- 1920 [大正9年] 4月 高千穂町制施行(明治22年三田井村、押方村、向山村が合併して高千穂村となっていた。)
- 1921 [大正10年] 5月 高千穂白動車株式全社設立
代表取締役志賀喜久三 (高千穂一延岡間1日2往復)
高千穂〜延岡間、6時間、6円
- 1922 [大正11年] 4月 鉄道施設法が施行され、熊本〜延岡間を国定鉄道網として指定。
- 1926 [大正15年] 7月 西臼杵郡役所が廃止され宮崎県西臼杵支庁が設置される。
- 1925 [大正14年] 5月 秩父宮殿下がご来町される。
11月 延岡〜高千穂間鉄道速成同盟会が結成。
- 1927 [昭和2年] 全国八十八景 宮崎県の観光地で唯一、高千穂峡選出。
- 1928 [昭和3年] 2月 国鉄高森線が開通する。 高千穂〜延岡間に電話が開通。(特設電話70台ほど)
- 1929 [昭和4年] 10月 「霊域・高千穂」が発刊され
る。(発行所・延岡売文社) 地元有志で高千穂。観光同好グループが結成され、活動する。
[志賀喜久三・今長隆観・竹内勲・中芝源次郎・奈須寿一・首藤珍平・押方繁蔵・遠藤一夫ほか]
[当時、高千穂の車台数139台]
- 1931 [昭和6年] 9月 鹿狩戸橋が完成する。(工事費34,659円)
10月 国立公園法が公布される。
- 1932 [昭和7年] 7月 岩戸大橋(旧つり橋)が完成する。(工事費33,000円)
8月 国鉄日之影線の鉄道工事が着工される。
9月 高千穂土産品開発・製造販売のため「日向物産研究所」を設立する。
詩人・西条八十と作曲家・中山晋平が来町する。
- 1933 [昭和8年] 8月 向山・柘の滝鍾乳洞が天然記念物に指定される。
9月 「神都高千穂峡」が発行される。竹内勲編纂(日向商工新聞社刊)
- 1934 [昭和9年] 10月 秩父宮、同妃殿下、梨本宮殿下がご未町される。
l1月 五ヶ瀬川渓谷(高千穂峡)が「名勝天然記念物」として文部大臣よリ指定される。
- 1935 [昭和10年] l1月 昭和天皇陛下、陸軍特別大演習で宮崎市に御成りの際「高千穂のかっぽ酒と刈干切姿・男女等身像(押方繁蔵作)」を天覧される。
- 1936 [昭和11年] 4月 国鉄日之影線が「川水流駅」まで開通する。
- 1937 [昭和12年] 1月 日華事変がおこる。 9月
国鉄日之影線が「槙峰駅」まで開通する。
- 1938 [昭和13年] 高千穂神楽保存会が「高千穂岩戸神楽」を発刊する。
- 1939 [昭和14年] 10月 国鉄日之影線が「日之影駅」まで開通する。.
日本観光連盟九州支部主催の「御神火九州継走」は高千穂神社から御採火される。
日向高千穂説を信奉する文士、文化人が多数来町して作品を発表する。(尾崎士郎、井伏鱒二岡田三郎、中川一政……)
- 1940 [昭和15年] 2月 岩戸村の笹之戸が大火にあう。(54戸が全焼)
3月 三田井中心街が大火にあう。(143戸が全焼)
3月. 日向高千穂を主題とする全日本写真競技大全入選作品集が発行される。
11月 紀元2600年式典が盛大に開催される。 高千穂が全国に顕彰される。
- 1941 [昭和16年] 3月 歌人北原白秋、高千穂に滞在し、町内をまわる。
- 1945 [昭和20年] 8月 太平洋戦争終る。
- 1947 [昭和22年] 1月 日之影・高森鉄道敷設期成同盟全が結成、貫通の請願をする。
5月 旭化成水ヶ崎発電所の建設計画をめぐって、「高千穂峡の観光か、発電か、」町内で賛否両論わかれ対立する。
7月 高千穂峡の「神橋」木橋流出により、石橋が竣工される。
10月 日向10景8勝のなかに、高千穂峡が入選する。
- 1949 [昭和24年] 1月 観光か発電か、旭化成水ヶ崎発電所建設懇談全は、結論が出ずもの別れになる。
(その後、調整がつき建設することになる) 旭化成水ヶ崎発電所の起工式が行なわれる。
高千穂峡に北原自秋の歌碑が建立される。(樋川天海氏刻字)
- 1950 [昭和25年] 10月 日本観光地百選に高千穂峡が峡谷の部でみごと3位で入選する。
高千穂峡観光ブーム始まる。(町の人口13,597人)
12月 旭化成水ヶ崎発電所が完成する。
- 1951年 [昭和26年] 4月 高千穂町観光協会が設立された。
初代・会長中芝源次郎 全員組織(高千穂町旅館組合・飲食店組合・土産品組合)
全費は組合ごとに負担金として徴収する。 6月
天然記念物に指定される。(下野八幡宮のケヤキ・イチョウ (河内・熊野鳴滝神社のイチョウ)
この年の観光客は8万人。
- 1953 [昭和28年] 5月 延岡〜熊本間が2級国道に昇格し、218号線となる。
12月 高千穂大橋の取付け道路工事が始められた。
年問の観光客13万人になる。
- 1954 [昭和29年] 5月 祖母山麓バスが開通し、三田井から竹田問を走る。
10月 台風12号の被害で国道218号線の日之影から高千穂間16kmの7割が流失する。その他、山津波発生。死者11名。
国鉄日之影線にディーゼルカーが運転され始める。
- 1955 [昭和30年] 6月 宮崎・大分県合同の祖母傾山自然公園開発促進協議会発全式を高千穂で開催する。(会長大分
県知事、副全長宮崎県知事) 11月 高千穂大橋が完成し、渡り初め式が行われる。
工費4,618万円。安在重右衛門氏の熱意と悲願が通じて完成したので、別名、重右衛門橋ともよばれるようになる。
年間観光客が15万人になる。
- 1956 [昭和31年] 一月 日本民族古代文化遺跡調査団(団長滝川国学院大学教授以下東大、早大など六大学の各教授
36名)が、神武天皇の実在実証調査を実行する。
(マスコミで天孫降臨台風として登場・物議)
9月 旧高千穂町・岩戸村・田原村を廃し、新高千穂町が発足する。
11月 高千穂神楽が文部省主催の全国郷土芸術祭に参加のため上京する。
11月 東宝映画「忘却の花びら」町内でロケーション。施風おこす。
(菊田一夫原作、杉江敏男監督、主演司葉子、池部良)
- 1957 [昭和32年] 3月 岩戸、田原との合併にともない高千穂町観光協全の再設立全が行われた。
会長甲斐徳次郎:総予算93万円(その内、町が50万円補助)
4月 古墳まつりを行う。(ウガヤフキアエズ命の御陵前で)
6月 白然公園法公布(国立公園法の廃止)
- 1958 [昭和33年] 3月 天岩戸無形文化財保存全が結成される。
4月 高千穂町観光協全の組織を再編する。全員を幅広くよびかけ個人を対象とした全員制に改正する。(全費は段階的に徴収する)
9月 祖母傾児立自然公園の指定をうける。 「モミジ宣伝隊」を熊本市、福岡市、北九州市へ3泊4日派遣
高千穂峡モミジ祭を4年ぷり観光宣伝に復活し盛大に行う。
(町、観光協会、商工全主催、県観光課、宮交後援)
」観光協会が高千穂峡に天地根元造りの家を建て新名所となる。
高千穂神社裏〜神橋間に自然観察遊歩道を開さくする。
- 1959 [昭和34年] 3月 「新緑の高千穂へ」をスローガンに北九州方面へ観光宣伝隊を派遣する。
4月 県営高千穂養魚場が高千穂峡内に完成する。(のち町営になる)
5月 五ヶ所高原に河内商工全が大酒樽のバンガロー4戸を設置する。
7月 高千穂神社彫刻、男女神像各二、狛犬一対が県文化財に指定
- 1963 [昭和38年] 4月 天岩戸橋がラーメンケタ式に架け替えられる。(総工費3,350万円)
6月 冷房バスが延岡一高森間の宮交快速バスにお目えする。
8月 義宮様(現・常陸宮殿下)がご来町になる。
年間観光客が30万人になる。 [
- 1964 [昭和39年] 3月 鉄道審議全で日之影一高森間鉄遣建設線は「高千穂線」と決まる。
4月 高千穂一宮崎間直行の宮崎交通快速バスの運行が開始される。
4月 北九州と高千穂を結ぷ国鉄の「週末観光準急」が合計9回走る。
9月 NHK・MRTテレビ中継局が向山の烏帽子岳に完成する。
10月 国鉄高千穂線建設着工式典と郡民パレードが盛大に行われる。
11月 川端康成さんが高千穂を訪問する。 12月
高千穂町商工青年会議所が設立される(全員41名)
花いっぱい運動が展開され、高千穂神社下から下押方まで国遣にムクゲ350本が町によって才直植寸される。
NHK紅白歌合戦の白組応援に神楽が登場。日本全国に届く。
年間観光客32万8千人になる。
- 1965 [昭和40年] 3月 「祖母・傾」国定公園に指定される。高千穂峡も含まれる事となる。(五ヶ瀬川流域として)
3月 三田井と岩戸の市街地道路が完全舖装になる。
4月 高千穂峡の児営養魚場が町営養魚場として発足する。
lO月 県営国民宿舎高千穂荘が新築落成する。
刈干切唄と神楽せり唄のソノシート7,OOO枚を宣伝用に作る。
- 1966 [昭和41年] 1月 岡本太郎画伯を招き、観光講座が開かれる。
2月 国鉄高千穂線の起工式が行われ、神面180参加の郡民パレードのあと起工祝賀会が開催される。
3月 天岩戸神社前駐車場が完成する。 11月 三秀台に英国人登山家・ウェストンの祖母山登項記念碑が建ち、除幕式にチーク駐日英国代理大使のメッセージが披露され
る。 11月 高松宮殿下ご臨席のもと、高千穂碑の除幕式が行われる。
町内(郡内)に初の交通信号機が付く。(城山通り交差点)
年間観光客が43万3千人となる。
- 1967 [昭和42年] 5月 テレビ映画「泣いてたまるか」ロケで渥美清が来町する。
10月 市街地の街燈80灯を水銀灯(40W)に替える。(町商工会)
12月 国定公園「祖母傾」記念切手が発行される。(1,600万枚)
年間観光客が53万人に達する。
- 1968 [昭和43年] 2月 四国に観光客誘致宣伝隊を派
遣する。 6月 宮崎児観光協全の総全が高千穂甲丁民全館で開催される。
奥高千穂遊歩道完成と大椿観光駐車場の着工はじまる。
- 1969 [昭和44年] 3月 くしふる神社の大鳥居の建設工事が竣工する。(神明作り)
高千穂峡お塩升に岩戸・才二田の水車小屋が移転復元される。
高千穂大橋観光駐車場が完成する。 4月 延岡一高千穂間国道218号線舖装完成祝賀全が開催される。
高千穂町に上野村を編入合併する。 7月 高千穂峡に宮交の納涼風鈴バスが企画され夏の名物になる。
7月 高千穂町観光みやげ品組合の設立総会が行われる。
8月 高千穂大橋駐車場遊歩道が完成する。 8月
真名井の滝に夜間照明が始まる。.(700W) 10月
町道お塩井〜下押方線713m が舖装される。 11月
天岩戸神社徴古館が完成し出 土品2,OOO点が展示される。
11月 宮崎県民俗芸能大・会が上野体育館で開催される。
11月 高千穂一高森間鉄道建設のための測量が始まった。
12月 県遣高千穂〜大津線が国道325号線に昇格する。
12月 天安河原遊歩道に危険防止施 設が整備される。
12月 高千穂峡お塩井の戸高スイさ ん、住宅及ぴ土産品売店を町に
- 1970 [昭和45年] 1月 「五ヶ瀬渓谷沿遣白然景観地区」に指定される。
5月 高千穂神楽が大阪万国博覧会に県の代表として出演する。
高千穂夜神楽の永久保存を文化庁が指定する。
7月 国民休養地制度発足する。 11月 高千穂神社の拝殿改築工事が
始まる。 H月 日本写真連盟の撮影大・会が国
見ヶ丘と高千穂峡で行われる。
- 1971 [昭和46年] 2月 ↓呉国際観光宣伝誘致使節団と
して佐藤寿町長以下3名ハ7イ 訪問する。 6月
高千穂神杜の狛犬が国の重要 文化財に指定される。
7月 高千穂神社、天岩戸神社が別 表神社に昇格する。
12月 国鉄高千穂線に東洋一の高さ の「高千穂鉄橋」が完成する。
(高さ105m) 年間観光客が60万人をオー寄付し故郷高鍋町に帰郷する。
- 1970 [昭和45年] 1月 「五ヶ瀬渓谷沿遣白然景観地区」に指定される。
5月 高千穂神楽が大阪万国博覧会に県の代表として出演する。
高千穂夜神楽の永久保存を文化庁が指定する。
7月 国民休養地制度発足する。 8月 高千穂神社の拝殿改築工事が始まる。
11月 日本写真連盟の撮影大会が国見ヶ丘と高千穂峡で行われる。
- 1971 [昭和46年] 2月 県国際観光宣伝誘致使節団として佐藤寿町長以下3名ハワイ訪問する。
6月 高千穂神杜の狛犬が国の重要文化財に指定される。
7月 高千穂神社、天岩戸神社が別表神社に昇格する。
12月 国鉄高千穂線に東洋一の高さの「高千穂鉄橋」が完成する。(高さ105m)
年間観光客が60万人をオーバーする。
- 1972 [昭和47年] 1月 観光誘致宣伝隊を大阪、神戸、岡山、北九州方面に派遣する。
4月 高千穂神社に神楽保存館が完成し観光神楽年中無休公開になる。 ここで観光神楽が年中無休で公開される 7月
国鉄高千穂線(日之影〜高千穂間12.5km)が開通し町内喜びで沸きかえる。開通祝賀パレードが実施される。
10月 高千穂駅で刈干切唄のメロディーを協会が流しはじめる。
l1月 高千穂町自然保護条例が制定された。 「刈干切唄免許証」の発行から十年目を迎え5,OOO番突破する。
鉄道開通で観光客が80万人に達する。宿泊客は18万
- 1973 [昭和48年] 2月 神楽の初けいこ「口開祭」が高千穂神社で行われる。
5月 夜神楽小唄を作詞作曲し町へ贈呈する。(高橋前向山南小教諭)
8月 町内四鐘乳洞の観光開発調査を日本ケイ.ビング協全に委託して実施する。
(柘の滝、三ツ合、乳ケ岩犀、大子ヶ岩屋鐘乳洞)
lO月 新民謡高千穂音頭「がまだせ節」が公募により作詞作曲される。(作詞・黒木淳吉、作曲・小西悠史、唄・大月みやこ)
国鉄高千穂線高千穂〜高森間工事着工式に建設公団総裁を迎える。
12月 国鉄高千穂線、高千穂〜高森間の工事着工、建設公団総裁を迎える。
年間」観光客が96万人。消費額が11億円。
- 1974 [昭和49年] 3月 第1回町民俗芸能大全が開催される。
4月 国鉄高千穂線、高千穂一宮崎間に快速直行列車が運行開始される。
高千穂町商工観光全館が駅前に完成する。 一月
7月 高千穂町民俗資料館として千木の家を駅前に移転復元させる。
観光客数が100万人を突破する。
- 1975 [昭和50年] 1月 国道218号線日之影・津花両バイパスが同時に開通する。
束洋一の高さとなった雲海橋(高さ110m)が完成する。
6月 国鉄高千穂駅の貸し白転車(レンタサイクル)始まる。
10月 高千穂峡の押方・窓の瀬観光駐車場が完成する。
12月 観光協全内に観光開発調査特別委員全が設置される。(委員長ほか10名)
年間観光客が89万人に落ちる。 前年比12万人減。
- 1976 [昭和51年] 2月。観光誘致宣伝キャラバン隊を中京、近畿地区に派遣する。
3月 上野の竜ケ岩屋に遊歩道が完成する。 5月 九州白然歩道」町内43kmにわたり開通する。
7月 高千穂峡の音の谷キャンプ場が完成する。
9月。四皇子峰、高天原一帯の神話史蹟コースが完成する
- 1977 [昭和52年] 1月 観光開発調査特別委員全の第
一回調査報告書が出来上る。 4月 宮崎日々新聞主催「新観光地百景」で高千穂峡堂々の一位になる。
10月 県民俗芸能大全が高千穂町中央体育館で開催される。
- 1978 [昭和53年] 2月 観光客誘致宣伝隊を四国賂に派遣する。
2月 TV人気番組「遠くへ行きたい」で高千穂が全国放映される。
5月 高千穂夜神楽が国の重要無形民俗文化財に指定される。
6月 観光開発調査特別委員全内に専門部全を設置する。
(観光資源調査部会・観光施設部会・特産品調査研究部会)
12月 国鉄高千穂線廷長工事の促進を求めて上野と河内地区で住民の決起大全が開催される。
- 1979 [昭和54年] 4月 上野に親父山キャンプ場が完成する。(林業構造改善事業)
8月 玉竜旗高千穂高校女子剣道優勝 10月 第34回宮崎国体の炬火を国見ヶ丘で火鐙(きり)の古式で採火し、リレーがはじまる。
宮崎国体の剣道競技で少年青年の部とも完全優勝をし天皇杯を受ける。(国体剣道会場・高千穂町中央体育館)
日之影バイパス平底〜宮水間の3.6kmが完成する。
年問の・観光客は106万人となる。(消費額22億円)
- 1980年 [昭和55] 4月 「旅のペンクラブ」16人が県観光協全の招待で高千穂を訪問する。
5月 高千穂神楽ほしゃどん10名がヨーロッパ4ヶ国を訪問。国際文化祭「面とその機能」で日本の代表として高い評価を得る。
6月 観光協会総全で組織の大幅な変更が行われ、理事定数44名が24名に減員となる。
副会長が助役(事業担当)と民間(事業担当)の2名制になる。
7月 「日本のふるさと・高千穂観光宣伝隊」を北九州へ派遣する。
10月 宮日文化賞に高千穂神楽ヨーロッパ派遣団が選ばれ受賞する。
12月 国鉄高千穂線廃止反対と延長工事促進総決起大会が開催される。
- 1981 [昭和56年] 3月 国鉄の赤字廃止法案、政令で決定する。
国鉄高千穂線利用友の会が発足する。 4月 高千穂峡のボート乗り場、現在地に移転して完成する。高千穂峡の観光駐車場も完成する。 5月 ミス刈干娘を7名選定して観光宣伝で大活躍する。
6月 第1回高千穂物産と観光展を延岡のアズマヤ百貨店で開催する。
- 1982 [昭和57年] 7月 観光誘致宣伝隊を大阪、名古屋、神戸方面に派遣する。
7月 国鉄高千穂線開通10周年記念式典並びに高千穂線・存続、新線建設促進大会の開催。
8月 台風11号による豪雨で大水害が発生し国遣218号線と国鉄高千穂線に大きな被害がでて、全面交通止めになる。
年間観光客が台風のため81万人に減少する。
- 1983 [昭和58年] 2月 高千穂高校で卒業式を前に民謡(刈干切唄)の講習会が開催されるようになった。
2月 国見ヶ丘に「刈干切唄発祥の地」の観光標柱が建つ。
11月 第1回刈干切唄全国大全が観光協会主催で開催される。 国道・延岡一高千穂間53kmの愛称が「神話街道」と決まる。
- 1984 [昭和59年] 1月 烏帽子岳鐘乳洞の第1回目の調査が行われる。
4月 高千穂観光案内テレホンサービスを開始する。
4月 高千穂・くしふる両神社の落慶奉告祭と記念式典が行われる。
6月 観光宣伝隊を東京に派遣する。 7月 国鉄高千穂線廃止承認抗議町民大全が開かれる。
- 1985 [昭和60年] 5月 向山丸小野の五ヶ瀬川渓谷での観光協全単独の鐘乳洞開発を断念する。
7月 高千穂町歴史民俗資料館(コミュニティセンター)が完成する。
8月 大阪方面に観光宣伝隊が派遣され、淡路島の「くにうみの祭典」に参加、観光宣伝を行なう。
11月 第1回宮崎ウエストン祭が開催される。
12月 「日向の神話と高千穂夜神楽 の夕べ」を延岡総合文化センターで開催。
12月 「注連(しめ)飾り年中運動」が本組公民館の提唱で始まる。
年問観光客が101万人に復活する。
- 1986 [昭和61年] 1月 「コシノヒロコ86春夏コレク
ション&高千穂夜神楽」が延岡で、あさひ・ひむか財団の主催によリ開催され好評を博す。
2月 第1回神話の高千穂建国まつりが行なわれ、神々のパレードが全国TV放送で大きく報道される。
4月 天岩戸神社西本宮の正遷座祭が行われ総檜造りの拝殿が完成する。
5月 九州山地縦断踏破530kmの南北両隊が高千穂町で合流する。
8月 熊本の「グリーンピァ博覧全」に観光宣伝隊を派遣する。
10月 第1回「神々の里・高千穂ゲートボール九州大全」が観光協全の主催で開催される。
- 1987 [昭和62年] 2月 第1回高千穂旗中学選抜剣道大会が開かれる。
4月 新日本観光地百選に高千穂峡が入選する。
6月 観光協会直営売店(高千穂峡)の改修工事が行なわれる。
6月 総合保養地域整備法(リゾート法)が施行される。
7月 昭和62年度玉竜旗高校剣道大全で高千穂高校が30年ぷり2度目の優膀をする。
9月 長野県「戸隠村」と高千穂町との姉妹町村締結調印式が行われる。神楽の「岩戸開き神話」が結ぶご縁であった。
- 1988 [昭和63年] 4月 町が日本農林ヘリコプター(株)に依似して温泉空中探査を実施。(費用1,800万円)
5月 集中豪雨が発生して高千穂峡付近も大被害を受け、槍飛橋・背の斧吊り橋・高千穂峡遊歩道等が流出する。(国の激甚災害指定工事で復旧する。)
JR高千穂線存続問題観光協会を中心に「節3セクター促進協議会」を民間20団体で結成して存続に向けて活動する。
6月 ニニギノ尊の石像が神楽酒造㈱社長の寄付により完成し除幕式が行なわれる。
JR高千穂線の第3セクターとしての存続が高千穂線特定地方交通線対策協議全で決定する。
「高千穂鉄道・株式全社(TR)」として再出発。
7月 星空の町コンテストで全国三位に入選する。
9月 観光協全が主催し、宮崎県北部高千穂線広域観光宣伝隊を結成して150名で中・北九州を宣伝する。(JRオランダ村特急号を借り上げ)
10月 二上山展望台の竣工式が現地で行なわれる。
12月 高千穂鉄道株式全社の創立総全が開催され、資本金を2億3千万とし、初代社長に甲斐峻常町長が就任する。
- 1989 [昭和64年・平成元年] 1月 昭和天皇崩御、7日午前6時33分、年号が平成となる。
2月 JR九州主催の宮崎キャンペーンが3ヶ月間にわたり繰リ広げられる。
3月 「神話の里・山菜グルメの旅」モニターツアーを実施する。郡内の新観光ルートづくりの一環。
福岡県内在住500名の応募者から20名選び招待する。(宮崎創出旅たび事業。)
3月 高速バス「ごかせ号」(福岡〜延岡1日2往復)の運行が始宮崎交通/西鉄バス
4月 第1回神話の里マラソン大全が観光協全主催のもと高千穂鉄道開業記念をかねて開催され全国から596名の参加があった。
4月 第3セクター高千穂鉄道株式全社、通称TRが営業を開始する。
6月 第1回天孫降臨祭が・観光協全主催のもと国見ヶ丘で開催され、協賛行事とし第7回刈干切元唄大全の予選全も行なわれる。
8月 高千穂観光宣伝隊を名古屋・横浜・東京に派遣する。名古屋では、甲斐一政副知事(町出身)の力添えで国際デザイン博に特別出演。横浜博では県の代表として神楽奉納。東京の明治神宮神前でも神楽と棒術を奉納する。
ユーロパリア日本文化祭(ベルギー)に高千穂神楽が出演し深い感銘を与える。
9月 第1回魚のつかみどリ大全が高千穂峡の町養魚場で行なわれる。
10月 神話の里フェスティバル開催 11月 第3セクター高千穂の湯(旧・高千穂温泉)開発株式全社が設立される。
11月 五ヶ所高原オートランドが完成しエンデュー口大会が行われる。
- 1990 [平成2年] 1月 温泉ボーリング開口式が現地で行われる。
1月 皇紀2650年祭、高千穂神社で採火し宮崎神宮一橿原神社〜明治神宮へと行進する。
3月 祖母傾県立白然公園四季見原国民休養地整備事業で環境庁桜井計画課長が調査のため来町。
4月 日本の滝百選に真名井の滝が入選する。
4月 高千穂町制施行70周年記念式典が開催される。
*ここまでの記載はは平成3年発行 高千穂町観光史(高千穂町観光協会発行)等を参照の上、記載しました。
- 1995 [平成7年] 3月 国道218号、日之影バイパス開通
- 2000 [平成12年] トンネル貯蔵庫・高千穂観光物産館トンネルの駅オープン。観光客入込総数
1,033,000 人
- 2001 [平成13年] 観光客入込総数 1,151,000人
- 2002 [平成14年] 高千穂町議会において、町行政改革審議により、観光協会を民間へ移行する事を決議。 観光客入込総数
1,252,000人
- 2003 [平成15年] 3月 国道218号、高千穂バイパス全面開通(神都高千穂大橋・道の駅高千穂も) 高千穂鉄道の「トロッコ列車」が運行を開始。6月 新たな広域観光ルートとして県が整備を進めてきた「ひむか神話街道」が全面開通。観光客入込総数 1,233,000人
- 2004 [平成16年] 4月 高千穂町観光協会は完全民間観光協会として、行政より独立。
初代会長 佐藤公一 (神楽酒造社長) 観光客入込総数
1,154,000人
- 2005 [平成17年] 9月 14号台風による甚大な被害 滝下・川水流鉄橋流出。
TR社継続経営を断念。観光客入込総数 1,137,000人
- 2006 [平成18年] 3月 TR受皿会社として「神話高千穂トロッコ鉄道株式会社」を設立。
国交省と2年間にわたり、鉄道再開の交渉するも許可下りず
「神話高千穂トロッコ鉄道株式会社」解散。「あまてらす鉄道」へ移行。観光客入込総数1,094,000人
- 2007 [平成19年] 1月 第52代宮崎県知事、東国原英夫就任
高千穂も数多くのTV番組等で取り上げられる。6月
高千穂町観光協会総会にて、法人化へ移行作業の決定。
観光客入込総数 1,317,000人
- 2008 [平成20年] 9月 高千穂峡等にネットワークカメラ設置 観光客入込総数
1,497,000人
- 2009 [平成21年] 4月 一般社団法人高千穂町観光協会設立。初代会長 佐藤哲章(旅館業)
- 2010 [平成22年] 3月 高千穂峡のボートで落石事故 4月 高千穂牛レストラン・産直を備えた「がまだせ市場」オープン 7月「神殿通り」(高千穂神社前)と高千穂バイパスを結ぶ町道「神社通線」が開通。
- 2011 [平成23年]2月 地域伝統芸能活用センター 平成23度「高円宮殿下記念地域伝統芸能賞」を高千穂観光協会が受賞
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