中之又神楽 8/8Page (若男之舞、伊勢神楽、手力男之舞、戸開雄之舞、繰り降ろし、成就神楽、宮神楽、舞上、ししば祭り)
【25】 若男之舞
一人舞 岩戸の所在さぐり・清め祓えの象。
岩戸の所在探りの舞とさる。前の住吉之舞とは対照的に、動きが速く、活発な動きの舞である。(14分)
【26】 伊勢神楽
一人舞 岩戸誉め・太陽神出座祈願の象
中之又鎮守神社 中武春男宮司
天児屋命を体現した神主が伊勢縁起を唱え、天照大神の出現を祈願する舞とされる。
神主の登場に先立ち、畳一枚分の広さのゴザが敷かれ、その上で舞う。
中盤、舞を中断し、神前に直立して伊勢の唱教を約二分間ほど唱える。その後再び右手鈴、左手御幣二本を持って舞った。最後は採物を神前に置き、指でワッカをつくり舞い終えた。(26分)
【27】 手力男之舞(地割)
一人舞 岩戸開きの象。
岩戸開きに関わり、戸開雄に引き継ぐ舞とされ、五つ歌と七つ歌が歌われる。舞上で歌われる七つ歌は「取り歌」で、上の句を舞い手、下の句を楽屋の人が歌う。
舞い終わると御神屋の西側角に控え、戸開雄を迎えた。戸開雄の舞が終わると、再び登場し、感謝の意を表わす舞上を舞う。(25分、舞上の9分を含む)
五ツ歌
- 振立る五十鈴の音に神さびて人の種こそ人のた子なり
- 暗き夜に何とて磐戸明にけり さよつげ人の歌う神楽に
- 千早振る吾が心より為す業を何れの神かよそと見るべき
- 不審候者かな 吾が御前は七日七夜の神楽をまいらすれども終に出てもせさせたまわん候者かな いざや戸隠の明神坐さば あの天磐戸を取って引きやぶり天下人ぐさに拝ませ申さん
- 立ちかえり亦も日くの不思議かなしも すそ河のぜぜの白波
七ツ歌
- いやー千早振る神に再幣なす時は 社社の神明新たこれなり
- いやー榊葉はいつの時の植えそめて 磐戸の前のかざしとはなる
- いやー敷島の道をたたえん吾なれば 天下をば明らかにせん
- いやー東山小松かきわけ出る日の あれほど広きししの原止り
- いやー月と日と一津豊間の池の水 すまばかぎりは我あれとしれ
- いやー思います心は空にかよえども 月を手に取る言の葉もなし
- いやー月と日とくらべてみれば面白や 月こそまさる夜を照らする
【28】 戸開雄之舞
一人舞 戸開き・太陽神復活の象。
天の岩戸を押し開き太陽神の復活となる舞とされ、榊柴に隠れた天照大神を、その榊柴を取り除くことで岩戸開きを表現する。
舞い手は被笠に戸開雄の面を着け、白張の上に千早袴を着用し、腰に色幣の付いた御幣を差し、ツエンボ(戸開雄の杖)を手に舞う。
舞いの途中で袖に忍ばせていた榊柴の葉を左手で御神屋に撒く。
後半、ツエンボを腰に差し、神前に脆いて天照大神の面を覆う榊柴を両手で取り除くと、腰に差していたツエンボを両手にかざして持ち、後ずさりして退場した。(5分)
【令和5年(2023年)画像追加】戸開雄の舞が終えると、再び手力男が登場する。
【29】 繰り降ろし
六人舞 勧請諸神への感謝・注連倒し準備の象。
勧請の八百万の神に本直帰還へのお礼を述べ、さかき倒しの準備に入る舞とされる。
六名の舞い手が烏帽子を被り、白張の上に素襖を着用し、右手に鈴、左手に扇を持って舞う。後半、鈴を右手、迦から下がる繰り降ろしの縄を左手に持って舞い、最後は鈴を置き、片手で縄を引き、もう一方の手で縄のワッカを持って舞い、三度目に神前から下がつた時に縄を引つ張つて切った。参拝者に配られるこの縄は御利益があるとされ、自宅の神棚に祭ったり腰痛の人は腰に巻いたりする。(37分)
【30】 成就神楽(全員舞(素人舞))
全員舞 緒祈願成就を喜ぶ(願ほどき)。
一般の参列者が白幣を下げた榊柴を右手に持ち、御神屋に入って舞う。
諸祈願成就を喜ぶ舞とされる。今回は舞い手12名中7名が素人だった。(25分)
【31】 神送神楽
宮司の祝詞奏上の後、神輿を御神屋より拝殿へ移し納める。(舞は無い)
宮司の祝詞奏上の後、太鼓と笛が演奏される中、迦下に祭ってあったた神輿を御神屋に降ろし、担ぎ棒を通した後、白幣を着けた榊柴と第を持つ宮司を先頭に、四名で担いで拝殿に納めた。(5分)
【32】 宮神楽
二人舞 祭場漬めの象 ※33舞上と同時舞。
清めの舞とされる。御神屋から拝殿に楽(ガク打ちのみ残す)が移された後、烏帽子を被り、白張の上に素襖を着用した舞い手二名が拝殿内で、同様の装束で舞い手二名が御神屋内で舞う。拝殿の二名は右手に鈴、左手に扇を持つ。また、御神屋の二名は右手に鈴、左手に一人は二本の矢を、もう一人は弓を持って舞った。舞い始めに太鼓役が神楽歌を歌い、舞の途中で宮司による祝詞奏上があつた。拝殿内の舞では後半、扇を開いて舞った。「拝み」 の動きもあつた。(11分)
【33】 舞上
二人舞 諸神への感謝
諸神への感謝の舞とされる。宮神楽を御神屋側で舞った二人による舞。
一人は拝殿に移り、右手に鈴、左手に二本の矢を持って舞った。もう一人は右手に鈴、左手に弓を持って舞った。(6分)
ししば祭り
神楽の神面・衣装・採り物など
令和二年三月 米良山の神楽 調査報告書 (274P)より一部抜粋
| 番付 | 神面 | 衣装 | 採物 |
1 | 一番神楽(奉賛舞) | | 烏帽子・狩衣 | 鈴・扇子 |
2 | 花の舞(地割) | | 毛頭・千早 | 鈴・扇子・お膳(榊葉約10枚入) |
3 | 三番神楽(鬼神地舞) | | 毛頭・千早 | 鈴・扇子・腰幣・舞幣 |
4 | 鬼神舞 | 鬼神様 | 冠・鬼神様衣装 | 面棒(白)・扇子・腰幣(榊葉) |
5 | 大社地舞 | | 烏帽子・千早 | 鈴・扇子 |
6 | 大社舞 | 大社様 | 大社様衣装・冠・頭巾 | 面棒(色物)・扇子・腰幣(榊葉) |
介添え | | 烏帽子・千早 | 弓・矢 |
7 | 宿神地舞 | | 烏帽子・千早 | 鈴・扇子 |
8 | 宿神舞 | 宿(祝)神様 | 陣羽織・神様用袴・毛頭・頭巾 | 面棒(色物)・扇子・腰幣(榊葉) |
9 | 天神地舞 | | 烏帽子・千早 | 鈴・扇子 |
10 | 天神舞 | 天神様 | 陣羽織・神様用袴・冠・頭巾 | 面棒(色物)・扇子・腰幣(榊葉) |
11 | 鹿倉・稲荷地舞 | | 烏帽子・千早 | 鈴・扇子 |
12 | 鹿倉舞 | 鹿倉様(中野・中野の八幡 筧木・屋敷原) | 陣羽織・毛頭・頭巾 | 面棒(色物)・扇子 |
13 | 稲荷舞 | 稲荷様、鹿倉様(松尾) | 陣羽織・毛頭・頭巾 | 面棒(色物)・扇子 |
14 | 弓将軍 | | 毛頭・タスキ・矢(背に着装) | 鈴・弓・矢 |
15 | 柴荒神 | 柴荒神様 | 陣羽織・毛頭・頭巾 | 面棒(白)・扇子・腰幣 (榊葉)・榊葉(袖の中) |
介添え | | 烏帽子・千早 | 弓・矢 |
16 | 舞上(神主舞) | | 烏帽子・紋付素襖 | 鈴・祓幣(白) 面棒(荒神様所有) |
17 | 四人神崇 | | 毛頭・タスキ | 鈴・半紙・太刀 |
18 | 中央之舞・舞上 | | 烏帽子・紋付素襖 | 祓幣(白)・鈴 |
19 | 一人神崇 | | 毛頭・タスキ | タスキ・小太刀 |
20 | 獅子舞 | | 獅子の衣装 | |
21 | 獅子とり荒神 | 鹿倉様(板谷) | 荒神衣装・毛頭・タスキ | 面棒(白)・腰幣(榊葉) |
22 | 磐石舞 | 磐石様 | 磐石衣装・頭巾 からいカゴ・腰テゴ | 鈴(磐石用)・榊の枝・シャモジ (大小)・御器・すりこ木 |
23 | 神和気(嫁女之舞) | 神和様 | 着物・冠・頭巾 | 扇子・神和気幣 |
24 | 住吉之舞 | 住吉様 | 烏帽子・鉢巻き・素襖(たすき掛け) | 面棒(色物)・扇子 |
25 | 若男之舞 | 若様 | 陣羽織・大口の袴・毛頭・頭巾 | 面棒(白)・扇子・腰幣(榊葉) |
26 | 伊勢神楽(神主舞) | | 狩衣・烏帽子・鉢巻き | 鈴・扇子・舞幣 |
27 | 手力男之舞 | 手力男様 | 烏帽子・鉢巻き・千早 | 鈴・舞幣・腰幣 |
天照光大神様 | | |
28 | 戸開雄之舞 | 戸開雄様 | 毛頭・頭巾・千早 | 面棒(白)・榊葉(袖の中) |
29 | 繰り降ろし | | 烏帽子・千早 | 鈴・扇子・注連の縄 |
30 | 成就神楽 | | 烏帽子・千早 | 鈴・扇子・榊の枝 |
31 | 神送神楽 | | 烏帽子・神主衣装 | |
32 | 宮神楽 | | 烏帽子・千早 | 鈴・扇子・弓・矢 |
33 | 舞上 | | 烏帽子・千早 | 鈴・弓・矢・御幣 |
※平成30年中之又神楽保存会と「米良山の神楽」記録作成調査委員会事務局にて作成
➡ 資料(神楽面等の紹介)
あとがき 中之又のこと
中之又地区は、宮崎県木城町の街中から車で約45分程のところにある山間にある自然豊かな小さな集落。
令和5年(2023年)4月1日現在、27世帯 36人が暮らしており、うち28人が65歳以上の高齢者となっており、高齢化率は8割を超える「限界集落」です。
昭和30年代は、林業、鉱山なども栄え、最盛期には約800人が暮らし「中之又小学校」の生徒数も100名を超えていたと聞きます。
産業の衰退と共に、やがて過疎化は進み、平成になると生徒数も10人以下となり、地区の「中武千草さん」らが中心となり、小学校を守るために山村留学をはじめた、宮崎市内など県内の都市部から受け入れ 1995年度から2008年度まで 13年間延べ 230人が学んだが、平成20年度全校児童数は2名まで減少してしまい、平成21年(2009年)3月、最後の卒業生を送り出し、「中之又小学校」は閉校となってしまいました。
私が、「中之又神楽」を知ったのは、一昔以上前、NHK宮崎放送(ローカル)で放送された番組でした。
おそらく「中之又小学校」が閉校した年(2009年)の頃だったろうと思います。
中之又神楽では、「中之又小学校」での山村留学中に、神楽を学んだOB/OGが毎年、日向市や宮崎市から中之又へ神楽に戻って来て、舞い手を担っている事、舞いを見守っている母のような「中武千草さん」の姿、感動しました。
その後、中武千草さんは、親や集落のお年寄りたちが家 集落を離れて遠くの施設へ行かなくてすむようにと 多くの人々の協力を得て 2011年12月に有料老人ホームも開設しました。
千草さんの夫、春男さんは、中之又鎮守神社の宮司でもある。
2012年、はじめて中之又神楽を訪れ、その後(令和4年現在)毎年のように訪れております。
神楽の写真をWebで公開、写真が縁で、中武千草さんとも知り合いになった。
2018年、神楽を舞う方の高齢化が進み、夜を徹しての夜神楽が厳しくなり、試験的に午後1時から夜中までの宵神楽になったこともありましたが、翌年から再び夜を徹しての夜神楽に戻っております。
再び夜神楽が出来るようになったのは、中之又小学校の先生だった、﨑田茂さん、そして栞さんの協力も大きい存在。
山村留学の卒業生も力となり、頼もしい後継者が育ってきているようです。
毎年、大祭(神楽)に駆けつけ、設営・運営・撤去を手伝う いわば裏方を担う「九州つなぎ隊」などボランティアで手伝って下さる方々も忘れてはならない存在。
これら「絆」や神楽へのおもいが中之又神楽を支え継承している。
私たちに出来る応援は、神楽に足を運ぶこと。五感で感じ、そして伝えること。
いつまでも神楽を継承して欲しいとの想い、願いで、あらためて「中之又神楽」平成30年版ページを作成、その後も加筆更新をしております。
令和5年「中之又神楽」は、「米良の神楽」の一つとして国の
重要無形民俗文化財に指定されました。
参考リンク:
➡ 女性による農を基軸とした地域活性化 / 露理恵子
689p「中山間地域の女性農業者の事例・宮崎県児湯郡木城町中之又の中武千草さん」
/ 2019/9/1作成・2023年/6/21 文 見直し更新
令和6年(2024年)11月「
東京の国立能楽堂で公演の噂」を風のたよりに聞きました。
時期が来れば、宮崎県より観覧要綱など発表になるだろうと思います。(2024/3 記)
一夜続いた神楽も、東の空が茜色に染まり始める頃「岩戸開き」となる
当サイト内検索(画像も)出来ます。
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【サイト内検索のご案内】
当サイト内には多くの神楽の関連ページ/写真があります。
以下より、当サイト内の検索が出来ます。
画像検索もできますので、写真を探すことも出来ます。
中之又神楽 8/8Page (若男之舞、伊勢神楽、手力男之舞、戸開雄之舞、繰り降ろし、成就神楽、宮神楽、舞上)
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PhotoMiyazaki -
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