平和台公園・はにわ公園・平和の塔
Miyazaki Prefectual HeiwadaiPark
平和台公園は宮崎市を一望できる標高60mの自然林に囲まれた丘陵地に位置する都市公園です。
宮崎県を代表する観光地であるとともに、スポーツ・レクレーション施設や自然とふれある施設、遊歩道も整備され、広く県民の憩いの場として親しまれております。
🌸2025年3月20日、公園内では今年もハクモクレン・陽光桜(ヨウコウザクラ)等が満開!見頃になっている。画像はブログに掲載
- 今年も2024年11月16日(土)の平和の塔内部公開は、雨天が予想で中止
- 2024年11月12日、「ラクウショウ」は まだ紅葉しておりませんでした。ラクウショウは例年11月終わり頃が見頃です。
「せせらぎ水路」上部では、水路の一帯の工事を行っておりました。
- 2024年5月10日、今年も平和台公園内でホタルが舞っています。
➡ 平和台公園のホタル せせらぎ水路にて見学&撮影記
- 2023/3/14現在 宮崎市 平和台公園でヤマザクラと陽光桜(ヨウコウザクラ)が見頃
- 2022年10月30日 旅する蝶「アサギマダラ」をはにわ園近くで撮影(当ブログ記事)
平和台公園・はにわ公園・平和の塔 アクセス・地図等の情報

住所:〒880-0035 宮崎市下北方町越ヶ迫6146
バス:宮崎駅東口より平和台公園行き(約30分)
タクシー:宮崎駅から約20分。
宮崎神宮駅から歩くと 2.4Km 30分程度です。
駐車場:無料、利用期間は下記
第1駐車場(普通45台 ・大型6台)(5:00〜22:00)
第2駐車場(普通120台・大型25台)(8:30〜17:00)
第3駐車場(普通100台)(5:00〜22:00)
地図:
GoogleMap Mapfan Mapion 
(66 410 244)
緯度経度:N=31.56.39.8 E=131.25.3.5(日本測地系)
平和台公園概略地図
平和台公園は広大な公園です。公園内には、駐車場が3ヶ所あります。平和の塔・はにわ公園などを見学する場合には第1駐車場を利用します。第2駐車場から平和の塔までは、歩くと10分程度ですが、起伏のある坂、階段等があります。
運動広場や人工スキー場、アスレチック広場を利用する場合には第3駐車場を利用すると近いです。
より詳しい園内地図は→ 県立平和台公園リーフレットをご覧ください。
2024年 5月10日撮影 平和台公園 平和の塔ライトアップ
夜 平和の塔はライトアップされている。
2024年 5月10日撮影 平和台公園 せせらぎ水路のホタルの写真(2枚追加)
2024年 3月27日撮影 新緑とヤマザクラ咲く頃(4枚追加)
平和の塔

昭和15年(1940年)に「紀元2600年」を記念して建てられた、この塔は
高さ37m、基部面積1070平方m、敷地9900平方m、製作、設計者は、当時の日本彫刻界の第一人者「
日名子実三(ひなこじつぞう)」(1893〜1945年:大分出身)。
日名子実三氏は日本サッカー協会(JFA)のシンボルマーク「
八咫烏(やたがらす)」の製作者、でも知られております。
八咫烏(やたがらす)は、神話に出てくる鳥で、
神武天皇が東征の際、熊野から大和に入る吉野の山中にて、道に迷われ、その際に天の神が道案内としてつかわした鳥です。
[余談] 日本サッカー協会のシンボルマークにも用いられている
八咫烏。
これは、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助に敬意を表し、その出身地である和歌山県那智勝浦町にある熊野大社の八咫烏をデザインした物との事。
「平和の塔」は、神武天皇が御東遷前の皇居跡と伝わる「
皇宮神社(皇宮屋)」(こうぐうじんんじゃ・こぐや)の北部に位置、下北古墳群に囲まれた海抜60mの丘陵地にあります。
台上の塔は、高さ36.4m、切石1789個を含む石材834立方メートルで築かれ、当時は日本一の高さを誇る建造物だったようです。
塔を製作するにあたり、日名子実三氏は昭和13年秋頃から約二ヶ月間、宮崎県の高千穂、美々津、西都原等を見て回り、構想を得たそうです。
塔の外形は神事に用いる「ご幣」を象徴しており、そのひとつひとつは
宮崎神宮の御楯の形。
塔の四隅に基柱四魂像を配置、正面の扉は
西都原古墳の鬼の巌屋を形どり、全体の段々は
高千穂町に多い段々畑や、神武天応お船出の地、
美々津(日向市)にある立磐神社境内にある天皇腰掛岩を表現し、皇子原(高原町)の玉垣などを取り入れ、心血を注いだ氏の作品でした。
「平和の塔」の歴史
現在は、「平和の塔」と称されますが、戦前戦中は、「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)と称されておりました。
塔の正面に、昭和天皇の弟にあたる秩父宮雍仁親王が揮毫(きごう)した「八紘一宇」(はっこういちう)の文字が刻まれております。
「八紘一宇」は、約1300年前に編纂された「日本書紀」に記されたことばが元となっているようですが、
戦争目的に利用されたとして、終戦後、昭和21年(1946年)1月、塔の「八紘一宇」の部分は削除、周囲にある4像の内、「荒御魂」像もまた武力を象徴するものとして取り除かれ、名称も「平和の塔」と改められました。
時は経ち、昭和32年(1957年)4月9日、都市公園の決定をうけ、公園整備が進むにつれ、美術工芸品としての完全復元と保存の機運が台頭、昭和37年(1962年)10月に「荒御魂」像が、昭和40年(1965年)1月には当時の宮崎県観光協会会長、岩切章太郎氏の協賛によりこの題字「八紘一宇」は石版に刻記され復元されました。
角度・時間で表情を変える塔
普段は、全体像しか見ませんが、塔の下を一周、細部をよく見ると、いろいろなものが作りこんであることに気づきます。
下部の柱のようなものは、高千穂峡や日向の馬ヶ背などで見かける「柱状節理」をイメージしているのでは?と考えたりもしました。
見る方向や、その時々の光の具合により、表情を変えたりするのもまた見所です。
アールデコ・・・アンコールワット・・・それぞれ感じ方も違うと思います。
高さ4.5m信楽焼きの四魂の像

塔の4辺に、四魂の像を配置しています。
荒御魂(あらみたま・「勇」武人)
和御魂(にぎみたま・「親」工人)
幸御魂(さちみたま・「愛」農耕人)
奇御魂(くしみたま・「智」漁人)以上、四像を配しております。
これらの像は、「一霊四魂」の思想より掲げられたものと思われます。
「勇」「親」「愛」「智」それぞれの四魂は、人の心の中にあり、これらがバランスよく調和することで完全な形となるとしています。
この像の高さは4.5mあり、いずれも滋賀県産の陶器「信楽(しがらき)焼」で出来たものです。
拡大してみるとわかりますが、部分的に作ったものを組み合わせて一体を構成していることがうかがえます。
後に、幸御魂像の子供のモデルは、日名子実三氏の娘、幸子さんであった事が解ったようです。
以下は wikipedia「一霊四魂」より一部引用
- 荒魂(あらみたま)「勇」は荒魂の機能であり、前に進む力である。勇猛に前に進むだけではなく、耐え忍びコツコツとやっていく力でもある。その機能は、「勇」という1字で表される。行動力があり、外向性の強い人は荒魂といえる。
- 和魂(にぎみたま)2つ目の魂の機能は和魂であり、親しみ交わるという力である。その機能は、1字で表現すれば「親」である。平和や調和を望み親和力の強い人は和魂が強い。
- 幸魂(さちみたま)(さきみたまとも呼ばれる)3つ目の魂は幸魂であり、その機能は人を愛し育てる力である。これは、「愛」という1字で表される。思いやりや感情を大切にし、相互理解を計ろうとする人は幸魂が強い人である。
- 奇魂(くしみたま)4つ目は奇魂であり、この機能は観察力、分析力、理解力などから構成される知性である。真理を求めて探究する人は、奇魂が強いといえる。
厳室(いつむろ)
塔の正面下部には、塔内部、厳室(いつむろ)への入り口があります。
厳室へ入る
青銅製扉には、神武天皇が美々津より御船出した様子などが描かれております。
扉の上部には、榊をバックに、三種の神器(八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草那芸之大刀(くさなぎのたち)が描かれております。(
画像)また、
扉の周囲にある62の模様は、古事記・日本書紀に記された諸物を物語風に描いているとのこと。
厳室内部へ入ると、内部左右八面の壁には日本神話に基づく天孫降臨をはじめ波限の産屋(鵜戸産屋)、紀元元年(神武天皇即位)、国土奉還、明治維新、世界地図(太平洋半球)、同(大西洋半球)それに紀元2600年を表したレリーフが石膏のままかけられてあります。
これらは基柱と共にわが国に歩みを永く留める意味で製作されたもの。
日名子実三氏は、その石膏を銅版にする予定でおりましたが、当時、銅版にするだけの原料が無く、石膏のままで架けられることになったようです。
レリーフは石膏でできており、耐用年数も50年程度とか・・既に70年経過しておりますし、湿度の変化等で劣化しやすいため、作品保護などの観点より、厳室内部は公開されておりません。
近年、年に一回、県の計らいで秋(11月頃)に一日だけ、時間限定で見学会が企画されているようです。
以前、当方も厳室内を見学させて頂いたことがあります。日名子実三氏の8枚の石膏のレリーフは、誰の目にも触れる事なく、ひっそりと眠っておりました。
参考リンク(配置図等あり)→
宮崎県サイト内ページ(PDF)
−
平和の塔 −
基柱設計 模型 日名子実三
模型による仕様設計 南省吾
施工 大林組
着工 昭和14年05月20日
定礎 昭和15年04月03日
竣功 昭和15年11月15日
塔にある、青銅製の扉のレリーフ
青銅製の扉には、神武天皇の船団が日向よりお船出されてゆく様子がダイナミックに描かれております。
古事記では・・
「何れの処にいまさば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なお東に行かむと思ふとのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に」
日本書紀では・・
「冬十月丁巳の朔……日向より諸皇子・舟軍(ふないくさ)を率いて東征」
上記記載のように「記紀」では神武天皇が日向のどこから出航されたかは、明確に記されてはおりませんが、日向の伝承などでは、「美々津」という事が伝えられております。
−
青銅製の扉 −
※実際には扉中央部に鎖と鍵がかけられておりましたが、
Web掲載時、画像処理で削除しました。
塔内、厳室のレリーフ・波限の産屋(鵜戸産屋)
厳室(いつむろ)内部には、普段、誰の目にも触れる事なく、ひっそりと日名子実三氏の8枚の石膏のレリーフが掲げられております。
その石膏のレリーフの中より、今回掲載ご紹介する写真は、「波限の産屋(鵜戸産屋)」です。
ヒコホホデミノミコトとトヨヤマヒメの間に ウガヤフキアエズノミコトが誕生した場面と思われます。
鵜の羽で産屋を作ろうとしていたが葺きあがる前にお誕生になった記紀・神話に記された、ご存知、
鵜戸神宮が舞台のシーンです。
記憶が定かではありませんが、このレリーフは一辺2m程あったかと思います。
塔に反射・幾重にも重なる音
平和の塔の正面、広場中央に八角形の踏み石があり、この上に立ち、塔に向かい手を打つと、正面の塔に跳ね返った音が♪ビ〜〜〜ン♪と響きます。
日光の東照宮に「鳴き龍」と言う 壁にぶつかった音が独特の反射音を繰り返し、あたかも竜が天井を昇リ行くような効果を生む建物がありますが(フラッターエコー)これと同様のことだろうと思います。
開放された屋外であり、塔の部分で反響を繰り返しているからか、それ程リピートせず、また、反射音はある音域がかなり強調され、割れた竹を叩いたような独特の音をしております。
公園を訪れた際には、是非試してみてください。
− 正面の塔に跳ね返る音を試してみてださい。 −
初日の出見学スポットでもあります。
塔の場所を決めるにあたり、日向灘から見えることを前提にしただけに、逆に塔から日向灘も望めます。
見学場所は、扉のあるひな壇フロア前部に限られ、場所柄、スペースはそれほどありませんが、地元の方にとっては定番の初日スポットでもあります。
はにわ園 -Haniwa Garden-
平和台公園内にある
はにわ園 は遊歩道のある林の中に約 400基のハニワ複製品がところ狭しと 並んでおります。
「はにわ」は宮崎市内に住む「本部マサさん」という「はにわ」作り一筋に生きてきた西都市出身の方が、日本の各地で発掘されたはにわをそのままの形で再現、生涯の思い出にと県に寄贈したもで、それを県が公園を造り保存したものです。
古代人の生活風景、農民、武人、踊るはにわ、家形、舟方等々遊歩道にそってならべております。
はにわの愛らしい姿、いろいろな表情などを眺めていると、不思議と心和みます。「はにわ」には、人を癒す何かがあるような気がします。
但し、ひとけのまばらな静かな園内でこれだけ多くのハニワに囲まれていると なんだか不気味な感じもしないでもないデス(~~;)
宮崎県内で、良くこの「踊るハニワ」(写真は踊る女のハニワ)のレプリカなどを目にし、宮崎で出土したものと思われている方も多いと思いますが、実は「踊るハニワ」含め「武人ハニワ」「華麗な飾りをつけた馬のハニワ」など、県内で良く目にする多くのレプリカハニワは、関東や関西の古墳から出土したものをモデルに作られたものです。
写真の「踊る女のハニワ」は埼玉県熊谷市野原古墳から出土したものと思われます。ご当地の西都原で出土した、子持ち家形ハニワ(写真)、舟形ハニワ(いずれも国指定重要文化財)よりは、使いやすく、アピールしやすいので神話の国宮崎をアピールすべくいろんな場面で使われてきたのしょうね。
空港を出て220バイパスへ向かうところの道、西都原への国道沿いなどでも大きな「武人ハニワ」のレプリカを見かけますね(^^)
1964年 第18回オリンピック東京大会の聖火基点となる
東京オリンピックの開会式のおよそ2カ月前にあたる1964年8月21日、採火式がギリシャのオリンピアにあるヘラ神殿跡で行なわれ、空輸、日本へと運ばれました。国内聖火リレーの基点は、鹿児島・宮崎・千歳の3起点、宮崎の基点が、ここ平和台公園でした。
それを記念したプレートや、使った聖火台が公園内にあります。
聖火は9月9日午後7時到着・翌日9時に出発したようです。
写真は、第18回オリンピック東京大会の聖火基点を記念したプレートと、国内最初の夜を燃え続けた記念すべき聖火台です。聖火台は全高2m40cm、口径87cm、外側には神々が高千穂の峰に降臨されたという古事が描かれています。(はにわ館入り口に展示)
→
朝日新聞記事リンク
はにわ館
(写真なし)
はにわ館では展示内容を毎月入れ替えて季節に関することや、子供たちが楽しく自然や環境のことを学べるような写真や資料を準備しています。
開館時間:9:00〜16:00(月・火 定休日) 入館無料
「家型はにわ」型の手水舎・美々津の石で作られた大手洗い盤
平和台前広場入り口にある「家型はにわ」をモチーフにした、コンクリート造り(屋根は陶製タイル張り)の手水舎(ちょうずや)、美々津で発見された石で作られた大手洗い盤も、日名子実三設計によるもの。
起伏に富んだ広大な緑の公園
平和台公園というと・・平和の塔とはにわ公園が有名ですが、実はあの部分は平和台公園のわずかな部分、ここは起伏に富んだホタルも生息する自然豊かな広大な公園です。
ホタルはせせらぎ水路や沈床広場で観察できるようです。
季節では、特に秋をおススメします。沼杉(ラクウショウ)が紅葉するころ(11月)が特に良いです。園内ウォーキングにも最適な季節です。
展望デッキ・やぐら
(写真なし)
平和台公園内にはいくつもの展望デッキが設置されています。
公園内の森や運動広場そして宮崎市内を見渡せるのはもちろん、第一展望デッキでは天気が良ければ日向灘を見ることが出来ます。
自然散策
(写真なし)
平和台公園内には、平和の塔をはじめ、はにわ園、展望デッキ、やぐら等があり、散策路で繋がったこれらのスポットを自然の中でゆっくりと散策できます。
また散策路にはベンチや休憩所が設置されており、心ゆくまで自然散策満喫できます。
アスレチック広場と運動広場
(写真なし)
レンジャーロープ・クライムネット・ゆらゆら雲梯などのたくさんの木製アスレチックが揃っています。もちろん小さなお子さんが楽しめる遊具も揃っており、休日にはファミリーで賑わいます。
広場には芝生が敷かれ、トイレも完備されているので小さいお子様連れでも安心です。
人工草スキー場
(写真なし)
全長32m、幅10mの人工草スキー場です。ソリは設置されていないのでご利用の際にはソリをご持参ください。
レストハウス
(写真なし)
宮崎市内を一望でき、宮崎の素材にこだわった和食・洋食のメニューが楽しめます。
平和の塔の後ろに前方後円墳があります。
意外に知られておりませんが、平和の塔の後側より第二駐車場方面へ自然歩道を数分歩くと、前方後円墳(県指定・下北方第13号墳・全長113m)の上に出ます。
この古墳は自然の尾根を利用して築かれているので、古墳であることを記した石碑を見るまでは、古墳の上にいることに全く気付きませんでした。
一帯は
生目古墳群を造り上げた豪族の勢力が衰退する頃に、台頭してきた勢力の墓域と考えられ、5世紀から6世紀に造られたものと考えられているそうです。
これまでの発掘調査の結果、後円部最下段と二段目の基底部に円筒埴輪が巡ることが判明し、形象埴輪なども出土したようです。
平和の塔関連については、以下の本をお勧めします。
ある塔の物語・三又たかし著
「ある塔の物語」は、ふるさと日向の碧空を画して替え立つ、巨大な石のモニュメントを巡っての、多彩な人間ドラマや、貴重な時の証言などを織り込んだ、異色のドキュメンタリー。
建設当時の写真なども数多く掲載、塔だけではなく、日名子実三氏についても詳しく書かれている。
当サイト内「平和台公園・はにわ公園・平和の塔」関連ページの一部をリンク
県立平和台公園リーフレット|はにわ園の画像|県立平和台公園のラクウショウの紅葉の写真
その他の宮崎の写真も是非ご覧下さい
-Miyazaki sightseeing photograph collection-
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