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《宮崎県主催 古墳講座のお知らせ》
8月6日(土)「畿内(ヤマト)王権の中の日向〜日下宮王家の盛衰〜」
8月20日(土)「東アジアと畿内(ヤマト)王権を結ぶ日向〜新発見の成果を中心に〜」
9月24日(土)「畿内(ヤマト)王権と西都原古墳群〜墳丘規格と埴輪〜」
 詳細は → 宮崎県古墳講座 「畿内(ヤマト)王権と日向(ひむか)」(当サイト内紹介ページ)

西都原古墳群 - 男狭穂塚・女狭穂塚 - 方墳(171号墳)

 男狭穂塚・女狭穂塚

     Imperial Mausoleum Reference Places

男狭穂塚(おさほづか)

(全長約175m、後円部直径約132m、後円部高さ約18m)
男狭穂塚は、日本最大の帆立貝形古墳。ニニギノミコトの陵墓として宮内庁陵墓参考地(可愛山陵参考地)となっている。

女狭穂塚 (めさほづか)

(全長約180m、後円部直径約96m、後円部高さ15m)
女狭穂塚は 九州地方で最大の前方後円墳。コノハナノサクヤビメの陵墓として宮内庁陵墓参考地となっている。、
男狭穂塚とともに宮内庁陵墓参考地に指定、現在は、宮内庁によって管理され、特別史跡「西都原古墳群」の指定範囲外となっている。
西都原 男狭穂塚女狭穂塚 ご陵墓前広場より
[ご陵墓前広場より 男狭穂塚古墳女狭穂塚古墳をのぞむ]


[春・・ ご陵墓前広場や周辺は、桜に 彩られる 県内屈指の桜の名所です。 → 西都原古墳群の桜]

西都原古墳群 - 男狭穂塚・女狭穂塚 - 方墳(171号墳)
[奥が、男狭穂塚古墳、手前が女狭穂塚古墳 四角い古墳(方墳)は171墳]

レーダーを使い地中に埋もれている部分の形状などを調べている宮崎県教育委員は2006年5月31日、2005年度調査のまとめとして両古墳の墳丘の長さがこれまでの公表値より長いと発表した。
男狭穂塚は1997年の墳丘測量値より前方部が約20m長く、約175m 女狭穂塚が約4m長い180mと特定。
どちらの古墳を先に造ったかはわかっていない。
男狭穂(おさほ)塚と女狭穂(めさほ)塚 現地案内レリーフ
西都原古墳群中央部には、明治28(1869)年に陵墓参考地として治定を受けた男狭穂(おさほ)塚女狭穂(めさほ)塚の2基の巨大古墳がその偉容を誇っています。
男狭穂塚古墳は二重の周掘を有する墳長約160m、円形部直径132m、後円部の高さ18mの、列島最大の帆立貝式古墳。近畿地方などで見つかっている首長級の前方後円墳を上る大きさで造られており同地方の支配者層との密な関係も指摘されている。

女狭穂塚古墳は、墳長176m、後円部の高さ15mの楯型の周堀を有する前方後円墳で、九州一の規模。
この規模の古墳を造るには、一日1000人を動員した場合、農閑期を中心とした年間200日で計算すると2年半程度を要していたであろうとの事。





一応、観光サイトなので・・ちょっと 神話の関連話題も・・。


春の男狭穂塚・女狭穂塚前広場 両塚の築造は5世紀初めごろとか。

男狭穂塚は日本神話で、高天原から高千穂の峰に降り立ったニニギノミコトの墓。 女狭穂塚はニニギノミコトが西都の地で出会って妻としたコノハナサクヤヒメの墓と伝承されていますが・・・。 
記紀などの記述で考えると・・・
カムヤマトイワレヒコノミコト(後の神武天皇)が日向の国から東征、神武天皇に即位されたのが紀元前660年とされております、それよりさらに何代も前のニニギノミコト・コノハナサクヤヒメのお墓が、5世紀初めころに作られるとは・・。 時代的にちょっと考えにくい気もします。 

参考まで、以下は、日向神話を中心とした神々のの系図です。

日向神話の系図
諸説

被葬者は日向国造の始祖、大首長であったと推測される、豊国別王(トヨクニワケノミコト) [12代 景行天皇(71年〜113年)の子息]と言う説。(景行天皇は日本書紀によると6年間に渡り日向(ひむか)に滞在したと記されている。)

また、男狭穂塚が、五世紀頃、諸県地方を治めていた牛諸君牛諸井(牛諸井)(モロカタノキミウシモロイ)女狭穂塚が、その牛諸君牛諸井(牛諸井)の娘であり、16代 仁徳天皇(313年〜400年)の妃であった絶世の美女と伝えられる髪長姫(かみながひめ)という説もあります。 時代的に見るとこの説が一番有力なのかも知れません。

参考まで、古墳時代の天皇は以下となります。
15代 応神天皇 / 16代 仁徳天皇 / 17代 履中天皇 / 18代 反正天皇 / 19代 允恭天皇 / 20代 安康天皇 / 21代 雄略天皇 / 22代 清寧天皇 / 23代 顕宗天皇 / 24代 仁賢天皇 / 25代 武烈天皇 / 26代 継体天皇 / 27代 安閑天皇 / 28代 宣化天皇 / 29代 欽明天皇 / 30代 敏達天皇 / 31代 用明天皇 / 32代 崇峻天皇

周辺は*陵墓参考地 として宮内庁の管轄下にあり、樹木に覆われた周囲は柵で囲まれ、普段は中へ入る事は出来ません。(例年11月第1土、日開催の西都古墳祭りの日、一日だけ、宮内庁のはからいにより参拝の為に一部公開されています。)

*陵墓参考地 : 天皇・皇后陵、皇太子の墓などの可能性があるとされている古墳。全国に46ヶ所ある。

鵜戸神宮近くには鵜葦草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の御陵と伝えられる古墳があります。
 


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男狭穂塚・女狭穂塚の画像


平成25年(2013年)2月撮影写真 10枚追加

ご陵墓前広場より 男狭穂女狭穂塚古墳塚の森をのぞむ
02 ご陵墓前広場より 男狭穂女狭穂塚古墳塚の森をのぞむ 03 ご陵墓前広場より 男狭穂女狭穂塚古墳塚の森をのぞむ
04 ご陵墓前広場より 男狭穂女狭穂塚古墳塚の森をのぞむ05 ご陵墓前広場より 男狭穂女狭穂塚古墳塚の森をのぞむ


枝をはらったのでしょうか、葉の少ない季節柄か、いつもより古墳の様子が少し見えましたので撮影しました。

女狭穂塚古墳の「前方部」 (南側・ご陵墓広場側より撮影)
06 女狭穂塚古墳の「前方部」07 女狭穂塚古墳の「前方部」

女狭穂塚古墳の「後円」部(左)/前方と後円の中間馬の背&煤i右写真) (西側より撮影)
08 女狭穂塚古墳の「後円」部09 女狭穂塚古墳の前方と後円の中間部

男狭穂塚古墳塚(北側より撮影) / 神武天皇御東遷二千六百年記念古墳際記念碑
10 男狭穂塚古墳塚の後円部分11 記念碑

以上 平成25年(2013年)2月撮影の追加写真でした。


宮内庁の立て札があり、男狭穂塚女狭穂塚周囲は柵で囲まれ、立ち入ることは出来ません。 
奥に見えるjのは、男狭穂塚方壇部端と“謎の細長い堤部”の間あたりと思われます。

男狭穂塚女狭穂塚男狭穂塚

 レーダーによる探査


宮崎県教委は2004年2月19日、西都原古墳群内の陵墓参考地である男狭穂(おさほ)塚、女狭穂(めさほ)塚古墳について、3カ年計画で地中レーダー探査による形状把握、埋設物調査を実施すると発表。
2004年度当初予算案に事業費334万円を盛り込んだ。宮内庁が管理する同参考地の地中調査は全国で初めて。
第168号墳レーダー画像
男狭穂塚は墳長約154mで、円墳としては国内最大級。形状をめぐっては、前方後円墳の一種の帆立て貝形古墳とする説のほか、築造の途中中止説、前方部掘削などの諸説が混在し、同参考地で最大の謎の一つとされていた。
探査は地中レーダーで電波を発信。反射して戻ってきた電波をとらえ、空洞や溝の有無など地盤構造を調べ、築造時の形状を類推するほか、埋蔵物の有無などを調べる。

 2004年02月20日 宮崎日日新聞より一部引用
[上記は第168号墳のレーダーイメージ]

■ハードル下げる表れ
柳沢一男・宮崎大学教授(考古学)の話
 陵墓参考地は皇室の財産なので、これまで学術的調査が必要といっても、宮内庁は認めてこなかった。
今回、宮崎県教委のレーダー調査を認めるのは、史料として公開することを重視し、徐々に調査へのハードルを低くしようとしている姿勢の表れではないか。歓迎すべきことだ。ただ、古墳本体の調査は今後も認めないだろう。 西日本新聞より一部引用
男狭穂塚イラスト
今回の地中探査個所

県教育委員会は2004年12月10日 西都原古墳群にある男狭穂塚と女狭穂塚の周溝の地中レーダー探査を17日に始めると発表した。
宮内庁が管理する陵墓参考地で本格的な学術調査が行われるのは全国でも初めて。
調査は3ヵ年で実施、初年度は男狭穂塚の前方部と後円部の境目に当る墳丘のくびれの形を特定する為にくびれの部分の周溝をほぼ長方形に区切った区域を調査する。

 調査区域を五十センチ間隔の碁盤の目状に区切り、その目に沿ってアンテナ付きのレーダー機器を東西、南北方向にそれぞれ往復。その際、地中に向けて電波を発信する。土中の地層の変わり目や物体などに当たって反射した電波を受信し、その経過を記録する。
 現地での作業は地形状態が良好なら二、三日で終了する見込み。記録したデータはコンピューターソフトで解析し、画像化する。結果は来年三月下旬、中間報告として発表する方針。
 来年度は両古墳周溝の境界部分の調査を予定しており、それらの結果をもとに最終年度の調査方針を決める。

 上記 宮崎日日新聞より一部引用

2005/03/24追記

 宮崎県教育委員会は2005年3月23日、西都原古墳群内の陵墓参考地、男狭穂塚古墳、女狭穂塚古墳での地中レーダー探査で、男狭穂塚は後円部に短い前方部が付いた「帆立て貝形古墳」と特定したと発表。
帆立て貝形としては奈良県河合町の乙女山古墳(約130m)を抜き、全国に約450基ある帆立て貝形古墳中、最大であることが確定。

男狭穂塚は前方部から後円部にかけての一部が崩れたような形跡があり、これまで墳形が特定されていなかった。
県教委は形状がはっきりしない前方部西側約4500平方メートルを探査し、データを解析。
その結果、周溝や周堤の形状が東側と左右対称で、本来の墳形は前方部前面がやや開く形状の帆立て貝型であることが分かった。

西日本新聞の関連記事によると
 前方部西面に沿って埋蔵物らしき反応があったとの事。円筒埴輪(はにわ)か根石の可能性が高いという。

2007/03/29追記
県教育委員による西都原古墳群陵墓参考地「男狭穂塚」「女狭穂塚」のレーダーによる地中探査結果。
主な今回の調査結果(今回の調査では「男狭穂塚」「女狭穂塚」2つの古墳の正確な形等を調査)
男狭穂塚は国内最大の「帆立貝型古墳」であり、地中で一部重なりあっているのではないかと見られていた男狭穂塚と女狭穂塚は重複は認められず、それぞれ独立した古墳である。
女狭穂塚と女狭穂塚の横にある171号墳との間に「渡り土手」がある。
円形と方形の間のくびれの部分に位置する祭事などを行う小さな方形の丘(造り出し部)は左右対称ではなく、右側の造り出し部は比較的小規模で円墳から離れている。
これらの特徴は、大阪、藤井寺市にある応神天皇(第15代)の皇后だった仲津姫の陵とされる仲津山古墳と非常によく似ており、畿内から地方の豪族に古墳の設計図が渡されていたことも推定される。

探査を行ってきた。レーダー探査事業は本年度で終了した。(上記内容は宮崎日日新聞、UMKテレビニュースを参考にした)
女狭穂塚出土品の一部(西都原考古博物館 「遺物たちの帰郷展」 にて撮影 実際の色はもう少しベージュ色です。
 (正式に発掘は行われていないと思いますので、昭和50年5月盗堀にあった際の埴輪辺かも知れません)
女狭穂塚出土品の一部 



 方形墳(第171号墳)

この古墳は女狭穂の陪塚と言われ南に隣接しています。西都原古墳唯一の方墳で、墳丘規模は、東西20m 南北21.8m。
大正時代の発掘調査によって古墳の裾部と頂上部に、方形の埴輪円筒列が検出されました。
また、家型埴輪片や甲形(よろい)埴輪等も出土していますが、円筒埴輪の類が多く出土。
調査記録によると裾部に検出されたものが88個分、頂上部に検出されたものが49個分となっています。
市内には約600基ほどの古墳があるが、方墳はこの第171号墳と三財原の常心塚古墳しかなく貴重な古墳だという事が言える。

画像右は発掘時の写真(現地案内板を撮影)

方墳(171号墳)-西都原古墳群 - 方形墳(第171号墳)発掘時画像(現地案内板より)-西都原古墳群 -


 第169号墳(飯盛塚)側より見た男狭穂塚、女狭穂塚 

正面に見える169号墳(飯盛塚)男狭穂の陪塚と言われる。

169号墳側より見た 男狭穂塚、女狭穂塚-西都原古墳群 -


 男狭穂塚、女狭穂塚 地形 

  西都原考古博物館にて展示物(スクリーン)を撮影したもの。
男狭穂塚、女狭穂塚 地形-西都原古墳群 -
西都原古墳群年表

西都原古墳群発掘年表

ページ作成にあたり、参考にした資料
西都市教育委員会西都市観光協会発行 パンフレット 特別史跡西都原古墳群 
宮崎県広報公聴課発行 みやざきVol36 / 現地内板 / ひむか神話街道50の物語集
西都原古代文化を探る 日高正晴著 / 西都原古墳群 北郷泰道著 等.
(実写以外の画像は現地案内板を撮影したもの、また、その画像を画像処理したものです。)


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