吉野ヶ里歴史公園の写真

 吉野ヶ里遺跡


吉野ヶ里公園の場所 
佐賀県 神埼郡三田川町大字田手1843   MAP(地図)(東口の駐車場付近) GPS N=33/19/12 E=130/23/29付近

弥生時代の遺跡 吉野ヶ里


弥生時代は約600年間も続く長い時代です。
吉野ヶ里遺跡では、この長い弥生時代の全ての時期の遺構・遺物が発見されています。
しかもそれぞれの時期の特徴をよく表しているものが見つかっており、この時代にどのように社会が変化していったかのかが一つの遺跡で分かる極めて学術価値の高い遺跡です。
吉野ヶ里歴史公園では「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」を復元整備対象時期として、これまでの発掘調査をもとに復元整備を行っています。

弥生時代前期(紀元前3〜前2世紀)


吉野ヶ里の丘陵一帯に分散的に「ムラ」が誕生します。
やがて南側の一面には環壕をもった集落が出現し、「ムラ」から「クニ」へと発展する兆しが見えてきます。


弥生時代中期(紀元前2〜紀元1世紀)


南の丘陵を一周する大きな外環壕が掘られます。
首長を葬る「墳丘墓」やたくさんの「かめ棺墓地」も見られます。
集落の発展とともに、その防御も厳重になってきていることから「争い」が激しくなってきたことがうかがえます。

弥生時代後期(紀元1〜3世紀)


国内最大級の環壕集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕によって囲まれ、さらに特別な空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)をもつようになります。特に北内郭では大型の建物が登場し、吉野ヶ里の最盛期にあたります。



[吉野ヶ里歴史公園で撮影した写真]

吉野ヶ里 物見櫓吉野ヶ里 物見櫓 吉野ヶ里 竪穴式住居
物見櫓 敵の見張りや集落の威容を示すシンボル的な役目を持つと考えられる高層の建物。写真 左、中 
竪穴住居内部より集落を見る。写真右
佐賀県 吉野ヶ里 物見櫓上にて佐賀県 吉野ヶ里 物見櫓と壕 佐賀県 吉野ヶ里  内壕
物見櫓より眺めた集落 (写真左)  物見櫓と集落を外敵から守る壕 環壕 (写真中) 南内郭より北内郭を見る(写真右)







佐賀県 吉野ヶ里 竪穴式住居 佐賀県 吉野ヶ里 南内郭より北内郭を見る佐賀県 吉野ヶ里 食物
写真左:物見櫓より見た南内郭竪穴式住居等 
写真中:正面奥の大きな建物が主祭殿 吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物と考えられている。
写真右:当時食べていたと思われるもの。
佐賀県 吉野ヶ里 北内郭2階 佐賀県 吉野ヶ里 北内郭3階 佐賀県 吉野ヶ里公園 水田
北内郭にある祭礼を行っていた建物内部の展示物、当時の様子を再現している。 
写真左:吉野ヶ里のクニ全体の重要な祀りが開かれており、吉野ヶ里の王やリーダーたち、さらには周辺のムラムラの長が集まっています。
写真中:祖先の霊のお告げを聞く祈りを行っています。この結果は従者によって2階で会議を行っている王やリーダーたちに伝えられます。
写真右:吉野ヶ里歴史公園内には当時の水田も再現されておりました。鴨もおりました(~_~;)  / 説明文は パンフレットより引用。







吉野ヶ里歴史公園撮影後記:

 吉野ヶ里遺跡自体はそれほど広くありませんが、吉野ヶ里歴史公園自体はやたらと広い公園です。今回はJR吉野ヶ里駅で降りて西口より入園、帰りは公園を横切り西口より神崎駅まで歩き乗車しました。歴史探訪とウォーキングを兼ねて良いかも知れません。
歴史、史跡公園は個人的に好きです。毎度の事ながら今回ケースで言えば南内郭と北内郭にある民家とかが視界に入ると興ざめの感もありますね(~_~;) これはこれでしかたない事なのでしょうけど・・。







-吉野ヶ里歴史公園の写真-


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