青島 海を渡る祭礼〔宮崎県 宮崎市青島〕
令和5年以前の「海を渡る祭礼」
「海を渡る祭礼」は、7月最後の土・日 二日間にわたり青島の地域内「道や海の中」を青島神社の お神輿が暴れながら練り歩く青島神社の夏祭りで、毎年、地区の22歳・23歳の氏子青年が主催者となり、お神輿を担いでおりました。
祭り2日目には、お神輿の渡御があり、白浜で お神輿を乗せた船「御座船」を先頭に、大漁旗が飾られた数十艘の漁船が列をなして青島にそって海上を廻りこみ、青島海岸沖に移動します。
青島海岸沖で「御座船」の お神輿は陸上用の小型船に移り、沖で見守る多くの漁船団に見守られつつ、青島海岸に上陸する姿は実に壮観!感動します。
お神輿の渡御 浜下りは江戸時代に始まったようですが、今の「海上渡御」は、氏子漁民の発意で昭和23年から始まったようです。
みやざき市広報 225号 昭和37年(1962年)8月号より
青島神社は、古事記に記された海幸彦・山幸彦伝説で有名、山幸彦を祀る神社です。
兄(海幸彦)から借りた釣りばりを失くし、海辺で途方に暮れていた彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)のもとへへ現れた塩椎神(シオツチノカミ)に誘われ海神の宮へ向かい、豊玉毘売と結婚をして暮らし始める、というストーリー(最下段に詳しく記載)。
平成5年(2023年)1日になり巡回コースも縮小
今年、平成5年は、従来の2日から1日限りへと変更になったようです。
青島ナビサイトによると "今までこのお祭りは、青島、内海出身の23才が主催者で行われていた神事でしたが、今は出身者も少なく、コロナ禍で繋がりも薄くなり存続が危惧されておりました。
その為、青島在住者も参加出来るように、有志を募り実行委員会を立ち上げ、皆が参加して楽しめるように企画しました。"
との事でした。
4年ぶりの開催となる今年は、7月30日(日)の一日限りとなったようで、移住者の方なども加わり約250人が参加。お神輿は白浜海岸で海に入り船に乗せる予定だったようですが、波が高かったため、青島漁協前でお神輿を船に載せて海を回ったとの事です。
青島海岸に船で上陸することはなかったようです。
今回、青島神社での「宮入り」などを見学しましたが、境内での「暴れ神輿」の際、間の束の間、女性の方が数名、お神輿に加わり担ぐシーンがありました。
今までこういう事は無かった気がします、種々変りつつあるのだろうと思います。それはそれで良いのではないでしょうか。
話は変わりますが、以前は氏子・社家の方だけしか舞う資格のなかった「神楽」などでも、少子化・若者の離郷などで後継者不足に陥り、門戸を広げつつ、神楽を継承して行こうという動きもあります。女性が保存会の一員となっているところもあります。
時代に則して、対応して行くしかないです。
平成5年度「青島 海を渡る祭礼」概要
日程:2023年7月30日(日)
場所:青島神社および青島地区一帯
午前の部
- 07:30 青島神社(御発幸祭)
- 08:00 出発(出御)
- 08:30 - 08:40 青島屋 前
- 09:20 - 09:30 青島地域センター
- 09:50 - 10:00 青島1部消防小屋
- 10:15 - 10:25 青島小学校
- 11:40 白浜地区公民館 着
- 11:40 - 12:20 昼食
午後の部
- 12:20 出発
- 12:40 - 12:50 白浜海水浴場
- 13:15 御船出(波の影響で青島漁港に変更したようです。)
- 14:50 - 15:00 青島漁協
- 15:15 - 15:25 天神様
- 16:00 - 16:10 青島駅
- 17:00 青島神社 着
- 17:40 御還幸祭
青島 海を渡る祭礼 アクセス・地図等の情報
青島神社 鎮座地:〒889-2162 宮崎県宮崎市青島2丁目13番1号
JR日南線 青島駅下車 約800m 徒歩約10分
宮崎ICから国道220号を日南方面へ 約13km 約15分
宮崎空港から約15分
宮崎駅から約25分
地図:
青島神社
青島周辺の無料駐車場案内(ブログ記事) その地図
令和5年(2023年)撮影 青島 海を渡る祭礼(12枚)
青島海岸 弥生橋近くで海に入る
御神幸を終え、戻って来た一行、御祭神の御霊をのせた子供神輿、青島様神輿、は青島神社へと戻り、暴れ神輿(恵比寿様)は、「海の交番」へ立ち寄りその後、弥生橋近くで海に入ります。
青島神社境内での暴れ神輿
各所でみこしを激しく振り回す「暴れ神輿」を披露、「暴れ」は、お神輿を大きく振ることによって、けがれを振り払い、五穀豊穣、疫病退散といった神様の恵みを地区のすみずみにまでふりまいているのとのことです。
以下の5枚は平成24年(2012年)撮影したもの
浜下り唄にあわせて、ねり歩き、途中ところどころで、お神輿を激しく振り回す「あばれみこし」を披露します。
以下は令和元年(2019年)に撮影したもの
(参考)過去の2日間の順路
令和元年(2019年)の巡回コース(青島神社 ⇔ 天神様)
日程:
・7月27日(土)8:00 青島神社 出発 → 17:40 天神様 到着
・7月28日(日)9:00 天神様 出発 → 17:40 青島神社 到着
海を渡る祭礼 一日目 コース
海を渡る祭礼 二日目 コース
青島神社への「お宮入り」 動画サイト(Youtube)に掲載したもの
映像は、平成25年の「海を渡る祭礼」より、見所の一つとも言える、クライマックス、青島神社への「お宮入り」の場面です。
あばれ神輿は祭りが終わるのを惜しんで、境内で暴れを繰り返し、なかなか入りません。(映像はカットしてます。)
(以下の動画が枠内で見られない場合、
Youtubeリンク先でご覧ください。
海幸彦(ウミサチヒコ)と山幸彦(ヤマサチヒコ)
海幸山幸の神話が関連しているので、関連のお話を紹介しておきます。
記紀(古事記・日本書紀)では、表記が異なります。(この項目では古事記に準じております。)
海幸彦 → 古事記:
火照命(ホデリ) 日本書紀:火明命(ホアカリ) (第一王子)
山幸彦 → 古事記:
火遠理命(ホオリ) 日本書紀:彦火火出見尊(ヒコホホデミ) (第三王子)
火照命(ホデリノミコト)= 海幸彦は漁師として海のさまざまな魚をとり、
火遠理命(ホオリノミコト)= 山幸彦は、猟師として山にいる大小さまざまな獣をとっていました。
あるとき、
山幸彦は兄の
海幸彦に互いの道具の交換して使ってみようと提案、
海幸彦は三度断わりましたが、少しの間だけ交換することにした。
山幸彦は兄の釣針で魚を釣ろうとしたが1匹も釣れず、しかもその釣針を海の中になくしてしまいました。兄の
海幸彦も獲物をとることができず、「山の獲物も海の獲物も、それぞれ自分の道具でなくては得られない」と言って、自分の道具を返してもらおうとしました。
山幸彦が釣針をなくしたと告げると、
海幸彦は無理やりに返せと責め立てました。山幸彦は自分の十拳劔から1000の釣針を作り償おうとしましたが、
海幸彦は「やはり元の釣針を返せ」と、受け取りませんでした。
山幸彦が海辺で泣き悲しんでいると、塩椎神(しおつちのかみ。潮流の神)がやって来た。
山幸彦が事情を話すと、塩椎神は早速竹を隙間無く編んだ小船を造り、
山幸彦を乗せ、綿津見神(海神・わたつみ)の宮殿へ行くように言いました。
山幸彦が綿津見神の宮殿へ行き、桂の木に登っていると、そこに、海神の娘の
豊玉毘売(トヨタマビメ)の侍女が水を汲みに外に出て来ました。(写真参照)
山幸彦が水を求めたので、侍女が水を器に入れて差し出すと、
山幸彦は水を飲まずに首にかけていた玉を口に含んでその器に吐き入れた。すると玉が器にくっついて侍女は玉をはずすことが出来なくなりました。侍女は玉のついたままの器を
豊玉毘売(トヨタマビメ)に差し上げて、事情を話しました。
不思議に思って外に出た
豊玉毘売(トヨタマビメ)は、
山幸彦を見て一目惚れした。父である海神も外に出て、そこにいるのが天孫邇々芸命
(ニニギノミコト)の子の
山幸彦=火遠理命(ホオリノミコト)であると言い、すぐに
豊玉毘売(トヨタマビメ)と結婚させた。こうして、海神の元で三年間暮した。
三年経ち、
山幸彦は最初にここへ来た理由を思い出し、深いため息をつきました。海神がため息の理由を問うたので、事情を話しました。
それを聞いた海神は、海の魚たちをことごとく集め、釣針を持っている者はいないかと問うと、赤鯛の喉に骨がひかかり物を食べることが出来ないと悩みを訴えていることがわかり、海神がのどを探ったところ、釣針が見つかりました。海神は釣針と鹽盈珠
(しおみちのたま)・鹽乾珠
(しおひのたま)を
山幸彦に差し出し、「この釣針を兄に返す時には、『この釣針は、憂鬱になる釣針、気がいらいらする釣針、貧しくなる釣針、愚かなる釣針』と唱えて、手を後に回して渡しなさい。兄が高い土地に田を作ったらあなたは低い土地に、兄が低い土地に田を作ったらあなたは高い土地に田を作りなさい。兄が攻めて来たら鹽盈珠で溺れさせ、苦しんで許しを請うてきたら鹽乾珠で命を助けなさい」と言った。そして和邇
(わに/鮫のこと)に乗せて送って差し上げた。(写真参照)
山幸彦は海神に言われた通りに、兄に釣針を返し、言われた通りに田を作った。海神が水を掌っているので、
海幸彦の田には水が行き渡らず、
海幸彦は貧しくなっていった。さらに
海幸彦が荒々しい心を起こして攻めて来た。すると
山幸彦は塩盈珠を出して溺れさせ、
海幸彦が苦しんで許うと、塩乾珠を出して救った。これを繰り返して悩み苦しませると
海幸彦は頭を下げて、
山幸彦を昼夜お守りすると言った。
綿津見神の宮
(海神国)で
山幸彦と結婚し、身ごもった
豊玉毘売(トヨタマビメ)は、天孫の御子を海原で生むことは出来ないと考え、夫のいる陸にやってきました。
豊玉毘売(トヨタマビメ)の出産あたりから、舞台は、「青島」から日南市の「
鵜戸神宮」となり、
お乳岩などの伝承が残ります。
山幸彦は
豊玉毘売(トヨタマビメ)のために浜辺に産屋を作ろうとしたが、茅草がわりの鵜の羽を葺き終えないうちに産気づいたため、産屋に入った。
豊玉毘売(トヨタマビメ)は、「他国の者は子を産む時には本来の姿になる。私も本来の姿で産もうと思うので、絶対に産屋の中を見ないように」と
山幸彦に言う。
しかし、
山幸彦はその言葉を不思議に思い産屋の中を覗いてしまう。そこに
豊玉毘売(トヨタマビメ)が姿を変えた八尋和邇
(やひろわに)が腹をつけて蛇のごとくうねっているのを見て恐れて逃げ出した。
豊玉毘売(トヨタマビメ)は火遠理命に覗かれたことを恥じて、生まれた子を置いて海に帰ってしまいます。
鵜の羽で屋根を葺き終わらないうちにお産まれになったお子は、鵜草葺不合命
(ウガヤフキアエズノミコト)と名づけられました。
しかしその後、
火遠理命(ホオオリノミコト)が覗いたことを恨みながらも、
豊玉毘売(トヨタマビメ)は、残してきたわが子が気になり、御子を養育するために妹の
玉依毘売(タマヨリビメ)を遣わし、託した歌を差し上げ、互いに歌を詠み交わした。
豊玉毘売(トヨタマビメ)は
赤玉は 緒(お)さへ光れど 白玉の 君が装(よそひ)し 貴くありけり
「赤い玉は、それをつらぬく賭さえ光り輝き美しい。けれども、白い玉のように輝いていたあなたの貴いお姿も忘れられません」
と、和歌を寄せられたのに対し、
火遠理命(ホオリノミコト)は、こう返歌した。
沖つ鳥 鴨(かも)どく島に わが率寝(るね)し 妹(いも)は忘れじ 世のことごとに
「私が生きている限り、沖のカモメが寄り集う、あの遠い海神の宮殿で仲よく暮らした恋しい妻を、どうして忘れることができようか」
カッコ内現代語は 古事記と日本の神々がわかる本 吉田邦博著 より
玉依毘売(タマヨリビメ)は後に鵜草葺不合命
(ウガヤフキアエズノミコト)の妻となって、五瀬命(イツセ)、稲飯命(イナヒ)、御毛沼命(ミケヌ)、若御毛沼命(ワカミケヌ)を産んだ。末子の若御毛沼命が、神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレヒコノミコト、後の神武天皇)となる。
神武天皇は、
宮崎神宮に祀られています。
海幸彦は、日南市北郷の
潮嶽神社に祀られています。
日向神話に登場する神々
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青島神社 - 平成元年「青島 海を渡る祭礼」 - 「青島 海を渡る祭礼」令和5年は一日だけ
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