都井岬 野生馬 (御崎馬)日南海岸国定公園 都井の野生馬(天然記念物)都井岬の場所(地図) [Yahoo!MAP] GPS情報 N 31.22.03 E 131.20.45 写真使用について |
2013年6月撮影写真 12枚追加 2011年3月3日 今年初めての子馬が生まれているのが確認された。 2009年4月 子馬の写真及び壁紙、あとがきを追加 都井岬関連ページ 都井岬メインページ 都井岬の火祭り 都井岬のアジサイ 都井岬 御崎神社とソテツ自生地(特別天然記念物) 都井岬の壁紙 夕暮れ 野生馬 野生馬 野生馬 ワイド画面 右の都井岬イラストマップは(現地案内板より) 御崎馬の由来御崎馬は長野県の木曽馬や北海道の道産子などとともに日本在来馬と言われ、今から2000年も前の縄文時代後期から弥生時代中期にかけて中国大陸から導入された馬がその起源とされています。古くから馬の生産は盛んに行われ、大化の改新でも馬の生産や管理に関する政策は重要な柱の1つであり、日本各地に多数の官営の牧場が作られました。特に鎌倉時代以降の武士の時代には軍馬として重要な役割を果し、また牛とともに農業や輸送に不可欠の家畜であったために幕府直営や藩営あるいは民営の牧場が盛んに作られました。 高鍋藩秋月家は、江戸時代の元禄10年(1697年)に日本書紀の中の歌にも詠まれた日向の駒を集めて、今日の串間市を中心に7カ所の藩営牧場を作り軍馬や農耕馬の生産に励みました。この7牧の1つ都井村御崎牧が今日の御崎牧場です。以来この牧場で生産される馬は御崎馬(岬馬)と呼ばれるようになりました。 御崎馬は牧場開設当初から、ほとんど人手を加えない粗放な管理しか行われず、廃藩後の明治7年、都井4組及び宮の浦を一団とする御崎牧組合の共有牧場となった後も、その粗放な飼い方が続けられてきました。そのため御崎馬の風貌や習性あるいは体形や資質は野生状態を思わせます。これが「都井の野生馬」と言われる所以でしょう。そしてそれ故に昭和28年には「自然における日本に特有の家畜」として国の天然記念物に指定されました [御崎馬の由来:都井岬牧組合発行パンフレットより引用] 2014年(平成26年)1月現在 91頭(昨年誕生した春駒13頭含む)の御崎馬が生息している。 |
都井岬 御崎馬 子馬の写真 6枚都井岬 の 「岬馬」 は 2010年3月15日現在、108頭。3月頃より、毎年15頭前後が生まれますが、3分の2程度しか生き残れないようです。 2009年4月写真追加(6枚) 画像をクリックすると拡大します。 (1024pix幅画像) |
御崎馬 子馬の写真でPC(パソコン)用壁紙を各サイズ作りました。お使いのPC(パソコン)モニターサイズのものを選んでお使いください。利用規定・使用方法については宮崎の壁紙のページ記載に準じます。
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2007年10月 画像をクリックすると拡大します。 (800pixまたは1024pix画像) |
パンフレットより 御崎馬の社会野生状態で生活する馬はだいたい「ハーレム」を作って生活します。これは1頭の種雄馬に数頭の雌馬及びその子馬で構成された群で、父親と母親と子僕という家族群です。しかし子馬は1〜2歳、少なくとも3歳までには生れた群を離れ、雌子馬は別のハーレムに入るか若い種雄馬と新しいハーレムを作ります。雌子馬はハーレムを持てない雄馬だけの群に入り、自分のハーレムを作るチャンスを待ちます。繁殖シーズンの4〜6月には若い雄馬とハーレムの種雄鳥との争いが絶えません。ハーレム内の種雄馬と雌馬配偶関係は非常に安定していて、どちらかが死ぬまで続くこともあります。1997年の5〜7月現在13頭の種雄馬がそれぞれ5〜10頑のハーレムを作っています。野生の繁殖馬は典型的な季節繁殖の動物で、日照時間の長くなる春から初夏にかけて出産、発情、妊娠をくり返します。野生状態では、交尾は一般にハーレム内の種雄馬と雌馬の間だけで行われ、群の種雄馬の勢力が強い間は他の雄馬は近づけません。従って子馬の父親はそのハーレムの種雄馬です。子馬の自然の知恵子馬は本格的に草を食べ始める前に、母親の排泄した新鮮な糞を食べます。これは母親の糞に含まれている消化に必要なバクテリア(腸内細菌)を摂取するためです。馬と同じように盲腸の発達した兎などでも良く見られます。この時期の子馬は、足の長さに比べて首が短かいので前足を開いて食べます。子馬の出産都井岬では、例年4〜5月が出産のピークです。時には8月以降に生れることがありますが、冬を越すのが大変です。出産は夜明け前後が多いようですが見るチャンスはなかなかありません。連続して生れる場合は、前年とほぼ同じ時期に生れ、まったく同じ日に生れることもよくあります。従って分娩間隔の平均は360〜370日です。御崎馬の妊娠や出産にはハーレムの種雄馬との配偶関係が重要で、その関係が安定している場合は良く子供が生れます。御崎馬の1年の行動春から初秋の野原が青草に被われる季節は、もっぱら御崎馬は終日広い草地で生活し、子供を生み育てます。真夏の日中は涼しい尾根などで休息し、夕方から夜中と夜明頃が主な採食の時間です。草地の草が枯れる秋から冬は、山を下り海岸近くの南に面した林地やその周辺の雑草地で過します。夏とは逆に、温かい日中に採食し、夜は風の当らない静かな場所で長時間の休息をとります。これは餌の少ない冬のエネルギーの節約に役立ちます。御崎馬の特徴御崎馬には2つの大きな特徴があります。その1つは、日本古来の日本在来馬としての特徴です。日本在来馬は、体格、体形の頬似や考古学的調査から中国の蒙古馬がそのルーツと言われています。御崎馬と蒙古馬を比較すると、両者とも体高が130cm内外で、体最も300kg前後です。また未改良馬の毛色の特徴である背中の鰻線や河原毛も共通しています。御崎馬に見られる粗大な楔型の頭部、良く発達した顎骨、水平な頸、斜尻(編笠尻)、短かいが丈夫でしなやかな四肢などの特徴は典型的な日本古来の馬のそれです。 御崎馬のもう1つの特徴は、過去300年にわたる厳しい自然の中での生活から生れた御崎馬特有の野生的な生態です。飼馬や動物園の馬では全く見られない習性や行動を多数持っています。前述のようにハーレムを作って繁殖し、季節毎に最適の場所へ移動し、その過程で子馬は色々なことを学びます。草地の急斜面に見られる縞模様は、御崎馬の体格に最も通した採食のための馬道です。この道に沿って歩くことによって斜面の草は効率良く採食できるわけです。 自然に帰る自然の中で生れ、育ち、やがて自然の中で死ぬのは、自然の中で生きるもの全ての掟でしょう。御崎馬はその死を目撃することはもちろん、死体を発見することさえ至難のことです。繁殖シーズンには華やかであったハーレムの種雄馬も14−15歳になるとその力は衰え、ハーレムの雌馬は1匹、また1匹と去って行き自分だけになります。やがて消えるように自然に帰って行き、その屍はしばらくたって発見されます。 「観光の皆様へのお願い」より何点かピックアップ牧場内は車のスピードを落とし、むやみに警笛を鳴らさないでください。 駒止の門を入ると牧場です。火気にに十分気を付けてください。 馬に近寄ったり、触ったりしないでください。危険です。 野生の馬ですから、観察される場合、又撮影については十分気を付けてください。 馬には牧草の他食物は一切与えないでください、腸閉塞などの胃腸障害を起こして死亡した事があります。 牧場内では、馬の保護上酒宴、放歌は禁止。 |
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