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宮崎神宮 雨の新緑


平成26年4月20日、宮崎神宮で撮影した、雨に潤う新緑の写真です。

雨降って百穀を潤す


この日、4月20日は「二十四節気」の一つ「穀雨」でした。

「穀雨」は、田畑の準備が整い、春の雨が降って百穀を潤す時期とされています。
[ 宮崎神宮 参道の緑のトンネル ]


 ■ 宮崎神宮 泳の迅緑〔緑をより一層潤す泳〕
[ 緑をより一層潤す雨 ]





 ■ 宮崎神宮 泳の迅緑〔子道〕
[ 参道にて ]


 ■ 宮崎神宮 泳の迅緑〔穡所〕
[ 祓所 ]


 ■ 宮崎神宮 泳の迅緑〔子道にて〕
[ 参道にて ]


 ■ 宮崎神宮 泳の迅緑〔神門〕
[ 神門 ]





 ■ 宮崎神宮 泳の迅緑〔劃内の迅緑〕
[ 宮崎神宮 境内より見る新緑 見ているだけで癒されます。]

 ■ 宮崎神宮 泳の迅緑〔劃内の迅緑〕
[ 宮崎神宮 境内より見る新緑 クスの木でしょうか、巨樹です。 ]


 ■ 宮崎神宮 泳の迅緑〔劃内の迅緑〕
[ 宮崎神宮 境内より見る新緑 地表ちかくまで垂れておりました。]


 ■ 宮崎神宮 泳の迅緑〔巫女さん〕
[ 巫女さん ]






宮崎神宮の創建


社伝によれば、本宮は神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)(熊本・阿蘇神社ご祭神)が九州の長官に就任した際、祖父のご遺徳をたたえるために鋲祭したのが始まりと伝えられています。

下って第十代崇神天皇、第十二代景行天皇の熊襲ご征討の際に社殿のご造営があり、ついで第十五代応神天皇の御代、日向の国造が修造鎮祭せられた旨が旧記に伝えられています。

現在の社殿は明治四十年に建て替えられたもので日向の名材狭野杉を用い白木で銅板葺きの神明造りです。

ご称号と旧社格

当神宮は古来、神武天皇宮、神武天皇社と申し上げましたので、今も宮崎県民は「神武さま」と普通に申し上げています。明治以降次の様な変遷をたどりました。

明治六年五月 県社に列せられ宮崎神社と改称
明治八年八月 国幣中社に昇格
明治十一年五月 宮崎宮と改称
明治十八年四月 官幣大社に昇格
大正二年七月 宮崎神宮と改称
昭和二十一年二月 神社制度の変革により社格が廃止される

以上、現地にていただいた資料より転載 



当サイト内関連ページ 宮崎神宮

宮崎神宮 雨の新緑


平成26年(2014年)4月20日撮影 21日 ページ公開


【追記】その後、平成27年に撮影した写真もご覧ください。→ 新緑の宮崎神宮



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