太陽PhotoMiyazaki 椎葉村民家|{那須家住宅(鶴富屋敷)

椎葉村 鶴富屋敷 02

椎葉村民家|那須家住宅(鶴富屋敷)(椎葉村)

 
那須家住宅(鶴富屋敷)の場所 [アクセス]  
宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良1818
MAP(地図) N=32/27/40 E=131/09/26 

国指定重要文化財 那須家住宅 指定年月日 昭和31年6月28日
構造 桁行 25.09m 染間 8.64m 形式 一重寄棟造茅葺東西庇附属

椎葉村の民家はすべて同じ形式の民家として知られているが、この家はその代表的なものである。
間取りは部屋を一列に横に並べた形式で向かって左より、こざ、でい、つぼね。うちねの四室がならび、その右に、とじ(土間)がある。 
各室は前面をしたはら(広縁)内部をおはらといい、背面にはすべて戸棚を造り付けにしている。
民家としては規模が大きく、しかも太い材料を用いた本格的な構造を持ち、民家特有の美しさをよくあらわしている。
小屋組はさすを組み合わせ、屋根は寄棟造りで茅葺であったが、昭和38年に銅版に葺き替えられた。
鶴富屋敷ともいい、平家落人の伝説と共に古い歴史をもつと伝えられる。
日本の民家としては極めて重要なものとして重要文化財に指定された。

以上現地案内板 昭和56年9月29日 椎葉村教育委員会 より

“小屋組(コヤグミ)”とは構造体上部の屋根下地の骨組みのこと。
“さす”とは 太い材を両側から交差させて緊結したもの。
「ござ」は仏間(21畳)、「でい」は客間(24.5畳)、「つぼね」は寝間(14畳)、「うちね」は居間(17畳)のようです。
茅葺きより銅版葺きに変更したのは火災防止のためとのこと。
鶴富姫が実際この家に住んでいたわけではない。建築技術等から判断すると約300年前(江戸時代後期)のものとされているそうです。
営業時間 9:00〜17:00 無休  入場料金 大人200円、中学生以下100円
隣接する椎葉民俗芸能博物館との共通券 大人430円、高校生330円、小中学生200円
(営業時間等は変更になる可能性がありますので公式ページ等でご確認ください。)
椎葉村 鶴富屋敷 03

鶴富姫(つるとみひめ)の恋物語

 1185年(今から約800年程前)、壇ノ浦(だんのうら)では、平家と源氏の最後の戦いがくり広げられておりました。
壇ノ浦の戦いで平家は全滅、生きながらえた者は全国各地へと逃げてゆきました。
ある一行は、けわしい山を越え、肥後阿蘇路を経て山深いここ椎葉へとたどり着きました。

 いつしかこの事は敵方(源氏)に知れ、源頼朝の命(追い討ち)を受けたのは「扇の的射」で有名な那須与一でしたが、与一はこのとき病気にかかっており、代わりにその弟那須大八郎宗久((なすのだいはちろうむねひさ・当時22)が、平家の落人(おちうど)を追って軍勢を率いこの椎葉を目指します。

 ようやく椎葉にたどりついた那須大八郎がそこで目にしたものは、戦う気持ちを忘れひっそりと農耕をやりながら暮らす平家一門の姿でした。
 那須大八郎は、追討を断念「椎葉の平家の残党(ざんとう)は一人残らず討ち果たしました」と幕府に偽りの報告をします。
その後、那須大八郎はこの地に屋敷を構え、この場所で生活していこうと決めたのでした。
平家の落人達と共に生活するようになり、やがて、平家の鶴富姫(つるとみひめ)と出会い、二人の間に恋心がめばえます。
二人は源氏と平家のかたき同士、しかし大八郎は愛する鶴富姫と生涯をともにすることを決め椎葉村に永住することを決意します。

しかし、ある日、幕府から「すぐに兵をまとめて帰れ」との命令がおります。
このとき、すでに鶴富姫のお腹には大八郎の子がやどっておりました。
大八郎は命令に従い戻らねばなりません。
椎葉の地を離れる日、大八郎は鶴富姫に「生まれてくる子が男なら私の故郷へ、女の子ならこの地で育てるがよい」と言い残し、刀(あまくにの太刀)と系図を渡し椎葉村を後にしました。

その後、鶴富姫は出産、生まれた子は女の子でした。
母となった鶴富姫はその子を大切に育て、その子が成長すると婿(むこ)を取りました。
そして、愛してやまない大八郎の「那須」の姓を名乗らせたといいます。
この大八郎と鶴富姫の住まいが、この家であったといわれています。

椎葉山の平家伝承
那須大八郎宗久は平家の落人(おちうど)を追って阿蘇より日向の境に入ったが山が険しく、馬を乗り捨て徒歩で行軍することになった。
馬を乗り捨てたところを後に「鞍岡」と呼ぶようになった。 *紅葉と滝で有名な白滝等のある鞍岡は五ヶ瀬町にある。
宗久は山岳をよじ登って椎葉山に入った。陣小屋を椎の木の葉で覆ったので椎葉山という名称はそのことから起こった。
十根川神社にある大杉「八村杉」( 別称「十根の杉」・単幹では県内最大、樹齢800余年幹周り19m、樹高54.4m)は山中見回りの途中で那須大八郎が植えたとされている。
平家落人が来て村を開いたとする伝承は全国各地にあり、民俗学の柳田國男は60〜70個所以上あるといっている。
九州では熊本県の五家荘などが良く知られている。 


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椎葉村 那須家住宅(鶴富屋敷) 05椎葉村 那須家住宅(鶴富屋敷) 06
椎葉村 那須家住宅(鶴富屋敷) 内部 07椎葉村 那須家住宅(鶴富屋敷) 内部 08
椎葉村 那須家住宅(鶴富屋敷) 内部 09椎葉村 那須家住宅(鶴富屋敷) 内部 10
椎葉村 那須家住宅(鶴富屋敷) 内部 11椎葉村 那須家住宅(鶴富屋敷)雑穀をつく唐臼と大小の石造りのかまどがあります。
鶴富姫化粧の水

鶴富姫化粧の水


鶴富姫が化粧に使い、大八郎に水を汲んだといわれる。

厳島神社(いつくしま神社)


那須大八郎宗久は 平家残党のために、平家の崇拝する安芸の宮島、厳島神社の守護神を勧請した。創建は1204年頃(伝説)
鶴富屋敷の隣に位置。
椎葉村 厳島神社(いつくしま神社) 13椎葉村 厳島神社(いつくしま神社) 14

椎葉神楽(椎葉の民家にて)


下記は鶴富屋敷ではありませんが、宮崎市にある宮崎県立博物館民家園に保存してある「椎葉の民家」で椎葉神楽(向山日当神楽)が舞われた際の写真です。屋根の部分を写した左の写真では「小屋組(コヤグミ)」や「さす」の状態がわかるとおもいます。
この「椎葉の民家」(旧清田家住宅)(県指定有形文化財)は、1977年(昭和52年)に椎葉村向山日当地区から同博物館に移築されたもので、この民家が建てられたのは1864年(元治元)江戸末期頃(徳川家茂の頃)という。 椎葉神楽の写真はこちらに掲載



椎葉観光 椎葉村民家|那須家住宅(鶴富屋敷)


 
ページ作成にあたり参考にした資料

宮崎の神話伝承 その舞台55ガイド
甲斐亮典著

ひむか神話街道50の物語集
宮崎県

2008.07公開 (椎葉村での撮影は2006年秋)

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