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日向国 橘之 小戸神社 (おど神社) 宮崎市小戸神社 鎮座地:宮崎市 鶴島 3−93 地図:GoogleMap Mapfan Mapion (66 289 131) ※地図は鳥居前の駐車場 緯度経度:N=31.54.34.7 E=131.24.42.0 (日本測地系) 伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)を祀り、宮崎市内の江田神社、住吉神社とともに、みそぎの神話にまつわる神社。昔から海の神、航海の神としてあがめられている。 「小戸」とは狭い水門や港を意味する言葉とのことです。 小戸神社 御祭神主祭神 伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)合祀祭神 天照皇大神・大巳貴大神・素盞鳴大神・奇稲田姫を祀る。 小戸神社御由緒 (現地掲示御由緒より)「小戸」とは今の大塚地区と下北方地区との間、柏田より広がる下流域の三角州、すなわち旧宮崎市街地全域を指した古い地名である。小戸神社は旧称を「小戸大明神」といい約1900年前の景行天皇の勅により創建と伝わる。 都於郡城主、伊東祐堯が社殿を改築する等歴代藩主の崇敬篤く、三十町もの神領を有した。 また小戸さまとして親しまれ、広く御神徳が称えられたが、永禄大正年間の相次ぐ戦乱により宝物、旧記等を失い、さらに寛文2年(1662)西海大地震により、上別府の大渡の上に移転奉遷された。 しかしこの後も大淀川河口、阿波岐原の沖合い「小戸の瀬」は小戸神社御創建の清浄地として祀られ 「港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く」と今なお夏越歌に脈々と歌い継がれている。 寛文3年(1663)に現在の上野町に遷座する。 その後も古社として崇拝をあつめ、享保3年延岡藩主牧野氏から社地が寄進されるなど庇護を受け社殿が再興されている。 明治維新後に「小戸神社」と改称。昭和9年(1934)橘通りの拡張により御由縁深き大淀川辺りの現在地へ遷座し現在に至る。 実に神話の国宮崎の発展と共にある神社であり、その御神威は県内はもとより国中に広く尊崇貴き古名社である。 |
小戸神社の画像 (1280pixに拡大します)平成25年、御本殿・拝殿御屋根銅版葺き替えが行われました。 写真はすべて葺き替え後の写真へ差し替えました。→ 旧写真はこちら |
神門をくぐると、正面に御神木のオガタマノキ(招霊木)があります。 芸能の神として崇められる天鈿女命(アメノウズメノミコト)は、オガタマの木の実を振りながら 踊ったと言われています。また、オガタマの実の形から「神楽鈴」が作られたとも言われています。 |
右の写真は、境内社の 稲荷神社・恵毘須神社 撮影 平成26年6月中旬 |
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