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鵜戸神宮 霊石亀石(亀石桝形岩) と 運玉(うんだま)の写真 


鵜戸神宮は神武天皇の父・鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を祭り、海幸・山幸の伝説の舞台としても知られております。

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霊石 亀石

鵜戸神宮社殿前から海を見下ろす所に、亀の形をした、霊石 亀石があります。

綿津見神の宮(海神国)で火遠理命(ほおりのみこと)=山幸彦と結婚し、身ごもった豊玉毘売(トヨヤマビメ)は、天孫の御子を海原で生むことは出来ないと考え、夫(山幸彦)の元へやってきます。
その際、豊玉毘売(トヨヤマビメ)はこの亀に乗っていらしたのでが、お産の際に山幸彦にワニの姿になった自分を見られ、悲しみ恥じ、単身 綿津見神の宮へと帰ってしまったのでした。それを知らない亀は待ち続け、ついには岩になってしまった・・と、伝えられています。

古事記の部分は、お乳岩のページにもう少し詳しく書いております。
大きさは、およそ縦7m70cm、横4m、亀の甲羅の部分にはおよそ60cm四方、深さ20cmの枡形のくぼみがあり、周りをしめ縄が一周しております。
しめ縄は、鵜戸神宮 御神田のワラを使用、長さは7.2m 直径7cmとか。
本殿前の欄干からくぼみの部分までは11m50cm、運玉と呼ばれる、素焼きの玉をくぼみに投げ入れると幸運が訪れるといわれております。
鵜戸神宮 霊石亀石

鵜戸の朝 鵜戸神宮前の海原 平成25年9月撮影 追加


霊石亀石と運玉 の写真

〔画像はクリックすると1280pixに拡大します。〕


鵜戸神宮 亀石 人物 対比で 亀石

運玉の由来


運玉奇巌連なる中、一際目を引く岩は亀石です。
古くより参拝者は亀石の枡形穴に向かって、お金を投げ入れる風習がありました。
ところが昭和27年頃、落ちたお金を求め崖を降り磯に出る子がいて問題になりました。
賽銭に替わるものをと 鵜戸小、鵜戸神官ともに試行錯誤した結果、昭和29年に粘土を丸め運の文字を押した「運玉」が誕生いたしました。
以来、地元の子供達が作り続けている「運玉」は、亀石に投げられ願いと夢と喜び楽しみを与えています。

(運玉の碑記載文より)  

運玉には「運」という文字が刻印されております。5個 100円の御初穂料です。
運玉は粘土の素焼きで、直径2cm、重さ6g程、鵜戸神宮の近くにある鵜戸小中学校のPTAなどで、地域の交流活動の一環としとして、毎年、この運玉をつくっています。

「運玉」作り 100人参加し7万5000個

- 平成29年3月19日付、宮崎日日新聞より一部引用 -
日南市の旧鵜戸小体育館で、先月、約100人が参加して鵜戸神宮に納める「運玉」作りがあった。 鵜戸小中の親子ふれあい事業運営委員会(大迫浩史委員長)が開いたもので、児童生徒と保護者のほかに更生保護女性会や地区社会福祉協議会、高齢者クラブなどが手伝った。
 作業は14人くらいずつテーブルに着き、楽しくにぎやかに行った。同委員会では年4、5回、この作業を実施。収益金は児童生徒の教材や通学バス券、修学旅行などの費用に充てられている。
運玉作りを小学校時代に経験している大浦自治会長の泉昭信さん(68)は「世代を超えて仲良く作業することはとても有意義」と話していた。(一部抜粋・引用終わり)

「運玉」令和4年7月1日より 200円に値上げ

令和4年4月3日付、宮崎日日新聞より一部引用 -
鵜戸神宮の運玉の初穂料が令和4年7月1日より200円に値上げとのこと。
値上げは昭和59年(1984年)以来38年ぶり。関係者は「社会状況を考えると、苦渋の選択」と理解を求めているとのこと。
近年、少子化により親子団体の製作が厳しい状態に。福祉施設の製作者も高齢化が進み、親子団体が作ることができない分を補完するための増産のめどが立たなくなっていたようです。
運玉を焼き上げるための燃料費の上昇や、コロナ禍による参拝者の減少で納品が不定期となったことも追い打ちを掛けているとのこと。


亀石運玉



運玉を、亀石のくぼみめがけ、男性は左手、女性は右手で投げます。これが難しい・なかなか入りません。 
正月三が日は 約二十万個の運玉が投げ込まれるそうです。(落ちた運玉は、定期的に回収しているようです。)

運玉の軌跡

話変わって・・・ 右下の写真は2004年頃の写真です。左下の写真と違うところがあります。探してみてください。
鵜戸神宮は、やはりソテツの葉が出ている夏頃、が一番美しいです。海や空もいきいきしてます。

運玉を投げ入れます。 最近の光景運玉を投げ入れます。 過去の画像



「霊石亀石」は「亀石桝形岩」とも呼ばれております。

下記は、貴重な・・撮りたくてもなかなか撮れない、運玉が全く入っていない状態の霊石亀石の写真です。
「早起きは三文の徳?」 この日は、ちょっと幸せ気分な一日でした。

亀石のくぼみ 運玉が全く入って無い珍しい光景 01亀石のくぼみ 運玉が全く入って無い珍しい光景 02



普段は穏やかな海ですが、下記は沖を台風が通過中、かなり時化(しけ)ている時に撮影したものです。
荒れ狂う海にも負けず、亀石をたちが、波消し、お宮をお守りしているように見えました。
写真左 正面の岩は御舟岩 右の岩は二柱岩

時化(シケ)の時に撮影 01時化(シケ)の時に撮影 02


 補足事項
 
 このページでは、鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)と一般的な略式表記しましたが・・・
 鵜戸神宮の御祭神は、(ひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと)です。

 参考まで・・・
 『古事記』では 天津日高日子波限建鵜草葺不合命 (あまつひこひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと)
 『日本書紀』では (ひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと)のようです。



亀石のお話は、古事記等の神話から地元で派生した伝えなのでしょうね。




鵜戸神宮スライド動画
〔 鵜戸神宮 スライド動画 Youtubeに掲載中 〕

鵜戸神宮周辺外略地図
〔 鵜戸神宮周辺外略地図 〕

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霊石亀石と運玉(うんだま)

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波切神社 - 御陵墓伝説地吾平山上陵

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霊石亀石と運玉(うんだま)の写真(宮崎県日南市 鵜戸神宮)



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