六地蔵塔
木崎原合戦では、5月4日の1日だけで伊東軍560人余、島津軍260余人の戦死者が出ましたが、島津義弘はこの六地蔵塔を建立して、敵・味方双方の戦死者の霊を供養しました。
島津氏は、大きな戦いの跡地には殆ど六地蔵塔を建立して供養しています。
/ えびの市教育委員会
Battle of Kisakibaru Historic Site (kisakibaru
kosenjyou)
On May 4th, 1572, a fierce battle took place
here between the troops of Shimazu and Ito.
The Rokujizo-to (Jizo of the Six States of
Existence) was built by the war lord Shimazu
as a memorial to casualties on both sides.
There is also a monument to the poetry of
Yoshihiro Shimazu.
 
腰掛石
伊東新次郎との一騎打ちで島津義弘はこの石の腰を掛け一息したという。(下・左写真)
島津義弘公歌碑 いそぐなよまた急ぐなよ世の中の定まる風の吹かぬかぎりは
17代島津家当主・島津義弘公は、知勇兼ね備えた天下の名将でした。
16世紀後半の戦国の世で活躍。市内飯野城で26年間居城し、ここ木崎原の地をはじめ九州各地を転戦。
その後、豊臣秀吉の朝鮮出兵や天下分け目の関ヶ原合戦では、すぐれた戦略と行動力で名を全国に知らしめました。特に関ヶ原での家康本陣を少数で突いた敵中突破は、その歴史の語り草となっています。
また、文化等の面でも文芸、茶道、陶芸、医学等で功績を残しました。
この歌は関ヶ原合戦の折に詠まれたものです。 / 平成6年3月えびの市建立 (下・右写真)

木崎原古戦場供養祭
木崎原合戦で戦死した島津藩・伊東藩の武者を弔う供養祭が5月4日に木崎原古戦場跡で行われている。 |