宮崎神宮神武大祭 神武さまの写真(平成19年度・2007年)
(ページ末に平成19年以外の当サイト内、神武さま関連ページのリンクを記載しております。あわせてご覧ください。)
宮崎の秋の風物詩・平成19年度の神武様 御神幸行列・御神賑行列の写真を一部掲載
「神武さま」の愛称で親しまれている神武天皇を祀る
宮崎神宮の神武大祭御振幸行列・御神賑行列の写真です。
10月26日が宮崎神宮の本宮祭、その週の土日に神武大祭(神武さま)は行われるので通常は10月最終もしくは11月最初の土日に行われる。
御鳳董を中心に、列太鼓・大麻・御獅子・鉄杖・大真榊・御しもと・神饌唐櫃・筒太鼓・筒鉦鼓・女稚児・御楯.御鉾・御靱・御弓・御太刀・錦旗等が先導行列を組み、賓銭唐櫃・呉床・神馬・紫御翳・御錦蓋・御菅蓋・男稚児・流鏑馬射手等とつづく、古風で荘厳な神杜行列の後には、シャンシャン馬や地域の各団体の踊りなどの神賑行列がにぎやかに祭りをもりあげます。
古式ゆかしい、この伝統を受け継ぎ賑やかにくりひろげられるこの神幸・神賑行列は
宮崎の秋の風物詩ともなっています。
現在の秋祭りの歴史について
(株)おうふう社発行の「祭礼行事 宮崎県」 編者 高橋秀雄・山口保明 には
「現在の秋祭りは明治13年(1780年)氏子より神幸渡御の儀が願い出られて以来、少しずつ形が整えられ、明治40年(1909年)有職故実研究の佐伯有義(掌典)の指導を受け、新しい鳳輩も到着して今日の神幸祭の形態が整えられた。これには、石清水八幡宮の男山祭が参考にされたという。」 と記載されている。
平成19年度(2007年)神武さま御神幸・御神賑行列の日程
平成19年10月27日(土) 13時〜16時 往路 (宮崎神宮→瀬頭御旅所)
平成19年10月28日(日) 13時〜16時 復路 (瀬頭御旅所→宮崎神宮)
下記参加人数のデーターは 宮崎商工会のページより引用
御神幸行列 宮崎神宮主管 約820名
獅子舞・御鳳輩(御神輿)・男女稚児行列(約100名)
流鏑馬行列(68名)・子供みこし(160名)
御神賑行列 宮崎商工会議所主管 約600名
ミス・シャンシャン馬(6頭)(約60名) 古代船「おきよ丸」船上24名 こぎ手20名
秋・よみがえる古代(古代服での行列)(約130名)
日向木剣おどり(約100名)日向ひょっとこ踊り(25名) 山之口 弥五郎どん(120名)JC・こども太鼓(約100名)
祭りに参加されてらっしゃる方の写真掲載は問題ないであろうとは思いましたが、あまりお顔がアップにならないよう、拡大画像はサイズ調整しました。特に、お子様の顔の写った写真等は結構控えめサイズにしました。
神武さま御神幸行列・御神賑行列の写真
[一部の画像はクリックすると拡大します。]
獅子舞
要所・要所(江平五差路・デパート前交差点等)で獅子舞いが舞います。
獅子に頭を噛んでもらうと病気をしないとかで、デパート前交差点ではその順番待ちが行列となっておりました。
御神幸・御神賑行列は道中どこで見る事が出来ますが、獅子舞、その他の演舞、おきよ丸が一周したり等々
他のパフォーマンス含めデパート前交差点が一番の見所見学ポイントです。
稚児行列
稚児行列も加わる、こども達には距離もあり大変だけど頑張ってます。
御鳳輦(ごほうれん)
黄色い装束の担ぎ手たちによる御鳳輦(ごほうれん)
御鳳輦(ごほうれん)の下をくぐると縁起がよいそうです。
デパート前交差点等では運がよければ行列の待機時等にくぐらせもらえます。
神武こども太鼓
こども達の太鼓も頑張ってます。勇壮です。
御神賑行列の華シャンシャン馬
シャンシャン馬の由縁
この辺りでは大正の初め頃まで新婚夫婦が宮参りをする風習があり、夫婦は農閑期を利用し、
鵜戸神宮へと出掛けた。
初日は宮崎から
内海(
道の駅フェニックスの少し南側)まで歩き、港の宿に1泊。
翌日は
サボテンハーブ園(閉園)のあった場所の裏の旧道をたどり、鵜戸神宮境内の宿房に1泊。
3日目は再び七浦七峠を回って内海の宿に戻り、馬をひいて出迎えに来た親類縁者と、打ち上げを兼ねての宴席、というのがおおかたの日程であったそうです。
そして次の朝、晴れ着に着替えた花嫁を飾り立てた馬に乗せ、花婿が手綱を取ってわが家へと向かった。
馬の首に掛けた鈴の音が「シャン♪シャン♪」と鳴った事から「シャンシャン馬」と名づけられたとも言われているそうです。
シャンシャン馬の写真はブログ記事「
宮崎神宮大祭(神武大祭)」にも一枚大きな画像があります。
古代船 おきよ丸
古代船の再現 美々津(宮崎県日向市)から神武天皇が出航したという船を再現した「おきよ丸」
おきよ丸を先導する古代行列には姉妹都市である橿原市(かしはらし)の橿原青年会議所の旗も。
橿原市(かしはらし)と宮崎市は1966年(昭和41年)2月11日(建国記念日)に神武天皇の縁で姉妹都市提携をしています。
おきよ丸には神武天皇の他に、妃の吾平津姫(あひらつひめ)も乗ってらっしゃるようです。
日向木剣踊り
毎年参加されている日向木剣おどりは一糸乱れず、見ていて気持ちの良い舞いです。
日向ひょっとこ踊り
すっかりおなじみとなった思わず微笑んでしまうユニークな腰の動きの日向ひょっとこ踊り。
背丈の低いひょっとこはきっとお子様なのでしょう。
関連ページ→ 日向ひょっとこ夏まつり
山之口弥五郎どん
今年平成19年(2007年)復路にはじめて登場した都城市山之口町の
弥五郎どんです。弥五郎どんは隼人族の長。
今から1300年ほど前、南九州に住んでいた「隼人」と呼ばれる一族と当時の大和朝廷(第12代景行天皇の時代)との間ではげしい戦いがくり広げられました。このときの隼人族の長が、大男、弥五郎どんだといわれています。
弥五郎どんは三人兄弟
毎年11月3日に行われる「弥五郎どん祭り」は現在、山之口町の的野正八幡宮、鹿児島県大隅町の岩川八幡神社、日南市の田ノ上八幡神社の三ケ所で行われています。
弥五郎どんは三人兄弟との説もあり、山之口の弥五郎どんは長男(次男が大隅の弥五郎どん。三男が日南の弥五郎どん)と伝えられています。
11月3日iには山之口町で
弥五郎どんまつりが開催されます。リンク→
弥五郎どん
JC太鼓
昭和43年行列に初参加して以来37年、トリをつとめるのがJC太鼓です。
参考まで・・JC太鼓の正式名称は「社団法人宮崎青年会議所太鼓同好会」だそうです。
神武大祭・神武さまの見学場所について
中央分離帯のあるところでは御神幸・御神賑行列は自動車と同じ左側の車線を進行しますので、左側の車線側の歩道が近くて見やすいと思います。つまり一日目は東側(日南方面行き)の車線、二日目は西側(延岡方面行き)の車線です。
経験上、
個人的には一日目のデパート前交差点(橘通り三丁目付近)がこの祭りの一番の見学ポイントかと思います。
宮崎神宮を出発して間もなく、観客も一番多いところですので、皆様の動きも大変良いようです。
二日目復路は、写真を撮る方はビルの影が多くなる時間帯ですので、非常に撮り辛い環境となります。
あと・・大淀御旅所の時は、太鼓台や、おきよ丸が市役所前の橘橋への坂道を駆け上が行く姿もなかなか勇壮です。
おすすめ見学ポイント地図
(隔年で御旅所が変わり、県庁前/中村交差点は隔年変わりますのでご注意ください。)
宮崎神宮
江平五差路(通年)
デパート前交差点(通年)
県庁西交差点(平成奇数年)
中村交差点(偶数年)
上記交差点では獅子舞奉納や、神輿の練り、踊りなど、行列では見れない見所がたくさんあります。
神武さま広場
例年のように、往路の日、デパート前から宮崎駅までの*高千穂通りは18時から21時30分まで、神武さま広場となり、宮崎市消防団音楽隊、宮崎雅楽会、太鼓の演奏、ひょっとこ踊り、大道芸、街頭紙芝居、.四半的弓道、大綱引大会等々、いろいろな催しが開催されました。今年の夜神楽の舞は、銀鏡神社・江田神社・船引神社・住吉神社・椎葉神楽・岩崎稲荷神社だったようです。
*追記平成20年(2008年)は高千穂通りより、橘通りに変更になりました。
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平成17年(2005年)書いたブログ記事→
宮崎神宮神武大祭
平成18年(2006年)書いたブログ記事→
神武さま広場で神楽を
平成19年(2007年)書いたブログ記事→
宮崎神宮大祭神武大祭
平成20年(2008年)の宮崎神宮大祭・神武さまの写真 →
平成20年宮崎神宮大祭・神武さまの写真
平成20年(2008年)のスケジュール等→
神武さままるわかりガイドより
平成20年(2008年)に書いたブログ記事→
宮崎神宮大祭(神武さま)と平家まつりと西都古墳まつり
平成21年(2009年)のスケジュール等→
神武さままるわかりガイドより
宮崎神宮大祭年表 (2012年8月時点でのWikipadiaより引用 最新版はこちらにてご確認を)
- 1785年 御神幸祭に関する記述がみられる最古の年。
- 1876年 宮崎神宮(当時は宮崎神社)公式の資料に御神幸祭に関する記述のある最古の年。これを根拠として
- 1876年 宮崎神宮大祭の始まった最初の年とされる。
- 1877年 西南戦争のため中止。
- 1880年 宮崎市中村町の住民が御鳳輦(神輿)の渡御を嘆願。これが許可され御神幸の範囲が拡大される。
- 1899年 宮崎神宮(当時は宮崎宮)の社殿改装のため1906年まで中止。
- 1907年 宮崎神宮の改装が完了し、御神幸行列が復活。
- 1909年 御鳳輦を新調。御神幸行列が現在のスタイルに改められる。
- 1912年 明治天皇の崩御に伴い中止。
- 1913年 瀬頭に御旅所が建築され、例祭を含めて4日間の開催となる。
- 1914年 昭憲皇太后の崩御に伴い中止。
- 1927年 大正天皇の崩御に伴い中止。
- 1940年 流鏑馬武者行列が登場。
- 1944年 御神幸行列を1日に短縮。
- 1945年 例祭のみ実施し、御神幸行列を中止。
- 1949年 ミスシャンシャン馬が登場。宮崎市内から代表者を選出。
- 1950年 宮崎神宮御神幸祭奉賛会を設立。宮崎商工会議所が主体となった。
- 1951年 ミスシャンシャン馬を宮崎県内各市からの代表制とする。この年のみ中央御旅所を設け、御鳳輦はここで2泊した。
- 1957年 中村御旅所を休憩地とし、瀬頭で御鳳輦を2泊させる形式に変更。
- 1960年 中村・瀬頭でそれぞれ御鳳輦を1泊させる形式に戻す。
- 1965年 御旅所が中村(偶数年)・瀬頭(奇数年)の隔年交代となり、御神幸行列も2日に短縮される。
- 1971年 日程が現行のもの(26日例祭、御神幸行列は例祭後の土曜日・日曜日)に変更。ミスシャンシャン馬が宮崎交通社員からの代表制となる。
- 1972年 御神幸行列初日(土曜日)の夜間に橘通り(国道220号)を歩行者天国とする。現在の「神武さま広場」の原型。
- 1973年 ミスシャンシャン馬が宮崎市と周辺の町からの代表制となる。
- 1988年 昭和天皇病臥による「自粛」のため中止。
- 2000年 ミスシャンシャン馬が公募制になる。
- 2001年 ミスシャンシャン馬が協賛企業の社員から選出される方式へ変更。
- 2003年 「神武さま広場」が高千穂通りに登場。神賑行列の参加者の一部がこちらに登場するようになる。
- 2005年 おきよ丸が登場。
- 2008年 神武さま広場の場所を橘通りに移転。
- 2010年 神武さま広場の場所を再び高千穂通りに移転。
2007.11Up
宮崎神宮大祭(宮崎神宮神武大祭) 神武さまの写真(平成19年度・2007年)
PhotoMiyazaki宮崎観光写真
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