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霧島六社権現タイトル画像 霧島六社権現タイトル画像

− 平成26年2月11日 建国記念の日 冠雪した高千穂峰 −

霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)

 
霧島には霧島山を囲むようにして、霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)と総称される、神社があります。霧島六社権現は、一社に祀る神が六座あるところから、霧島六所権現(きりしまろくしょごんげん)とも称されます。


薩摩藩が編さんした「三国名所図会」では、6世紀 欽明天皇の時代に、慶胤(けいいん)と名乗る真言宗の僧侶が、高千穂峰と火常峰(御鉢)との中間にある背門丘に社殿を建立した、と伝えております。

これらは、霧島の火山「御鉢」や「新燃岳」の度々の噴火による焼損で、途絶えたり、移動したりします。

後に、十世紀 平安時代 村上天皇の頃、性空上人の頃の開山で、「霧島六社権現」が確立されます。

諸説あるようですが、このページでは、現在、一般的に「霧島六社権現」(霧島六所権現)と称される、霧島の神社、五社(一社は合祀につき現存するのは五社となります。)の写真を紹介します。

性空上人像(霧島東神社にて)


 
ご覧のこのページでは、霧島六社権現各神社の写真を抜粋し、いくつか掲載しておりますが、他にも多くの写真がありますので、ご興味のある方は、各神社の紹介最下段にある、リンク先ページもご覧いただければ幸いです。

令和2年(2020年)は、日本書記編さん1300年、節目の年です。この機会に「霧島六社権現巡り」はいかがでしょう。
車で廻れば、5社を一日で参拝出来ます。

天逆鉾(あまのさかほこ) 天逆鉾(あまのさかほこ)

− 天逆鉾(あまのさかほこ) −

※上写真は、高千穂峰山頂で撮影した「天逆鉾(あまのさかほこ)」の写真を神話風にデジタル加工処理したものです。


「霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)」と別当寺

霧島神宮(西御在所霧島権現社 別当・華林寺)(鹿児島県霧島町)
霧島東神社(霧島東御在所権現社 別当・錫杖院)(宮崎県高原町)
霧島岑(みね)神社(霧島中央権現宮 別当・瀬多尾寺)(宮崎県小林市) 
狭野神社(狭野大権現社 別当・神徳院)(宮崎県高原町)
東(つま)霧島神社(東霧島権現社 別当・勅詔院)(宮崎県都城市高崎町)

夷守(ひなもり)神社 (雛守権現社 別当・宝光院) は霧島岑神社へ合祀の為、現在は五社となります。)
*権現名については、薩摩藩編さんの「三国名勝図会」記載の呼称を記載しました。

これらの神社を六社権現として整備・再建したのは十世紀 平安時代 村上天皇の頃、天台法華仏教を奉じ、修験道の信仰を確立した性空上人〔延喜10年(910年)〜 寛弘4年3月10日(1007年)〕でした。性空上人は霧島でも修行、霧島山信仰を体系づけたといわれております。
これらの神社自体の創建年代は、さらにさかのぼるところもあります。
霧島の神社の歴史は、霧島火山の噴火と切り離せない歴史でもあります。

霧島神社総数諸説 (三国名勝図会より)
霧島六社権現の地図 (Google Mapで作成したもの。)





霧島神宮(西御在所霧島権現社 別当・華林寺)

天孫降臨神籬斎場(てんそんこうりんひもろぎさいじょう) 天孫降臨神籬斎場(てんそんこうりんひもろぎさいじょう)

− 天孫降臨神籬斎場(てんそんこうりんひもろぎさいじょう) −

霧島神宮(西御在所霧島権現社 別当・華林寺)

霧島六社権現 西御在所霧島権現社 別当・華林寺 三国名勝図絵会 霧島六社権現 西御在所霧島権現社 別当・華林寺 三国名勝図絵会

− 霧島六社権現 西御在所霧島権現社 別当・華林寺 三国名勝図絵会より −

霧島神宮 御祭神・御由緒等

〔主祭神〕 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
〔配祀〕 木花咲耶姫尊(コノハナサクヤヒメ)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・豊玉姫尊(トヨタマヒメ)・鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・玉依姫尊(タマヨリヒメ)・神日本磐余彦尊(カムヤマトイハレヒコノミコト)(神武天皇)

霧島神宮は創建が6世紀(欽明天皇の頃)という古い歴史を誇る神社です。

鎮座地
〒899-4201 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
アクセス 地図 GoogleMap(駐車場の位置)
緯度経度 N=31.51.12 E=130.52.24(日本測地系)
JR日豊本線 霧島神宮駅よりバスで10分
 
霧島神宮 勅使殿正面
− 勅使殿正面 −

 
 
霧島神宮 秋・紅葉の名所
霧島神宮 性空上人墓
− 性空上人墓 −

 

→ 霧島神宮の写真をもっと見る。 → 天孫降臨神籬斎場(古宮址)の写真を見る。 


霧島東神社(霧島東御在所権現社 別当・錫杖院)

霧島東神社 神門より本殿へ続く参道 霧島東神社 神門より本殿へ続く参道

− 霧島東神社 神門より本殿へ続く参道 −

霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)(霧島東御在所権現社 別当・錫杖院)

霧島六社権現 霧島東御在所権現社 三国名勝図絵会 霧島六社権現 霧島東御在所権現社 三国名勝図絵会

− 霧島六社権現 霧島東御在所権現社 三国名勝図絵会より −

霧島東神社 御祭神・御由緒等

〔主祭神〕 伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)
〔配祀〕 天照大神(アマテラスオオミカミ)・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・神日本磐余彦尊(カムヤマトイハレヒコノミコト)(神武天皇)

創建は*第10代崇神天皇の代、と言われ、ニニギノミコトが天孫降臨された際に、初めて祖先の神々を祀ったところと伝えられている。

鎮座地
〒889-4414 宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田6437
アクセス 地図 GoogleMap(駐車場の位置)
緯度経度  N=31.53.19 E=130.57.56(日本測地系)
 
霧島東神社拝殿

 
 

 
 
霧島東神社 境内参道
− 境内参道 −

 
 
石の天逆鉾
− 石の天逆鉾 −
性空上人
− 性空上人 −

 

→ 霧島東神社の写真をもっと見る。 祓川神楽(高原の神舞)の写真を見る。


霧島岑(みね)神社(霧島中央権現宮 別当・瀬多尾寺)

夷守神社(雛守権現社 別当・宝光院)
夷守(ひなもり)神社 (雛守権現社 別当・宝光院) は霧島岑神社と合祀

霧島岑神社参道より、二の鳥居ごしに神社をのぞむ 霧島岑神社参道より、二の鳥居ごしに神社をのぞむ

− 参道より、二の鳥居ごしに神社をのぞむ −

霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)(霧島中央権現宮 別当・瀬多尾寺)

霧島六社権現 雛守権現社 三国名勝図絵会 霧島六社権現 雛守権現社 三国名勝図絵会

− 霧島六社権現 雛守権現社 三国名勝図絵会より −

霧島六社権現 霧島中央権現宮 三国名勝図絵会 霧島六社権現 霧島中央権現宮 三国名勝図絵会

− 霧島六社権現 霧島中央権現宮 三国名勝図絵会より −




霧島岑神社 御祭神・御由緒等

〔祭神〕瓊々杵尊(ニニギノミコト)・木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)・彦穂々出見尊(ヒコホホデミノミコト)・豊玉姫命(トヨタマヒメ)・鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・玉依姫命(タマヨリヒメ)

創建年代は分からないが、「続日本後記」に平安時代初期の第54代 仁明(にんみょう)天皇の承和4年(839)、日向国諸県郡霧島岑神は官社に預かり、のち従五位上を授けられた」とその名が 現われている。当初霧島山の「脊門丘」にあったとされていますが、たびたびの噴火により社殿を焼失。明治5年、現在の地にあった夷守神社と合祀、奉遷、今日に至っています。 (右図は雛守権現社)

鎮座地
〒886-0004 宮崎県小林市大字細野4937番
アクセス 地図 GoogleMap
緯度経度 N=31.57.44 E=130.57.43(日本測地系)
 
霧島岑神社拝殿
仁王像と参道
− 仁王像と参道 −

 
 
参道
− 参道 −
参道
− 参道 −
境内の鳥居
− 境内の鳥居 −

 

→ 霧島岑神社の写真をもっと見る。


狭野神社(さのじんじゃ)(狭野大権現社 別当・神徳院)

狭野杉に覆われた、日本最長規模の長さの参道 狭野杉に覆われた、日本最長規模の長さの参道

− 狭野杉に覆われた、日本最長規模の長さの参道 −

狭野神社(さのじんじゃ)(狭野大権現社 別当・神徳院)

霧島六社権現 狭野大権現社 三国名勝図絵会 霧島六社権現 狭野大権現社 三国名勝図絵会

− 霧島六社権現 狭野大権現社 三国名勝図絵会より −

狭野神社 御祭神・御由緒等

〔主祭神〕 神日本磐余彦天皇 (カムヤマトイハレヒコノスメラミコト) (神武天皇、御幼名 狭野尊)
〔配祀〕 吾平津姫命(アヒラツヒメ)・天津彦火瓊瓊杵尊(アマツヒコニニギノミコト)・木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・豊玉姫命(トヨタマヒメ)・鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・玉依姫命(タマヨリヒメ)

孝昭天皇(人皇第五代)の御代 神武天皇の御降誕の地(皇子原)に社殿の創建があったのが、狭野神社の創祀という。

鎮座地
〒889-4414 宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田120
アクセス 地図 GoogleMap(参道途中にある駐車場の位置)
緯度経度 N=31.54.17 E=130.58.29(日本測地系)
 
狭野神社拝殿
− 狭野神社拝殿 −
鳥居
− 鳥居 −

 
 
門
−  −
仁王像
− 仁王像 −

 
 
狭野神楽
− 狭野神楽 −

 

→ 狭野神社の写真をもっと見る。 苗代田祭(俗に「ベブがハホ」)写真を見る。


東霧島神社(東霧島権現社 別当・勅詔院)

東霧島神社 神石 東霧島神社 神石

− 東霧島神社 神石 −

東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)(東霧島権現社 別当・勅詔院)

霧島六社権現 東霧島権現社 三国名勝図絵会 霧島六社権現 東霧島権現社 三国名勝図絵会

− 霧島六社権現 東霧島権現社 三国名勝図絵会より −

割裂神石 三国名勝図絵会 割裂神石 三国名勝図絵会

− 割裂神石 三国名勝図絵会より −

東霧島神社 御祭神・御由緒等

〔主祭神〕 伊弉諾尊(イザナギノミコト)
〔配祀〕 天照大神(アマテラスオオミカミ)・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)・天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)・鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・神日本磐余彦尊(カムヤマトイハレヒコノミコト)(神武天皇)

第五代孝昭(こうしょう)天皇の御世に創建されたと伝えられる。

鎮座地
〒889-4504 宮崎県都城市高崎町東霧島1560 
アクセス 地図 GoogleMap(駐車場の位置)
緯度経度 N=31.50.29 E=131.3.51(日本測地系)
 
東霧島神社拝殿
400年杉に龍
− 400年杉に龍 −
零石神石
− 零石神石 −

 
 
霊石神石
− 霊石神石 −

 

鬼岩階段(鬼磐階段)

鬼が一晩で積み上げたという伝えの残る有名な「鬼岩階段」。自然石の乱れ積みに付き、多少数える人によって変わり170〜180段とか・・天台宗や真言宗の僧侶たちは、一心に念仏を唱えながらこの石段を登り修行をしたという。
この階段は振り向かずの坂とも呼ばれ、後ろを振り向かずに、願い事を唱えながら登り切るとその願いがかなうといわれています。
鬼岩階段を日が登って来る様子は感動的でした。

鬼岩階段(鬼磐階段) 鬼岩階段(鬼磐階段)

− 鬼岩階段(鬼磐階段) −


→ 東霧島神社の写真をもっと見る。






霧島山噴火と霧島六社権現

霧島山信仰の源は、美しい山容と、たびたびおこる火山の噴火に起因するのではないかといわれている。

霧島連山の夕景 御池より 霧島連山の夕景 御池より

− 霧島連山の夕景 御池より −
御池は、噴火によって出来た火口湖です。


かつて霧島元宮のあった「脊門丘せたお

脊門丘(せたお) 脊門丘(せたお)

− 霧島元宮のあった脊門丘(せたお) −
現在、石の祠が祀られています。

西御在所霧島六所権現すなわち霧島宮は、田口村霧島山西側の中腹にある。
欽明天皇の頃に創建したと言い伝える。
後に山上から噴火し(延暦七年〈788〉七月の噴火とする説がある)、寺社が焼亡してから年月が経った。
最初、上古の神社は現在の社地から東一里十町に当たる霧島山の峯である矛峯と火常峯(西峯)との中間、脊門丘にあったが、天暦年間に性空が脊門丘から現在の地に神社を移して六所権現と号した。それからおよそ二百八十年を経て、文暦元年甲子〈1234〉十二月二十八日に山上からまた噴火し、神社・寺院および什宝、文書等をことごとく消失した。
その後二百五十年ほどの間は、神社・寺院は共に廃され、ただ仮宮のみがあった。
文明十六年甲辰〈1484〉に兼慶法印が往時の社地を入手することを得て、社殿を建立して六所権現を遷宮し、往時の壮麗さに復した。
だから現在の地は村上天皇の時、性空が神社を遷した場所である。
社殿が脊門丘にあった時は、高千穂神社と称しただろうかという。[三国名勝図会]

霧島の噴火の歴史より霧島六社権現関連を一部抜粋

788年 延暦7年 3月4日 (788.4.18)
七月巳酉の日、太宰府から報告、「去る三月四日戌の刻、大隅国の曽於郡曽乃峯で火炎が盛んに上がり、響きは雷のようであった。亥の刻におよんで火光はようやく止まり、ただ黒煙だけが見えるようになった。そしてその後、砂が降り、山頂下五・六里は砂石が積もり、二尺にも及んでいるようだ。その色は黒い」。[続日本紀]
この時の噴火により狭野社焼失 (御鉢噴火) 脊門丘 霧島元宮焼失

945年 天慶8年
霧島山噴火。性空が・・・誠心をこめて山頂に登り、法華経を唱えること七日にして神勅を受けようと五日間滞在したが、全山震動して猛火を発し、しばらく止みそうにはなかった。

1112年 天永3年2月3日 (1112.3.9)
西峯噴火(新燃岳) 噴火により錫杖院・神徳院などの社寺焼失

1234年 文暦1年12月28日 (1235.1.25) 
噴火は甚だ盛んで、霧島の神社・寺院および什宝、文書等をことごとく消失した。 東(つま)霧島に一時奉遷。

1592年 文禄1年 霧島山噴火、山頂の天逆鉾破損

1716年 享保1年9月26日 (1716.11.9) (いわゆる享保の噴火です。)
9月26日の夜半頃から霧島の西岳(新燃岳)が震動して、噴火破裂、高原の狭野社、神徳院、霧島東御在所社、錫杖院、小林の霧島中央宮、瀬戸尾寺および高原、高崎、小林等の民家、山林はみな燃えた。一書には、東霧島社もこの噴火で焼けたという。

霧島山両部池のあたりで、新たに大きく噴火した。高原の東霧島神社、狭野権現の社、神徳院の寺中、門前ならびに高原の野町、小林の瀬戸尾権現の社、ならびに別当寺はことごとく焼失、小林の山の九ヵ所の狩場が焼失、高原、高崎あたりは石・灰で田畑を多く埋めた。
 東霧島社、狭野の神体は守って持ち出し、瀬戸尾社の神体は後日、焼け跡から掘り出した。今朝、福山町の者たち男女十一人が瀬戸尾へ参籠したところへ、山中が大噴火したので五人は焼死、六人はようやく命が助かり翌朝花堂まで下ったと、小林から申し出があった。

1717年 享保2年1月3日 (1717.2.13)
正月3日、霧島山の新しい噴火はまたまた規模が大きくなり、これ以後7日から11日まで続いて大噴火。その付近は火石で家屋が焼失し、錫杖院は寺家残らず焼失、田畑は石・灰で埋まり牛馬が多く死亡した。高原、高崎両所の役人たちまで方々へ引き移った。

参照元 『日本噴火志』(霧島山)・現代語訳


霧島連山 霧島連山

− 霧島連山 −
まさに「霧に浮かぶ島」霧島

霧島六社権現諸説

薩摩藩編さん「三国名勝図会」の霧島神社総数諸説では現在言われている六社の他に、都城市山田町鎮座の華舞六所権現(山田神社)、同じく山田町鎮座の安原霧島大権現(安原神社)の二社の事について述べ、「往古の霧島六社は六社とは異なっていたものか」と注記、また、荒武神社(都城市)についても述べている。

なお上記の他に、宮崎県えびの市の白鳥神社を数える説もあるようです。
白鳥神社は性空上人が六観音御堂で修行していた時に御神宣を受け、建立したと言われている。

「霧島山四方門中央社寺」説

「三国名勝図会」 に記載された「霧島山四方門中央社寺」説
「三国名勝図会」巻之五十四より

 東門 高原東御在所権現、別当東光坊
 南門 都城荒山獄権現、別当明観寺
 西門 曾於郡西御在所権現、別当華林寺 (鹿児島県)
 北門 小林雛守六所権現、別当宝光院
 中央 霧島中央瀬多尾六所権現、別当瀬多尾寺

霧島東神社 性空上人像 と 霧島東神社社宝 高千穂峰山頂の天逆鉾(あまのさかほこ)

 

 
霧島東神社、性空上人像 〔写真左〕
この尊像は、性空上人が入寂されてより一千年の御遠忌に当たる平成十八年、上人の遺徳を偲ぶ善男善女の奉賛により建立されたものである。尊像の右腕に杖つく錫杖は、金剛力により衆生の塵を払い人々を悟りに導く智杖であり、錫杖の音を聞くことによって一切の衆生は悪をやめ、善を修し悟りに達するといわれる。
また左掌に掲げる独鈷は、人間の心中の煩悩を払い本来の姿を現すための法具であり、性空にとっては見仏が叶わぬ時は両眼を盲にする悲願の象徴であった。
 ただ直向に道を求めて止まぬ性空の若き日の英姿には、仰ぎ見る人に明日を生き抜く力を与え続けるものがある。
霧島山東御在所縁起 霧島東神社由緒記 / 著者 楠本正  発行 霧島東神社より引用
高千穂峰山頂にある天逆鉾(あまのさかほこ)です。〔写真 中央・左〕
高千穂峰山頂は、霧島東神社の境内(飛び地)天逆鉾は霧島東神社の社宝です。


関連ページ 高千穂峰 高千穂峰登山
平成28年1月 新年 霧島六社権現参り 霧島岑神社
平成27年6月 新緑の霧島の神社
平成27年1月 霧島の神社 新年 霧島六社権現参り
 

緯度経度一覧(日本測地系)

霧島神宮(きりしま神宮) N=31.51.18.5 E=130.52.26.8
霧島東神社(きりしまひがし神社) N=31.53.17.8 E=130.57.52.3
霧島岑神社(きりしまみね神社) N=31.57.45.7 E=130.57.36.2
狭野神社(さの神社) N=31.54.18.1 E=130.58.21.1
東霧島神社(つまきりしま神社) N=31.50.30.6 E=131.3.45.5

霧島六社権現の地図 (Google Mapで作成したもの。若干ズレあり)
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霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)

- 2020年6月更新 -
このページは「神話のふるさとみやざき」、「みやざきの神社」の魅力をお伝えしたく、公開しているページです。

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