記紀編さん1300年 宮崎関連     
            
祇園神社(日南市)に八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を見た? 

祇園神社(日南市梅ヶ浜鎮座)に「牛頭天王」「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」を見た?




先日、日南市油津梅ヶ浜鎮座「祇園神社」に参拝してきました。梅ヶ浜祇園神社は何度か参拝、既に当サイト内ページ「祇園神社」で紹介しているのですが、今回、新たに撮影した洞窟の裏参道?の写真と共に、あらたな「牛頭天王」「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」発見?などのご報告・・。

まずは、「祇園神社」の御由緒、祭られる神々に関する紹介などを少しだけ・・。

日南市「祇園神社」は、宮崎市方面から国道220号線を日南市中心部へ向かう途中、広渡川にかかる広渡橋の近くに鎮座します。国道から、南下中、左前方に朱色の鳥居が見えます。

祇園神社は、「素蓋鳴命(スサノオノミコト)」「稲田姫命(クシナダヒメノミコト)」を祭り、本殿入口左右には、龍神[八岐大蛇(ヤマタノオロチ)]様と、日本における代表的な水の神[水波女命(ミズハノメノミコト)]様が祭られております。
洞窟はもともとは人口物ではなく、自然に出来たもので住民から「龍穴」と呼ばれ龍神をまつるなどしていたようです。
現地由緒書きによると、“この神社は疾病(特に腹痛など)除け 厄難除けの守護神で航海安全 商売繁盛 五穀豊穣 縁結びの神様であり人々を海難 水難を始め 諸々災難から守る神様として広く親しまれています。
大正12年、油津に赴任された宮崎鉄道管理所長の星野寅二氏のご尽力により大正13年4月に完成しました。当時三十数名の石工が工事に携わったと云われています。”との事です。
現在の形としての神社は、大正時代遷座されたもののようです。
もし、明治以前のものでしたら、明治時代の神仏希釈で「八坂神社」等になっていたかも知れません。

参考: 「祇園神社」の名称(wikipediaより一部抜粋・引用)
「祇園神社」の名称は、明治の「神仏分離」以前に現在主祭神とされている素蓋鳴命(スサノオノミコト)が祇園精舎の守護神である牛頭天王と同一視され祀られていたことから来ている。
明治に神仏分離が行われた際、仏教の神である牛頭天王は祭神から外され、神道の神であるスサノオが残ったが、同時に多くの神社名から仏教用語の「祇園」や「牛頭天王」が外され、総本社である京都の祇園神社も八坂神社と改名された。/引用おわり。)

「出雲神話」八岐大蛇(ヤマタノオロチ)

御祭神である「素蓋鳴命(スサノオノミコト)」「稲田姫命(クシナダヒメノミコト)」は、古事記・日本書紀、「出雲神話」八岐大蛇(ヤマタノオロチ)で登場する神々、おさらいをしておきましょう。
 
素蓋鳴命(スサノオノミコト)宮崎県商工会議所連合会設置 モニュメント
〔 素蓋鳴命 スサノオノミコト 〕

宮崎県商工会議所連合会設置
モニュメント
高千穂町岩戸で撮影したもの。
「草那芸之大刀」献上のシーン?
高天原を追放された素蓋鳴命(スサノオノミコト)は、出雲国の肥河の上流の鳥髪に降り立った。
箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。その夫婦は大山津見神(オオヤマチツミノカミ)の子の、足名椎(アシナヅチ)・手名椎(テナヅチ)であり、娘は稲田姫(クシナダヒメ)といった。
夫婦の間に娘が8人いたが、年に一度、高志から八岐大蛇(ヤマタノオロチ)という8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまう。今年も八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の来る時期が近付いたため,最後に残った末娘の稲田姫も食べられてしまうと、泣いていた。
素蓋鳴命は、稲田姫との結婚を条件に、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を請け負った。
まず、素蓋鳴命は稲田姫を櫛に変えてしまい、自分の髪に挿した。そして、足名椎と手名椎に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、8つの門を作り、それぞれに酒を満たした酒桶を置くようにいった。
準備をして待っていると八岐大蛇(ヤマタノオロチ)がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が酔って寝てしまうと、素蓋鳴命は十拳剣で切り刻んだ。このとき,尾を切ると剣の刃が欠け,尾の中から大刀が出てきた。そしてこの大刀を天照御大神に献上した。これが三種の神器の一つ「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」である。
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した素蓋鳴命は、櫛に変えた稲田姫を元の姿に戻し、彼女と暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国の須賀の地へ行き、そこで ※ 「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」 と、詠んだ。

※妻を守るために宮にいくつもの垣をつくったが、その八重の垣をめぐらせたように、出雲には雲が幾重にも湧く。(※は、地図と写真から見える!古事記・日本書紀より)

日本書紀での漢字表記は「八岐大蛇」ですが、古事記では「八俣遠呂智」です。

八つの頭と尾を持つ大蛇ーヤマタノオロチ  古事記の不思議を探る(國學院大學メディア)

 


祇園神社鳥居
[ 祇園神社鳥居 ]
梅ヶ浜に通じる道沿いに鳥居があり、奥に祇園神社が鎮座する洞窟が見えます。
普段、何気無くに見ている鳥居、知っているようで知らない鳥居の起源を調べてみました。
神社本庁サイトを参照すると、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋にお隠れになった際に、八百万の神々が鶏を鳴せましたが、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であるとする説。他に、外国からの渡来説などがあるようです。

祇園神社(ぎおんじんじゃ)洞窟内の参道
[ 祇園神社 洞窟内の参道 ]

牛頭天王? 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)?

今回発見したことなのですが・・、洞窟内の参道途中から後ろを振り向くと・・
牛頭天王にも見え、また、参道をあわせて見ると八岐大蛇(ヤマタノオロチ)にも見えます。
参考リンク → 画像検索「牛頭天王」
  牛頭天王? 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)?
[ 牛頭天王? 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)? ]


右下の写真は、説明の為、昨年ご紹介した出雲系神楽の写真より、八岐大蛇の一部を合成したものです。
こうやって見ると、なんとなく八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の一部にも見えませんか?
  八岐大蛇(ヤマタノオロチ)?
[ 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)? ]

祇園神社(ぎおんじんじゃ)(日南市油津) 
[ 祇園神社(ぎおんじんじゃ)社 ]

祇園神社(ぎおんじんじゃ)(日南市油津) 
[ 祇園神社(ぎおんじんじゃ)社 ]

本殿右の、龍神[八岐大蛇(ヤマタノオロチ)]様
祇園神社洞窟上から下を向く龍神(八岐大蛇(ヤマタノオロチ)
[ 洞窟上から下を向く龍神(八岐大蛇(ヤマタノオロチ) ]

本殿左手は落石危険、立ち入り禁止です。階段で上に出ることができるのでしょか?
社脇に置かれた御祈祷ロウソクの台など、かつての神仏習合を感じさせる神社です。
(祇園神社自体は大正時代の建立ではありますが・・・)
祇園神社(ぎおんじんじゃ)(日南市油津) 
[ 左手奥にある階段 ]

「龍の寝床」

右側に、水に浮かぶ神秘的な「龍の寝床」と呼ばれるらしい洞窟の参道があります。
今まで何度か来ておりますが「龍の寝床」の存在に気付きませんでした。
通路の脇は湧き水?が湧いており、水量の多い時期などには通路が冠水するようで、その際には入口にコーンが設置され通行規制になる事もあるようです。おそらく以前来た際は通行止めになっていたのかも知れません。 祇園神社右側の参道へ
[ 右側の参道へ ]

両脇は地下水、周囲は砂岩?鍾乳洞のような感じです。マイナスイオンの影響もあるのか、不思議にとても心が落ち着きます。
祇園神社 右側の参道内
[ 祇園神社 右側の参道内 ]

正面参道の神橋が水に反射して見えました。
[ 祇園神社 右側の参道内 ]

こちらの参道にも八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が・・・
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)
[ 祇園神社 右側の参道内 ]

祇園神社 右側の参道出口
[ 祇園神社 右側の参道出口 ]

祇園神社 鳥居 参道階段下より
[ 祇園神社 鳥居 参道階段下より ]

「祇園神社」は、地元紙「宮崎日日新聞」主催、「宮日新観光地百景」に認定されているようで、それを記念した石碑がありました。


祇園神社に関するアクセス等の情報

鎮座地:〒887-0017 宮崎県日南市梅ケ浜1丁目
JR:油津駅より徒歩20分
バス:最寄の宮崎交通のバス停は「梅ヶ浜」(経路時刻表等は検索をお願いします。)
車:宮崎空港より車で38分(東九州道使用)
地図:GoogleMap Mapfan Mapion マップコード(274 319 338)
緯度経度:N=31.35.11.1 E=131.24.38.3(日本地理系)
駐車場:神社鳥居横数十メートル先に数台分の駐車スペース・トイレあり。
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お奨め本の紹介 「地図と写真から見える!古事記・日本書紀」 / 西東社 


地図と写真から見える!古事記・日本書紀
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単行本 四六版 255ページ  著者 山本明 
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宮崎に限らず、日本神話ゆかりの地を訪れる際には、「記紀」をおさらいして旅すると、旅の趣も一段と変わるのではないでしょうか。
今日は、そんな、日本神話ゆかりの地を旅する際にお奨めする本の紹介です。
今回の記事を書くにあたり、出雲神話・スサノオノミコトなどをおさらいしたく、本棚から取り出し、読み直してみましたが、分かりやすく、記紀入門本としても、また、既に記紀をご存知の方が、流れをおさらいする意味でも、最適の本です。

書かれた主な内容の紹介


記紀の舞台 九州をめぐる
天の岩屋戸の地 天孫降臨の地 神武天皇伝承の地 神功皇后遠征の地 
海佐知毘古、山佐知毘古の地 倭建命伝説

記紀の舞台 出雲をめぐる
黄泉の国の入り口 八俣の大蛇の地 稲羽の素兎と国譲りの地 出雲大社

記紀の舞台 近畿をめぐる
奈良中心部 国生みの地 神武上陸の地 菓神天皇ゆかりの地 物部氏滅亡の地
聖徳太子ゆかりの地 乙巳の変の地 壬申の乱の地 藤原京の地 宮都の移りかわり 吉備の国

記紀に登場する神々を祀る神社1

記紀に登場する神々を祀る神社2

スポット所在地&アクセス一覧

序章 古事記、日本書紀とは
古事記とは 日本書紀とは 記紀の違い

1章 古事記 上巻

第1話 国生み 天地の始まり 神々の誕生 黄泉の国訪問
第2話 天の岩屋戸 神生み比べの誓約 太陽神の復活
第3話 八俣の大蛇 須佐之男命の大蛇退治
第4話 大国主神の国造り 稲羽の素兎 須佐之男命の試練
第5話 諸大国主神の国譲り 高天原からの使者 建御名方神の抵抗 大国主神の承諾
第6話 天孫降臨 高千穂に降り立つ 木花之佐久夜毘売
第7話 海佐知毘古・山佐知毘古 兄弟の争い 豊玉毘売の出産

コラム 1 神社の社号

2章 古事記 中巻

第1話 神武の東征 日向から熊野へ 熊野・吉野の戦い 大和平定
第2話 欠史八代 創作された8人の天皇
第3話 崇神神天皇の王権成立 三輪山の神 諸国平定
第4話 抄本毘売の悲劇 沙本毘古の謀反 もの言わぬ皇子 多遅摩毛理の嘆き
第5話 倭建命の遠征 景行天皇のふたりの子 熊曾・出雲征伐 東国征伐 倭建命の死と白鳥伝説
第6話 神功皇后の遠征 仲哀天皇の急死 新羅遠征 大和帰還
第7話 応神天皇と3人の子 応神天皇の治世と遺言 大山守命の乱 新羅から来た王子

コラム 2 邪馬台国と卑弥呼

3章 古事記 下巻
第1話 仁徳天皇と皇子たちの争い 聖帝の世 嫉妬深い皇后 皇位争い
第2話 允恭天皇の御子の悲恋 禁断の恋
第3話 争乱を制した大長谷命 目弱王の復讐 大長谷命の台頭 雄略天皇
第4話 意祁と蓑祁 発見された皇子たち 蓑祁の復讐

コラム 3 天皇と謡号

4章 日本書紀
第1話 雄略期の外交と吉備氏の反乱 強権を振るう雄略天皇
第2話 継体天皇と磐井の乱 継体天皇の即位 筑紫君磐井の乱 継体天皇の3人の皇子
第3話 仏教伝来 仏教をめぐる対立 物部氏の最期
第4話 推古天皇と聖徳太子 推古天皇の即位 聖徳太子の政治
第5話 乙巳の変 蘇我氏の専横 乙巳の変
第6話 大化の改新と白村江の戦い 大化の改新 白村江の戦い
第7話 律令政治の実現ヘ 壬申の乱 大宝律令

日本書記関連年表

以上

祇園神社(日南市)に八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を見た?


当サイト内関連ページ:祇園神社宮崎の神社日南海岸




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