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宮崎の太陽back[鵜戸神宮ページへ戻る] 

楼門 遠景 (鵜戸神宮)

鵜戸神宮 楼門(ろうもん) 門守社


宮崎の真っ青な空、紺碧の海に映える朱塗りの楼門
鵜戸神宮の見所の一つです。

楼門二階部分には、毎年、鵜戸神宮の神職の方が書かれた大きな絵馬が掲げられております。お見逃し無きよう。

門守社
一般にはあまり知られておりませんが、楼門の二階部分には、「御門神」である、櫛磐窓神(くしいはまどのかみ)、豊磐窓神(とよいはまどのかみ)を祀る「門守社」があり、参道入り口をお守りされているとの事です。

平成28年撮影 鵜戸神宮 「楼門」 干支「申年」 日々新た

楼門 正面  平成28年撮影 (鵜戸神宮)

平成28年(2016年)は 「」 文字は「日々新た」と書かれておりました。


平成27年撮影 鵜戸神宮 「楼門」 干支「未年」 正直清浄

楼門 正面  平成27年撮影 (鵜戸神宮)

平成27年(2015年)は 「」 文字は「正直清浄」と書かれておりました。

おそらく下記のことでは?と思います。

神は正直を以て先となし 正直は清浄を以て本となす / 度会家行
(神への心と人の道はまずもって正直であること。その正直は清浄を根本としている。)

度会家行(わたらい いえゆき)
康元元年(1256年) - 正平6年/観応2年(1351年))は、伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)の神官で、伊勢神道の大成者。
没年は正平17年/貞治元年(1362年)という説もある




平成26年撮影 鵜戸神宮 「楼門」 干支「午年」 常若の国


■平成26年 楼門の絵馬 干支 午 ■平成26年 楼門の絵馬 干支 午 常若の国

平成26年(2014年)は 「」 文字は「常若の国」と書かれておりました。
常若は、一般的には、「いつまでも若々しいこと、それが繰り返されること」と訳されているようです。

以下は私の単なる想像(妄想)の世界ですが・・
「常若の国」 は、ケルトの「浦島物語」、「常若の国のアシーン」からなのかも・・と考えたりもします。
「浦島物語」は、古事記の「海幸山幸」の場面(鵜戸神宮/青島等が縁の地)がモチーフとなっておりますし・・以下のリンク先を読むと、なんとなく、重なる部分があったりします。
 → ケルトの浦島物語「常若の国のアシーン」 和田寛子(PDF)

以上、私の勝手な解釈でした。


平成25年撮影 鵜戸神宮 「楼門」 干支「巳年」


楼門 正面  平成25年撮影 (鵜戸神宮)

宮崎の抜けるような青空に朱塗りの楼門(ろうもん)と石灯篭

干支の絵馬

平成25年(2013年)の絵馬は、干支の「巳」と共に、古事記の一節が書かれておりました。(平成25年1月撮影)

鵜戸山紙開発石燈龍一対

楼門の前、左右に、鵜戸山紙開発石燈龍一対(市指定建造物)があります。
飫肥藩が産業開発の一政策として楮(コウゾ)を栽培、大阪の油屋善兵衛の協力を得て和紙の製造事業に取り組みましたが、これを記念し、1832年(天保3年)開発者の名を刻んで当時「鵜戸六所権現」に奉献したものです。

「古事記編さん1300年ゆかりの地」の幕右側のキャラクターは日南市観光イメージキャラクター「にちなんぢゃ様」です。

楼門 二階部分 (鵜戸神宮)楼門 二階部分 (鵜戸神宮)
平成25年「巳年」 (こ)の漂(ただよ)へる国を修理(つくり)固め成せ  天つ神のご命令 「古事記」より

楼門の絵馬 平成24年 巳年  (鵜戸神宮)









平成24年撮影 鵜戸神宮 「楼門」 干支「辰年」 「を稽へて、今に照らす


楼門 楼門正面 平成23年撮影 (鵜戸神宮)

平成24年は「古事記編さん1300年」の記念すべき年。
鵜戸神宮 楼門にも「古事記編さん1300年ゆかりの地」の幕が掲げられておりました。(平成24年2月撮影)

ふと見上げると楼門の上に一羽の鳥が・・鵜?それとも鵜戸神宮の御神霊なのでしょうか・
鵜戸神宮では、イソヒヨドリは良く見かけるのですが、イソヒヨドリより一回り大きな鳥でした。

平成24年(2012年)の絵馬は、干支の「辰」と共に、古事記編さん1300年、古事記の序文より「(いにしへ)を稽(かむが)へて、今に照らす」と書かれておりました。ちなみに、古事記では、豊玉姫はワニの姿でしたが・・日本書記では竜でした。

楼門の絵馬 平成23年 辰年 (鵜戸神宮)

「鵜戸山」 鵜戸神宮宮司 本部雅裕著(鉱脈社)の中で、「古事記」について、以下のように書かれておりました。
この書(古事記)の編纂の目的は、第一として「古を稽(かむが)へて風猷を既に頽れたるに縄(ただ)し、今に照らして典教を絶えむとするに補はずといふことなし。 」と、その序に明確に記してあります。
つまり、神代から歴代の天皇の事績を顧みるとき(稽古)、道徳がすでに崩れてゐるのを正しくし、現今の状勢を見定めて(照今)、人間の正道が絶えようとするのを補ふとするものでした。
この「稽古照今(けいこせうこん)」の考へ方は、今の現に生きる我々日本人の生き方に大いなる指針を与へる言葉であると、私は思ひます。 もっと分かりやすく言ひ表しますと、「古きを温ねて新しきを知る」といふことでせう。
当サイト内 関連記事 → 古事記編さん1300年関連ページ 




楼門 正面遠景 (鵜戸神宮)楼門 斜め遠景 (鵜戸神宮)



下記の写真については拡大写真はありません。
楼門の絵馬 過去の十二支の一部





神門の左大臣・右大臣 


鵜戸神宮 楼門 (左大臣)鵜戸神宮 楼門 (右大臣)

みやざき
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