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槵觸神社(くしふる神社)

 KUSHIFURU Shinto Shrine 

高千穂の位置(アバウト) 槵觸神社(くしふる神社) 鎮座地 宮崎県 西臼杵郡高千穂町大字三田井
 MapionMap GPS N=32.42.16 /E=131.19.01 辺り 天気予報 (高千穂町)
槵觸神社(くしふる神社)周辺概略マップ古事記に迩迩芸命(ニニギノミコト)が降り立った所を「筑紫(九州)の日向の高千穂のくじふる峰」と記され、その場所と考えられている「くしふる峰」の中腹にある神社。
天照大御神の孫、迩迩芸命(ニニギノミコト)が地上へ降り立った(降臨)の地(下段注参照)として伝えられています。
祭神は迩迩芸命(ニニギノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天太玉命(アマノフトダマノミコト) 武甕槌命(タケミカヅチノミコト)等
神社創建は不詳、はじめは社殿もなく山そのものをご神体として祀り、高千穂八十八社のひとつに数えられていた。
1694(元禄7年)当時の延岡藩主や村人たちの厚い信仰によって社殿が建てられた。
例祭日 10月16日 高天原四皇峯祭は10月15日
槵觸神社(くしふる神社)脇より山道を200m程歩くとと高天原遙拝所四皇子峰などがある。天真名井(あまのまない)もあるので、こちらもあわせてご覧になると良いかと思います。


ブログ等に間違って「くるふし神社」と書かれてらっしゃる方も多いようです、「槵觸神社(くしふる神社)」です。



槵觸神社(くしふる神社) 

Kushifuru Shrine

Kushihuru Shrine is a famous shrine where Niniglno−mikoto,the grandson of the sun goddess, descended. The whole mountain in this area was the object or worship enshrined.This shrine was built in 1694.

Kushifuru Shrine








槵觸神社(くしふる神社)の画像(一部を除き画像は拡大します)


平成25年7月撮影写真 10枚追加

杉の巨木に覆われた参道石段 厳か ここに立つだけで身が引き締まる思いです。
くしるふる神社参道 石段 と杉巨木01くしるふる神社参道 石段と巨木 02


夕立の後 ・・ 緑が美しい。 秋も是非訪れたいです。
くしるふる神社拝殿前くしるふる神社 新緑 04

くしるふる神社 新緑 05くしるふる神社 新緑 06


各部に施された見事な彫刻も、槵觸神社(くしふる神社)で是非見ていただきたいところの一つです。
くしるふる神社 彫刻くしるふる神社 本殿前彫刻


帰りは、拝殿右側より出て(裏参道?)沿いの杉の巨木群も是非見ていただきたいです。圧倒されます。
巨木 杉並木巨木杉群
平成24年10月撮影写真 4枚追加
槵觸神社(くしふる神社) 鳥居 平成24年10月撮影

槵觸神社(くしふる神社) 参道階段 拝殿 平成24年10月撮影

槵觸神社(くしふる神社) 拝殿 平成24年10月撮影

槵觸神社(くしふる神社) 本殿 平成24年10月撮影 


槵觸神社(くしふる神社) 08年撮影写真 04 鳥居 槵觸神社(くしふる神社) 08年撮影写真 05 拡大なし


槵觸神社(くしふる神社) 参道石段 槵觸神社(くしふる神社) 拝殿

槵觸神社(くしふる神社) 08年撮影写真 01 本殿 槵觸神社(くしふる神社) 08年撮影写真  02 本殿

本殿の彫刻がすばらしい。 彫刻だけ別ページにアップしました。→ 槵觸神社(くしふる神社)本殿の彫刻
槵觸神社(くしふる神社) 03  槵觸神社(くしふる神社) 04


槵觸神社(くしふる神社) 08年撮影写真  03 本殿






当サイト内、高千穂の神社ページへ(リンク)



高千穂 天真名井付近の概略地図


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日向国風土記逸文での「天孫降臨」


「日向の国の風土記に曰はく、臼杵の郡の内、知鋪(=高千穂)の郷。瓊々杵尊(ニニギノミコト)、天の岩座を離れ、天の八重雲を排けて、稜威の道別き道別きて日向の高千穂の二上の峯に天降りましき。
時に天暗冥く、夜昼別らず、人物道を失ひ、物の色別き難たかりき。ここに、土蜘蛛、名を大くわ、小くわと曰うもの二人ありて、奏言ししく、「皇孫の尊、尊の御手似ちて、稲千穂を抜きて籾と偽して、四方に投げ散らしたまはば、必ず開晴りなむ」まをしき。
時に、大くわ等の奏ししが如、千穂の稲を搓みて籾と偽して、投げ散らしたまひければ、即ち、天開晴り、日月照り光きき。困りて高千穂の二上の峯と日ひき。後の人、改めて智鋪と號く。」 / 秋本吉郎校注「日本古典文学大系2風土記」



記紀にみる天孫降臨(日向神話)


天孫降臨は天照大御神(アマテラスオオミカミ)の命令で孫の迩迩芸命(ニニギノミコト)を地上の国へとつわかし、天孫による支配を確立するきっかけとなった。迩迩芸命(ニニギノミコト)が降り立った所を、

古事記では
「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降ります」

日本書紀 には五種の説が併記
「日向の襲(そ)の高千穂の峯(みね)」
「筑紫(つくし)の日向(ひゅうが)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)」
「筑紫の日向の高千穂の串触之峯(くじふるのみね)」
「日向の襲之高千穂の串日二上峯(くしびふたかみのみね)」
「日向の襲之高千穂の添(そはり)の山峯」

天孫降臨の地は、西臼杵郡高千穂町と、鹿児島県との県境に位置する霧島の高千穂峰(高原町)の二説があります。

Book
天皇家の“ふるさと”日向をゆく」の著者 哲学者の梅原猛さんは 宮崎県発行季刊誌「Jaja」のインタビューで「霧島には高千穂という山(高千穂峰)はあっても地名は無く、稲作にも向いて無い事から、高千穂町の方と考えるべきかも知れない。」とコメントしている。

江戸時代の国学者 本居宣長は高千穂には二つの説があるものの「彼此を似て思へば、霧嶋山も、必神代の御跡と聞え、又臼杵郡なるも、古書どもに見えて、今も正しく、高千穂と云て、まがひなく、信に直ならざる地と聞ゆれば、かにかくに何れを其と、一方には決めがたくなむ、いとまぎらはし。」と、どちらにも決めることが出来ないと述べている。

本居宣長 古事記伝 巻十五 (文化5年(1808)版 町立高鍋図書館蔵)
「天孫降臨」の地、二つの高千穂について書かれた一部分。
本居宣長 古事記伝 巻十五 (文化5年(1808)版 町立高鍋図書館蔵)
“彼此を似て思へば、霧嶋山も、必神代の御後と聞え、又臼杵郡なるも、古書どもに見えて、今も正しく、高千穂と云て、まがひなく、信に直ならざる地と聞ゆかば、かにかくに、何れを其と、一方には決めがたくなむ、いとまぎらはし。/古事記伝 十五之巻”

本居宣長は、二説併記以外に、移動説も提示

“つづら思ふに、神代の御典に、高千穂峯とあるは、二処にて、同名にて、かの臼杵郡なるも、又霧嶋山も、共に其山なるべし、 其は皇孫命初て天降坐し時、先二の内の、一方の高千穂峯に、下着賜いて、それより、今一方の高千穂に、移幸しなるべし、 其次序は、何か先、何か後なりけむ、知るべきにあらざれども、終に笠沙御崎に留賜へりし、路次を似て思へば、初に先降着賜ひしは、臼杵郡なる高千穂山にて、其より霧嶋山に遷坐して、さて其山を下りて、空国を行去て、笠沙御崎には、到坐しなるべし / 古事記伝 十七之巻”


(関連リンク) 当サイト内関連ページ→ 高千穂峰(宮崎県西諸県郡高原町)


 くしふる峰の中腹、木々に囲まれ静かなところ
 でした。
 神社本殿に施された彫刻がすばらしいです。
 ぜひ本殿周囲の彫刻をご覧になってください。

 毎度泣かされるのが神社拝殿正面の撮影。
 階段を上りきったところすぐに神社拝殿があり、
 フレームに収める事が出来ないので複数枚の
 画像をやむなく合成しました。

 (正面からの画像はその苦心作でございます)



槵觸神社(くしふる神社) 宮崎県高千穂町

-2005/04- 2013/07写真追加

みやざき
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