亀山社中記念館(坂本龍馬関連コンテンツ)

亀山社中は坂本龍馬により長崎で1865年に結成された浪士結社・貿易結社・商社
当時の地に社中の建物を再現したのが亀山社中記念館です。



亀山社中記念館(長崎県)

亀山社中 01 長崎の龍馬関連では特に見ておきたいところです。

亀山社中は坂本龍馬によって結成された浪士結社・貿易結社・商社(後に亀山社中を母体に海援隊となる)

その亀山社中(3棟)の1棟を再現したものです。
長崎市伊良林2丁目7番24号 
開館時間 9:00〜17:00 休館日/なし
入館料 一般300円、高校生200円、小・中学生150円

[車でのアクセス]

亀山社中記念館の地図→ マップファンサイト
GPS(緯度経度)N=32.44.43 E=129.53.20
  (付近に駐車場はありません・徒歩となります。)
長崎市内の有料駐車場マップ PDF(長崎市)
車 新大工町駐車場にて下車 徒歩約11分

当方では未確認ですが、ページ下部に土日祝限定の駐車場情報を記載しておきます。
  (記載時点の情報です。先々どうなるか分かりません、事前確認を)

公共機関地図 長崎県発行のチラシより

[公共交通機関でのアクセス]

長崎パス 長崎駅前南口「70線大波止経由風頭山」行き「風頭山」下車 徒歩約10分
長崎バス 長崎駅前東口「50線市役所経由風頭山」行き「風頭山」下車 徒歩約10分
長崎県営パス 長崎駅前東口「諏訪神社前経由風頭町」行き「風頭町」下車徒歩約15分
    バス利用の場合には風頭山(かざがしら山)側から下る。(路面電車利用より楽なコース)
路面電車利用 3番系統 「蛍茶屋」行き「公会堂」又は「新大工町」下車徒歩約15分
      (バス停・電停からのルートは右地図を参照してください。)

亀山社中概要


坂本龍馬らは幕府機関である神戸海軍操練所の解散に伴い、薩摩藩の援助を得慶応元年(1865年)、夏頃、薩摩藩や長崎商人・小曽根(こぞね)家の援助を受け、長崎の亀山(現在の長崎市伊良林地区)において日本最初の商社といわれる亀山社中を結成、ここを拠点とし、グラバー商会と銃器の取引を開始し藩に銃器などを卸した。
最初に拠点を構えた地「亀山」と、仲間・結社を意味する「社中」をあわせて亀山社中と呼ばれました。
物資の輸送や航海訓練なども行い、1866年長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功。そのことが、慶応2年(1866)1月の薩長盟約締結へとつながり、新しい時代をひらくための足がかりとなった。
慶応3年(1867年)4月には坂本龍馬の脱藩が許され、龍馬は隊長となり、土佐藩に付属する外郭機関として「海援隊」と改称、海援隊は長崎の小曽根邸を本拠地とした。

坂本龍馬が初めて長崎の地を踏んだのは、元治元年(1864)2月23日、亀山社中設立のために再び長崎に来たのは翌慶応元年(1865年)の6〜7月頃であった。

慶応元年(1865)夏頃、薩摩藩や長崎商人・小曽根(こぞね)家の援助を受け、日本最初の商社といわれる「亀山社中」を結成しました。この団体は、龍馬らが最初に拠点を構えた地「亀山」と、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう呼ばれました。亀山社中の最大の業績は、慶応2年(1866)に、長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功したことです。そのことが、慶応2年(1866)1月の薩長盟約締結へとつながり、新しい時代をひらくための足がかりとなったのです。


長崎 亀山社中 再生亀山社中記念館内部の写真

建物を所有されている方のご厚意により、長崎市が当時の姿により近い形で整備し、平成21年8月1日から公開しております。
社中や海援隊および坂本龍馬に関する展示を行う記念館です。
母屋は10畳・8畳・3畳の部屋と土間に分かれており、10畳の部屋のみ撮影可、他のj部屋は撮影禁止でした。
3畳の部屋の上には隠し部屋である中二階があり、はしごより見学することが出来ます。
龍馬がもたれかかって座ったと伝えられる10畳座敷の柱など黒褐色の建具は幕末の家屋の雰囲気を「忠実に再現」しています。

亀山社中 03亀山社中 02

亀山社中記念館 間取り
龍馬や土佐ゆかりの資料、黒字羽二重の紋服、ブーツ、ピストル、刀(陸奥守吉行)などを見ることができますが展示物は復刻、レプリカ、展示物もそれ程多くなく、過剰な期待は禁物です。

余談ですが・・壁にかかる公文菊僊筆(くもんきくせん筆)坂本龍馬像の現物は、鹿児島県歴史資料センター黎明館蔵で見ることが出来ます。

この復刻版「龍馬ブーツ」は長崎の靴店が写真を元に作成したそうで、この靴店ではオーダーメードで1足4万5000円で販売もされているようです。「龍馬伝」がはじまってから製造が追いつかないようで、2010年4月時点で約1か月半待ちの状態とか。

楽器 「月琴」 拡大写真なし楽器の「月琴」は楢崎龍が月琴を弾いていた、ということで展示しているようです。(現物ではない)
お龍は、慶応二年(1866)6月から約8カ月長崎に滞在、この間、お龍は幕末長崎の豪商であった小曽根家に滞在しながら月琴を習っている。
月琴は江戸時代に中国から長崎経由で入った清楽器で、とくに月琴は幕末から明治期かけて全国ではやり、長崎丸山の芸妓だけではなく、文化人や商家の間でも盛んに演奏されたといわれる。

小曽根家には今もお龍が弾いたとされる月琴が残されているそうです。
長崎市が平成21年から介入しているとの事ですから、是非とも現物を展示して欲しかったです。

あと・・電気のコンセントとか、あんどん電気コード、不釣合いなステンレスの支柱など、目立たなくした方が良いような(^^;)

記念館自体、普通の家の広さですので、「NHKの龍馬伝」が第三部に入り(7月)亀山社中とか出て来るようになると、観光客も一気に増加し、休日等はかなり混雑、整理券等必要になるやも知れませんね。


亀山社中記念館で頂いた資料

(情報は発行時点のものです、先々変更になる場合があります。)
亀山社中記念館でいただいた資料 (拡大あり)

亀山社中メンバー

坂本龍馬、陸奥陽之助、近藤長次郎、沢村惣之丞、長岡謙吉、佐場ク高次、石田英吉、腰越次郎、山本洪堂、高松太郎、関義臣、池内蔵太、中島作太郎、新宮馬之助、千屋寅之助、橋本久太夫、黒木小太郎、小谷耕蔵、白峰駿馬、渡辺剛八、野村辰太郎


亀山社中設立と薩長同盟

慶応元年(1865) 5月、龍馬はかねてから思い描いていた海運業を興すことになる。
その夢の舞台は希望の地長崎であった。薩摩藩の後ろだてを得て、長崎を拠点として船を使って世界を相手に貿易をおこ
なう社中(しゃちゅう) (カンパニー) を同志らと結成したのである。
薩摩藩から社中の一人につき三両二分の給料が支給された。
事業は居留地の外国人商人から武器などの物資を購入し、船で日本各地へ運ぶ運航代行業からスタートした。
当時活動の拠点として借りていた民家周辺が亀山焼の窯跡であったことから、龍馬の社中は亀山社中と呼ばれた。
亀山社中のメンバーは、居留地の外国人商人との取引を通じて、のちの薩長同盟に結びつく討幕のための重要な役割を演じていく。
幕府軍の第二次長州征伐が迫る長州藩のために、社中の仲介で英国人貿易商グラバーから薩摩藩名義で武器を購入することに成功。当時の長州藩は幕府から長崎での武器購入を禁止されていたのである。
長州藩から長崎に派遣されたのは伊藤俊輔(博文)と井上聞多(もんた)(馨) で、社中の紹介で薩摩藩の小松帯刀と会い、グラバーとの商談に臨んでいる。
亀山社中は武器を長州藩に送り、逆に長州藩から薩摩藩へ飢饉のため不足していた米を運ぶことになる (最終的には亀山社中が米をもらい受けている)。
こうして対立関係にあった両藩の間を取りもつ龍馬ら社中の奔走で、慶応二年(1866)一月、ついに薩長同盟は成立する。龍馬は亀山社中という商業活動をもって犬猿の仲の薩長を結びつけたともいえる。
この薩長同盟成立の意義はことのほか大きく、その後の日本を維新回天へと動かす、まさに原動力となっていくのである。

坂本龍馬・亀山社中・海援隊等、長崎関連年表

天保6年
嘉永6年

文久元年
文久2年

文久3年




元治元年
慶応元年

慶応2年







慶応3年









慶応4年

1835
1853

1861
1862

1863




1864
1865

1866







1867









1868

11月
3月
6月
9月
3月
10月
2月
5月
7月
10月
12月
2月
5月
8月
1月

3月
 
5月
6月

8月
1月
4月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
11月
12月
1月

4月
15日 郷士坂本長兵衛(のち八平)の次男として龍馬、高知城下に生まれる。
江戸 剣術修行 「千葉定吉道場」 入門。
ペリーの黒船が浦賀に来航
土佐勤王党結成、加盟。
沢村惣之丞とともに土佐藩を脱藩。
勝海舟の門下生となる。
勝海舟の尽力で脱藩罪が赦される。
長州藩、下関海峡で外国船を砲撃。
薩英戦争。
海軍塾の塾頭になる。
再び土佐藩を脱藩。
23日 勝海舟に随行して長崎へ。福済寺に滞在(〜4月)龍馬30歳。
薩摩藩の援助を受け 「亀山社中」を設立。
薩摩藩の名義でグラバーから小銃、ユニオン号購人成立。
薩長同盟成立。京都伏見、寺田屋で幕吏に襲撃され負傷。
亀山社中、近藤長次郎が自刃。(お墓は晧台寺)
西郷らの勧めでお龍と共に薩摩へ(日本初の新婚旅行)
お龍と共に薩摩藩船 「三邦丸」 で長崎に。
社中のワイル・ウェフ号沈没。社中の池内蔵太ら12名が死亡。
ユニオン号で鹿児島から下関へ向かう途中長崎へに寄りお龍を小曽根家へ。
下関での幕長海戦に参加。
長崎に戻り、小曾根屋敷を定宿とする。
土佐藩参政の後藤象二郎と会見。この頃上野j彦馬撮影局で写真を撮影
「亀山社中」は「土佐海援隊」再編。いろは丸沈没事件。
夕顔丸で長崎出港。後藤象二郎に「船中八策」を提案。
英国イカルス号水夫殺害の嫌疑が海援隊に掛かる。
長崎奉行所で取り調べを受けるも証拠不十分でお構いなし(〜9月)
銃1300挺を 「震天丸」 に積み込み長崎出航。
後藤象二郎ら大政奉還の建白書を提出。将軍慶喜、大政奉還を決意。
15日 京都「近江屋」 で中岡慎太郎と共に刺客の襲撃を受け龍馬即死。33歳。
京都東山霊山墓地に埋葬
晧台寺にて15日夜、龍馬と中岡慎太郎の追悼祭が執り行われた。
長崎奉行河津伊豆守 長崎から脱走、海援隊長崎奉行所西役所を占拠
海援隊士 沢村惣之丞自刃。
海援隊解散。
(上記年表 は長崎ノ心、龍馬ノ夢。 / 大河ドラマ「龍馬伝」長崎県推進協議会等をベースに加筆記載) 
  詳しいサイトのご案内(外部リンク) 海援隊の関連事件・事項録より

  いろは丸衝突沈没事件 → いろは丸衝突沈没事件
  ワイルウェフ号事件関連外部リンク → ワイルウェフ号沈没事件
  イカロス号事件関連外部リンク →  イカロス号事件

−龍馬通り

坂本龍馬や幕末の若き志士たちが登り下りした道

亀山社中を目指すなら、やはりこのルートで行ってこそでしょう。

寺町通りから亀山社中記念館を通り、龍馬像の立つ風頭公園までの小道が“龍馬通り”です。
階段主体で、運動不足の私には結構辛い登りででしたが、近藤長次郎、池内蔵太、長岡謙吉・・・亀山社中・海援隊の人物の説明板や、風頭公園の龍馬像の製作者である彫刻家・山崎和國氏が寄贈した龍馬通りと書かれたレリーフに唱がかかれたものも各所にありましたので、これらを読みつつ、楽しみながら急がずゆっくり登ると、よいかと思います。
竜馬通りのスタート地点は、寺町にある禅林寺と深崇寺の間、亀山社中までは210mです。

 龍馬通りについては別途ページを作成しましたのでご覧ください。 → 龍馬通り

龍馬通り 04龍馬通り 05

龍馬通り 06龍馬ぶーつ像

− 龍馬ぶーつ像

平成7年、亀山社中創立130周年を記念して市民有志の呼び掛けにより建立されたもの。
ブロンズ製 (高さ 0.4m×幅 0.6m)を台座(高さ約 0.3×幅 1.2×長さ1.2m) の上に設置。
ここからの眺めもなかなかのものです。
亀山社中周辺の地図

赤いラインが今回歩いたルートです。赤印のポイント(亀山社中記念館〜龍馬のぶーつ像〜若宮稲荷神社〜若宮稲荷神社境内にある坂本龍馬像〜方形の鳥居〜亀山焼窯跡〜風頭公園に建つ司馬遼太郎の文学碑〜坂本龍馬の銅像上野彦馬の墓) については別途 龍馬通りのページで紹介しております。

地図上に記載した距離は基点からの最短距離で、今回赤でマーキングしたルート上での距離ではありません。
別の亀山社中付近地図リンク → 広域版

風頭公園側からショートカット(下る)よりは、当時をしのびつつ、寺町から龍馬通りを登った方が、良いかと思います。
運動不足の方には、夏場は、かなり辛いとは思いますが(^^;;) 水分を補給しつつ登りましょう。







亀山社中記念館の駐車場情報*

亀山社中記念館用の常設駐車場はありません、また、付近の駐車場はありませんので、上部に記載した長崎市街地駐車場マップリンク(PDF)で付近の駐車場を探して駐車の上、徒歩等で向かってください。
(タクシーも一手段かと思いますが、亀山社中ぎりぎり近くまでは行けません。)
携帯ナビ等の為に緯度経度は記載しておりますが、決してカーナビ任せで車で向かわないでください、入りこむと、道幅は狭く、私道みたいな“生活道路”。坂道、袋小路や、Uターン不能なところが多いです。
 
 土日限定・臨時駐車場等の情報など → 亀山社中記念館の駐車場・アクセス(バス・路面電車)

(注)上記リンク先ページは、は2010年4月、ネット検索で見つけた臨時駐車場情報を元に作成したページであり、今現在もそうであるかは不明です


 

*亀山社中記念館関連リンク*

 長崎市による公式サイト → 亀山社中記念館



*亀山社中跡 の最近の経緯

それまでは、亀山社中跡地は「活かす会」が平成元年以来活用していたようです。
しかし居住していた所有者(活かす会副会長)が亡くなり、平成18年に所有者が変り、全ての展示物の撤去を余儀なくされた為、近隣の借家に、「亀山社中資料展示場」を設け、そこへ展示物を移動の上、展示、全国の龍馬ファンを無料で受け入れてきたようです。
かねてから「亀山社中公有化の意向」があった長崎市は、大河ドラマ「龍馬伝」の放映が予定されたこともあり、新しい所有者と協議の上、亀山社中跡の「10ヶ年間無償貸与」を合意、建物改修に数千万円をかけ、「亀山社中資料展示場」とは全く別の資料やコピーを展示して、2009年8月からの現在のスタイルでの有料公開となったようです。
  → 詳しくはこちら


*亀山社中関連ニュース

関連ニュースなどの記事を箇条書きで・・・

武田鉄矢さん、亀山社中記念館の名誉館長に

2010年12月23日付 読売新聞によると・・ 長崎市は俳優で歌手の武田鉄矢さん(61)が、市亀山社中記念館の名誉館長に就任することを発表。 武田さんは自らのバンドを「海援隊」と名付けるほど、若い頃から龍馬の大ファン。 マンガ「おーい!竜馬」の原作を執筆したり、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で勝海舟役を演じたりしたことを縁に、市が就任を依頼。武田さんも快諾したという。

亀山社中記念館20万人 「龍馬伝」追い風に

坂本竜馬が幕末の長崎に設立した日本初の商社亀山社中を復元した「亀山社中記念館」の入館者が16日、20万人を突破した。西日本新聞より (2010年7月27日)
2月に10万人達成でしたから(下記事参照)、約5ヶ月で10万人動員という事になりますね。

2009年8月1日にオープンした「亀山社中記念館」2010年2月には入館者10万人を達成。
当初の市の見込みは年間2万5000人だったようです。 恐るべし、坂本龍馬人気。
 




−当サイト内・坂本龍馬関連コンテンツ  表紙

坂本龍馬や幕末の志士がかねぬけた道 → 龍馬通り  坂本龍馬の銅像
長崎市内の坂本龍馬関連企画展→長崎奉行所・馬伝館
長崎市内のもうひとつの坂本龍馬関連企画展→ 長崎まちなか龍馬館
日本ではじめての新婚旅行? 高千穂峰(鹿児島県/宮崎県にまたがる霧島連峰)
当サイトブログ記事他 NHK大河ドラマ「龍馬伝」 いよいよ第3部・長崎ロケ・鹿児島ロケ
龍馬伝 鹿児島ロケ・霧島ロケ 塩浸温泉龍馬公園
NHK「龍馬伝」関連、書籍、CD、DVD、ブルーレイなど


個人/商用等で写真を使用したい場合には→写真の使用についてをご覧ください。


*余談・・・○○社中 

“亀山社中”でネット検索すると同名の・焼・肉・関連があるようで、その関連ページが多くヒットします。
こういう歴史上、周知のものに対して少なくとも日本では商標はとれないと思っておりましたが、現在、食品会社が「亀山社中」の商標をとっているようです。それとも脈々と当時より引き継いできた社名なのでしょうかね ?
今からでも龍馬伝による龍馬ブームにあやかり、●●社中 という商用いろいろ申請したらいかがでしょう。
商標申請費用(労力)・維持費?もさるころながら最大の問題は・・熱しやすく冷めやすい日本人の性格でしょうか・・(笑)
 



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2010/05 UP






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