県高原町)、霧島東神社(霧島東御在所権現社 別当・錫杖院)(宮崎県高原町)、霧島岑(みね)神社(霧島中央権現宮 別当・瀬多尾寺)(宮崎県小林市)。(夷守神社(雛守権現社 別当・宝光院) は霧島岑神社へ合祀の為現在は五社となる。)
*“権現名”については、「三国名勝図会」記載の呼称を記載しました。

これらの神社を六社権現として*整備・再建したのは十世紀、村上天皇の頃 天台法華仏教を奉じ、修験道の信仰を確立した性空上人(しょうくう上人)でした。
性空上人は霧島でも修行、霧島山信仰を体系づけたといわれております。
*各神社の創建自体はさらに時代をさかのぼります。各ページを参照願います。

 霧島六社権現(五社の写真をダイジェスト風に掲載)
 霧島神社総数諸説(三国名勝図会より)
 霧島六社権現の地図(Google Mapで作成したもの。)

当サイト内 関連ページリンク

霧島六社権現

霧島岑神社、霧島他関連リンク

宮崎県のWEBサイトよりみやざきの神話と伝承101:御池と性空上人 
当サイト内検索(画像も)出来ます。



霧島岑神社(宮崎県小林市鎮座)


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