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石仏の里 浅ヶ部八十八ヶ所霊場めぐり(高千穂町)リーフレット


浅ヶ部八十八ヶ所霊場めぐり

第一番 竺和山霊山寺一乗院(じくわざん・りょうぜんじ・いちじょういん)

●本尊  釈迦如来
霊山寺は一番さんと親しまれています。弘法大師は人間の持つ八十八の煩悩をなくそう と四国に八十八の霊場を開く決心をし、四国の東北に位置する鳴門を起点にしたといい ます。本尊を釈迦如来とした由縁は、天竺(インド)の霊山を和(日本)に移すという 意味で、山号等を名づけ、釈迦誕生仏を本尊前に納めたといわれています。  浅ヶ部一番さんには大師堂が設けられ、横には天保6年3月21日に建立された八十八ヶ所 供養塔があります。

第三番 亀光山金泉寺釈迦院(きこうざん・こんせんじ・しやかいん)

●本尊  釈迦如来
 金泉寺は、勅願の道場として栄え、日本中から学僧が訪れ勉学に勤しみ、講演なども 催されたお寺です。  浅ヶ部では、八十八ケ所の第三番所在地内に自治公民館を設け、村落共同体の拠点と しています。

第八番 普明山 熊谷寺 真光院(ふみょうざん・くまたにじ・しんこういん)

●本尊 千手観世音菩薩
 熊谷寺には、四国八十八ケ所霊場最大の仁王門が建造されています。本尊の千手観世音 菩薩は、弘法大師が熊谷山で修行した時、熊野権現に一寸八分の金の観音像を授けられ、 大師は等身大の千手観音を彫りその胎内に納めたといわれます。千手観音は数限りない 人々の苦悩をすべて救いとる仏様です。  浅ヶ部地区には熊野三社大権現が氏神様として祀られ、毎年旧暦11月11日に、氏神まつり として夜神楽33番が奉納されています。

第十二番 摩鷹山焼山寺正寿院(まろざん・しょうさんじ・しょうじゆいん)

●本尊 虚空蔵菩薩
 四国焼山寺は標高800メートルの深い山中にあります。修験道の祖とされる役小角(えん のおづね)が、大宝年間(701〜704)に開いたと伝えられています。弘法大師が訪れた時、 大蛇が火を吐いて進路を妨害し、山を火の海にしたため、大師は印を結んで火を消し、 大蛇を岩穴に閉じ込め、虚空蔵菩薩像を刻したといわれます。虚空蔵菩薩は蓮華座に坐 り、宝冠を頭上に載せ、右手に知恵を象徴する剣、左手に福徳をあらわす蓮華と宝珠を 持ち、家庭円満の仏様といわれます。  浅ヶ部焼山寺も標高796メートル。天保6年(1835)3月21日の開場にちなみ、毎年旧暦 3月20日には夜を徹しての「おこもり」が行われます。真夜中のお経が始まると、心の祈り でしょうか、里の大師堂等に明かりが灯る、不思議な神秘的現象がみられるといわれます。

第十七番 瑠璃山井戸寺真福院(るりざん・いどじ・しんぷくいん)

●本尊 七仏薬師如来
 別名「井戸のお薬師さん」ともいわれます。弘法大師が錫杖で一夜のうちに井戸を掘 られたという伝説が、寺号の由来といわれます。井戸は今も本堂脇の建物の中にあり、井戸 を覗いて顔が映れば、3年寿命が延びるといわれ、面影の井戸と呼ばれています。薬師様の 光背には七つの化仏(小さな仏)が配され、左右には日光・月光の両菩薩と十二神将を 従えます。  浅ヶ部集落内には、古くから五つの井戸があり、今もその跡をとどめています。天岩戸に 通じる峠道、その入口に「先の川水神様」が祀られています。お参りの途中、面影を映して ご神水を飲まれるのも、土地の生活信仰にふれあういい機会です。

第二十三番 医王山薬王寺無量寿院(いおうざん・やくおうじ・むりょうじゆいん)

●本尊 厄除薬師如来
 阿波路最後の札所で、弘法大師の創建以来、嵯峨、淳和、後鳥羽天皇をはじめ歴代の 天皇が厄除祈願の勅使を下向させたといわれています。浅ヶ部霊場では集落境に位置し、 ここから72番、74番の分路まで23カ所の札所が続いています。23番札所の周辺には、明治 26年に建立された「大乗妙典経一字一石供養塔」や石燈篭(天保7年奉納)、天保9年 建立の猿田彦大神庚申塔があり、仁田野茶屋さん(大師堂)からは天孫降臨の神山「二上山」 を眺望できます。

第三十番 百々山善楽寺東明院(どどざん・ぜんらくじ・とうみょういん)

●本尊 阿弥陀如来
 もともとは土佐国の一宮、土佐神宮の別当寺院として栄え、長福寺とも呼ばれたといわれ ます。浅ヶ部梅木に同じく阿弥陀悌を本尊とする禅寺長福寺の跡があります。祀堂には 今も阿弥陀三尊が祀られ、寺内に残る六地蔵、五輪塔二十数基が里人により手厚く保存 されています。

第三十四番 本尾山種間寺朱雀院(もとおざん・たねまじ・しゆじやくいん)

●本尊 薬師如来
 弘法大師が唐から持ち帰った五穀の種を境内にまいたのが寺号の由来といわれます。 浅ヶ部では、毎年旧暦11月11日に氏神様磐下権現社のお祭りとして神楽33番が奉納され、 真夜中頃に「17番五穀」が舞われます。「天よりも五穀をたばねて我来たよ、五穀の主とは吾をこそいう」と歌われる五穀の舞は、豊作祈願として膳に入れた五穀を太地にま きます。高地農業で米の生産が少なかった頃、黍・稗・粟などの雑穀が主食で、特に収穫 されたトービを乾燥して、石臼で小さく砕く臼挽きは主婦の夜なべ仕事でした。

浅ヶ部八十八ヶ所霊場めぐり(北郷温泉)パンフレット




浅ヶ部八十八ヶ所霊場めぐり(高千穂町)リーフレット



こちらのページも併せてご覧ください。  高千穂 浅ヶ部八十八ヶ所霊場

浅ヶ部関連ページ  三田井 浅ヶ部神楽(高千穂の夜神楽)(全8ページ構成)


-PhotoMiyazaki -

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