「神武さま」の愛称で親しまれている神武天皇を祀る
宮崎神宮の神武大祭御振幸行列・御神賑行列の写真です。
宮崎神宮大祭の本宮祭の週の土日に神武大祭(神武様)は行われます。
御鳳董を中心に、列太鼓・大麻・御獅子・鉄杖・大真榊・御しもと・神饌唐櫃・筒太鼓・筒鉦鼓・女稚児・御楯.御鉾・御靱・御弓・御太刀・錦旗等が先導行列を組み、賓銭唐櫃・呉床・神馬・紫御翳・御錦蓋・御菅蓋・男稚児・流鏑馬射手等とつづく、古風で荘厳な神杜行列の後には、シャンシャン馬や地域の各団体の踊りなどの神賑行列がにぎやかに祭りをもりあげます。
古式ゆかしい、この伝統を受け継ぎ賑やかにくりひろげられるこの神幸・神賑行列は
宮崎の秋の風物詩ともなっています。
平成20年度(2008年)神武様御神幸・御神賑行列の日程
予想時刻(先頭・最後尾)
11月1日
宮崎神宮(13:00・13:40)→江平五差路(13:35・14:10)→デパート前交差点(13:50・14:35)→中村交差点(15:00・15:20)→大淀御旅所(15:10・15:30)
11月2日
大淀御旅所(13:00・13:30)→中村交差点(13:10・13:45)→デパート前交差点(14:10・15:10)→江平五差路(14:40・15:30)→宮崎神宮(15:25・16:00)
平成20年度(2008年)の宮崎神宮神武大祭内容は
神武様 まるわかりガイドより作成したページを参照してください。
平成20年度の神武大祭の写真について
今回のページはいままで掲載していなかった御振興行列や、平成20年に特別に加わった、「椎葉平家まつりの那須大八郎、鶴富姫」「清武の相撲踊り」「飫肥の泰平踊り」等を中心に掲載しました。
祭りに参加されてらっしゃる方の写真掲載は問題ないであろうと思い、お顔がわかる写真も掲載しております。
観客の方は、肖像権・プライバシー権等より、お顔がわからない程度に加工の上、掲載しました。
不都合等ございましたらメールいただければ対処します。
神武大祭・神武さまの見学場所について
中央分離帯のあるところでは御神幸・御神賑行列は自動車と同じ左側の車線を進行しますので、左側の車線側の歩道が近くて見やすいと思います。つまり一日目は東側(日南方面行き)の車線、二日目は西側(延岡方面行き)の車線です。
経験上、
個人的には一日目のデパート前交差点(橘通り三丁目付近)がこの祭りの一番の見学ポイントかと思います。
宮崎神宮を出発して間もなく、観客も一番多いところですので、皆様の動きも大変良いようです。
二日目復路は、写真を撮る方はビルの影が多くなる時間帯ですので、非常に撮り辛い環境となります。
あと・・大淀御旅所の時は、太鼓台や、おきよ丸が市役所前の橘橋への坂道を駆け上が行く姿もなかなか勇壮です。
おすすめ見学ポイント地図
(隔年で御旅所が変わり、県庁前/中村交差点は隔年変わりますのでご注意ください。)
宮崎神宮
江平五差路(通年)
デパート前交差点(通年)
県庁西交差点(平成奇数年)
中村交差点(偶数年)
上記交差点では獅子舞奉納や、神輿の練り、踊りなど、行列では見れない見所がたくさんあります。
神武様広場
土曜日は橘通りや、県庁前楠並木通りが18時から神武様広場となり、いろいろな催しが開催されます。
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平成17年(2005年)書いたブログ記事→
宮崎神宮神武大祭
平成18年(2006年)書いたブログ記事→
神武様広場で神楽を
平成19年(2007年)書いたブログ記事→
宮崎神宮大祭神武大祭
平成19年(2007年)の
宮崎神宮神武大祭 神武様の写真
平成20年(2008年)のスケジュール等→
神武様まるわかりガイドより
平成20年(2008年)に書いたブログ記事→
宮崎神宮大祭(神武様)と平家まつりと西都古墳まつり
宮崎神宮大祭年表 (2012年8月時点でのWikipadiaより引用 最新版はこちらにてご確認を)
- 1785年 御神幸祭に関する記述がみられる最古の年。
- 1876年 宮崎神宮(当時は宮崎神社)公式の資料に御神幸祭に関する記述のある最古の年。これを根拠として
- 1876年 宮崎神宮大祭の始まった最初の年とされる。
- 1877年 西南戦争のため中止。
- 1880年 宮崎市中村町の住民が御鳳輦(神輿)の渡御を嘆願。これが許可され御神幸の範囲が拡大される。
- 1899年 宮崎神宮(当時は宮崎宮)の社殿改装のため1906年まで中止。
- 1907年 宮崎神宮の改装が完了し、御神幸行列が復活。
- 1909年 御鳳輦を新調。御神幸行列が現在のスタイルに改められる。
- 1912年 明治天皇の崩御に伴い中止。
- 1913年 瀬頭に御旅所が建築され、例祭を含めて4日間の開催となる。
- 1914年 昭憲皇太后の崩御に伴い中止。
- 1927年 大正天皇の崩御に伴い中止。
- 1940年 流鏑馬武者行列が登場。
- 1944年 御神幸行列を1日に短縮。
- 1945年 例祭のみ実施し、御神幸行列を中止。
- 1949年 ミスシャンシャン馬が登場。宮崎市内から代表者を選出。
- 1950年 宮崎神宮御神幸祭奉賛会を設立。宮崎商工会議所が主体となった。
- 1951年 ミスシャンシャン馬を宮崎県内各市からの代表制とする。この年のみ中央御旅所を設け、御鳳輦はここで2泊した。
- 1957年 中村御旅所を休憩地とし、瀬頭で御鳳輦を2泊させる形式に変更。
- 1960年 中村・瀬頭でそれぞれ御鳳輦を1泊させる形式に戻す。
- 1965年 御旅所が中村(偶数年)・瀬頭(奇数年)の隔年交代となり、御神幸行列も2日に短縮される。
- 1971年 日程が現行のもの(26日例祭、御神幸行列は例祭後の土曜日・日曜日)に変更。ミスシャンシャン馬が宮崎交通社員からの代表制となる。
- 1972年 御神幸行列初日(土曜日)の夜間に橘通り(国道220号)を歩行者天国とする。現在の「神武さま広場」の原型。
- 1973年 ミスシャンシャン馬が宮崎市と周辺の町からの代表制となる。
- 1988年 昭和天皇病臥による「自粛」のため中止。
- 2000年 ミスシャンシャン馬が公募制になる。
- 2001年 ミスシャンシャン馬が協賛企業の社員から選出される方式へ変更。
- 2003年 「神武さま広場」が高千穂通りに登場。神賑行列の参加者の一部がこちらに登場するようになる。
- 2005年 おきよ丸が登場。
- 2008年 神武さま広場の場所を橘通りに移転。
- 2010年 神武さま広場の場所を再び高千穂通りに移転。