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オブサン古墳
♪九州の熊本 行った ならぁ〜♪ (中略) まるで かわいい スフィンクスみたいな古墳さぁ〜♪
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熊本県指定史跡 オブサン古墳 OBUSAN ROUND BARROW


直径約22m、高さ約4mの突堤付き円墳

オブサン古墳の歴史
オブサン古墳は豪族の墓として、岩野川流域に古墳時代最後の6世紀末から7世紀初めにかけて築造されたもので、主体部には巨石で造られた横穴式石室があり、石材は近接する台地周縁に産する鍋田石(阿蘇泥溶岩)を使用しています。
その後、しばらく古墳への一族の追葬が続きましたが、やがて古墳時代も終わり、この古墳の被葬者名も忘れ去られてゆきました。

平安時代も終わりを迎えようとする頃、同じく地元岩野川流域の荘園内で勢力を蓄えつつあった有力者が、オブサン古墳の石室に着目し、この地を墓所に選んだ。
埋葬は前室を利用し、儀式用の10数点にものぼる土師質の燈明皿をはじめ、中国から渡来した白磁類、国内産の瓦質碗、中国の銭貨等が遺体とともに納められた。
その後、再び、この古墳は忘れ去られ野に埋もれた。

江戸時代の中期頃になると、墳丘の裾部を削って周溝が埋め立てられ、畑地造成が進められた。
しかし石室は安産の神様として、この頃から信仰されたものと思われる。
玄室から発見された多数の銅銭が当時のひとびとの信仰を物語っている。

明治10年(1877)西南戦争が勃発し、田原坂(植木町)や鍋田一帯(山鹿市)が戦場となり、高所に位置するこの古墳は政府軍の陣地に利用された。この時、石室内の閉塞石をはじめとする多量の石材等が運び出され、前庭部に掩体(えんたい=身を守る為の防護壁)が設けられ石室内の破壊が進んだ。

昭和61年、この古墳は風土記の丘設置事業として、築造当時の姿に復元され、面目を一新した。
このように、この古墳は、四たび歴史の舞台に登場したのである。

 

 

肥後古代の森

肥後古代の森 山鹿地区案内図
〔 肥後古代の森 山鹿地区案内図 〕

「肥後古代の森」は、菊池川流域のなかで古代の遺跡が数多く残る鹿央町、菊水町とこの山鹿市との3地区からなっています。
地区の北側には、装飾古墳として有名な国指定のチブサン古墳、県指定のオブサン古墳、及び西側には方形周溝墓などが分布する西福寺古墳群があります。
地区の東南岩野川右岸の岩壁には国指定の鍋田横穴群があり16基に装飾文様が確認されています。
また、中央部の「古代の森」、「古代の道」では、古代時代関係資料を野外展示するとともに、山鹿市立博物館などが整備されています。

熊本県指定史跡 オブサン古墳 OBUSAN ROUND BARROW

1.古墳の概要
この古墳は、装飾古墳として有名なチブサン古墳(国指定史跡)の西北方向約200mの所にある。
オブサン(産さん)古墳の名称も、チブサン古墳(乳の神様)に関連づけて命名されたものらしく、昔から安産の神様として信仰されてきた。
墳丘は、復元前はと直径12m、高さ4mの残丘となっていたが、調査の結果、築造時は、直径22m、高さ5mの周囲に馬蹄形状の周溝を巡らす円墳であることがわかった。
墳丘内には、南に開口する横穴式石室があり、南に延びる二本の突堤が入口部左右に取り付けられ、前庭部(儀式の場を思われる)は周溝から区分されている。
石室内の玄室には、奥壁に沿って石屋形が設けられていたが、破壊され痕跡が残るのみであった。装飾文様は、玄室の仕切り石に朱による連続三角文が、また、同奥壁の中央部左寄りに小形の盾または靱が朱で描かれている。
遺物は装身具、武具類、日曜雑器等が石室の内外より出土した。築造時期は古墳時代後期を推定される。

2.地形と環境
この古墳は、 チブサン古墳とともに、岩野川石岸に横たわる標高65mの城(じょう)台地の中央部東端にある。
城台地は、南下する岩野川右岸沿いに南北にのびる洪積台地で、東は岩野川、南は菊池川が境となり、西は北の小群(こむれ)まで細長く入りこむ迫地(さくち)が境である。台地の北端には、城集落がある。
この台地の東縁に露頭する阿蘇泥溶岩の岩壁には、北から城、付城、鍋田の各横穴群が断続的に連なり、古代における一大墳墓群を形成している。

3.墳丘の規模と特徴
墳丘は、城(じょう)台地上の南に傾斜する面に、溝を堀り土を盛って築造したものである。
入口部を南側に設け、斜面裾部見上げることにより墳丘を壮大に感じさせる効果をねらったものと思われる。
築造当初の墳丘の規模は、直径22mで周囲に幅4m前後の馬蹄形状の周溝を巡らすものであった。
復元前の墳丘は、高さが4m、東西の直径が14m、南北が12mの残丘となっていたが、これは江戸時代の開墾時の割り当てによるものである。
墳丘は、黒褐色土帯と黄色土(粘土)帯が交互につきかためられており、石室の天井石近くでは水の浸入を防ぐため、特別の白粘土が施され、石室間隙(かんげき)の目張りの役目を果たしている。
墳丘がm、千数百年を経た現在まえ命脈を保ち得たのも、この版築の手法に負う所が大きい。

4.石室の構造
石室は、地元産の巨石をもって築造され、玄室奥壁から前庭部末端まで約15mの長さである。
玄室は、やや長方形で奥壁に沿って石屋形、その手前の左右に屍床(ししょう)が設けられ、床には直径10cm前後の平たい敷石がある。
前室は、主軸方向に短い長方形で、参道部以外は玄室と同様、左右に敷石がある。
玄室と前室、前室と羨道部は、左・右両袖石と框石(かまちいし)によって区別され、框石部には、腰石が積まれている。この部分は、儀式の場と考えられる。
石室全体は、南に傾斜する面に半地下式に掘り込んで設けられており、各石材の間隙は、白粘土により目張りされている。
なお、玄室の石屋形および左右の屍床の仕切り石は、失われたため、整備時に復元後補したものである。



石室の構造
〔 石室の構造 〕

5 埋葬文様
装飾古墳は、目鑑橋とともに、熊本県が全国に誇り得る代表的な文化財である。
現在、県下の装飾文様を持つ古墳の数は181基(昭和61年3月)となっておる。
九州の装飾古墳の内・外壁や石棺に描かれる装飾文様は、円文、三角文、双脚輪状文といった幾何学文様と、靭、盾、刀子、人物、馬、舟といった当時の生活をしのばせる形象的文様に大別される。
また、装飾古墳に施された文様を手法的に見ると、線刻・浮き彫りよるものと、絵画によるものとがある。
前者は、熊本県に、後者は、福岡県に主として分布している。そして県境をはさむ中間地帯に位置する山鹿地方の装飾古墳は、両者が並立する地帯として特色づけられる。
浮き彫りによる例が鍋田横穴27号墓であり、チブサン古墳やこの古墳は、絵画にによる代表例である。
この古墳の装飾文様は、玄室左仕切り石に、朱による連続三角文が描かれる。
なお右仕切石にも同様の文様が描かれていたと推定されるが、現在は痕跡を残すのみで消失している。また、奥壁中央部左寄りにも、小形の盾、または靭が朱で描かれている。

6 出土遺物
遺物は石室の内外から多数出土しているが、時代別に分類すると次のとおりである。
1.古代(古墳築造時)・・装身具(小玉、金環)・鉄製品(馬具、武具)・日曜雑品類の須恵器(壷・甕・高坏・坏・瓦泉(はそう))
2.中世初頭(追葬時)・・焼物類(白磁碗、瓦質碗、土師質土器等)・銅銭(開元通宝)・鉄釘・その他埋葬人骨等
3.近世・・・ 陶磁器片・銅銭(寛永通宝、その他)
4.近代(西南戦争時) 弾丸・砲弾片・その他
5.近・現代・・陶磁器片(宇土網田焼)・銅銭・アルミ銭等

古代の遺物は、主として羨道部(馬具・武具類)と前庭部(須恵器類)に集中して出土、また中世初頭の遺物は、前室部(白磁・瓦質碗・土師質土器等)から、近世の安産の神信仰に関連する遺物(陶磁器・銅銭等)は、玄室を中心に数多く出土した。
西南戦争における遺物は、石室外から発見されている。
主体となるべき古墳築造当時の副葬品の出土が、玄室部からほとんど見られないのは、早い時期の開口による度々の盗掘を物語るものである。

上記、説明文は現地案内文より一部転載したものです。


 
オブサン古墳
〔 オブサン古墳 〕
オブサン古墳
〔 オブサン古墳 〕

 
 
オブサン古墳 正面
〔 オブサン古墳 正面 〕
オブサン古墳 正面
〔 オブサン古墳 正面 〕

 
 
オブサン古墳 前庭
〔 オブサン古墳 前庭 〕
オブサン古墳 羨道
〔 オブサン古墳 羨道 〕

 
 
オブサン古墳 前室
〔 オブサン古墳 前室〕
オブサン古墳 玄室
〔 オブサン古墳 玄室〕

 
 
オブサン古墳 玄室
〔 オブサン古墳 玄室〕
オブサン古墳 内部より
〔 オブサン古墳 内部より 〕

 
 


閉塞石(右写真)

オブサン古墳を閉塞していた蓋石で、
古墳の整備時に移したもの。
前室の閉塞石は破損していたので接合復元、
西南戦争時の弾痕が認められる。

オブサン古墳 左 前室の閉塞石 右 玄室の閉塞石
〔 左 前室の閉塞石 右 玄室の閉塞石 〕

 
オブサン古墳の横にある展示物を撮影(オブサン古墳出土の遺物を実物大に模造・復元したもの。)

オブサン古墳出土の遺物を実物大に模造・復元したもの


以下の二枚は、熊本県立 装飾古墳館(熊本県山鹿市鹿央町)で撮影したもの。
金環(きんかん)
〔 金環(きんかん) 〕
金銅製杏葉(こんどうせいぎょうよう)
〔 金銅製杏葉(こんどうせいぎょうよう) 〕

 


オブサン古墳へのアクセス等の情報

住所: 熊本県山鹿市城字西福寺1786
地図:GoogleMap Mapfan Mapion マップコード(175 395 338)
緯度経度:N=33.1.37.4 E=E130.40.10.8(日本地理系)
バス:九州産交板楠経由南関行 石村温泉入口下車 徒歩10分

肥後古代の森ページのロードマップも参考になると思います。




この日は、車で「オブサンベイベー」を聴きながら向かいました!!!

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2. 箸墓古墳の歌〜卑弥呼★ShiningStar〜
3. 遥かなる石舞台
4. キトラ永遠に…
5. オブサンベイベー
6. さきたまの悲劇 part1
7. 麗しの仁徳陵
8. ハニワのブルース

 


気軽に読める、古墳ガイド本 (表紙カバー写真は当方撮影です。)

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当サイト内ブログ記事も参照願います。

 
チブサン古墳周辺古墳地図

オブサン古墳(熊本県山鹿市)


古墳関連ページの紹介
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熊本県立 装飾古墳館
西都原古墳群(宮崎県西都市)|生目古墳群(宮崎県宮崎市)|生目古墳群 DE フェスタ


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