(宮崎県綾町・綾町で撮影した川中神社の写真を掲載)
西光寺は養老元年(717年)、川中神社の創立年は不詳明治の廃仏棄釈以前は、境内に金峯山西光寺があり、薩摩藩の「三国名勝図会」によると、養老元(717)年の開基で、初め天台宗であったが、後に陵光寺3世丹翁和尚が再興、曹洞宗としたとあるそうです。 川中神社は大山祇命・中山祇命・大乙貴命ほかを祭る神社で、伊東三位入道義祐が勧請・創建したとも言い伝えられるようです。 伊東氏が代々、栄華を極めていた頃なのかも知れませんね。 - 伝説 - 「明久」は猟師で山の猟を生業とし、「長喜」をいう猟師仲間がいた。2人は猟に出てある夜、釈迦嶽(標高831メートル)に野宿していた時、夢の中で一聖僧のお告げを得た。 「おまえたちの殺生は、その数千頭に達しようとしている。その罪深い殺生をやめ、仏門に入り、西の山に阿弥陀さまを、東の山に薬師さまを安置せよ、そうすれば罪業を免れるであろう」と教えて煙のように消えた。 夢から覚めた2人は仏道に帰依し、明久は西の山、川中嶽に阿弥陀、長喜は東の山、法華岳に薬師を祭り、開山したという。 西はこの地、金峯山西光寺で、東は国富町法華岳薬師寺の創建時の鎮座地、かつて釈迦ヶ岳山頂にあったという金峯山長喜院の事なのかも知れませんね。 - 県指定文化財 阿弥陀仏 - 廃仏棄釈のとき、信者によって難を逃れたという、阿弥陀仏は境内の阿弥陀堂に祭られている。像は県の文化財に指定されている仏像の高さは81センチメートル。明応8年(1499年)室町時代の作であると思われる。 川中神社は健脚の神様。また、何かひとことは叶えてくださる神様として訪れる人も多く、願掛けにまたそのお礼に昔から「わらじ」を奉納する習慣があり、大きいものは畳くいのわらじが奉納される事もあります。 関連リンク: 山中霊地・川中神社 〜神仏習合の姿伝える〜 宮崎県サイトみやざきの神話と伝承101 |
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