日向国分寺跡と木喰五智館(もくじきごちかん) (西都市)で撮影した写真 |
日向国分寺跡(ひゅうがこくぶんじあと)、木喰五智館(もくじきごちかん)の場所 所在地:宮崎県西都市三宅3187 地図リンク→MAP N=32/05/55 E=131/23/59付近 史跡「日向国分寺の跡」一国一寺としての国分寺建立は、通説によりますと天平12年(741)年3月14日の詔(みことのり)によって始まったとされています。日向国分寺は今から1237年前の天平勝宝8年(756年)に建立、広さは約4ヘクタールに も及び金堂・講堂・塔などがそびえていたといわれています。後年、全国的に広がった荘園制度のもと、国分寺は衰退の方向をたどることになりますが、日向国分寺もその例外ではありませんでした。 天明8年(1788)この地を訪れた木喰行道によって復興はされたものの、明治初年、廃仏棄釈の波は日向国にも及びました。そのとき五智如来像は幸いにして一民家に移され、難をのがれたということです。 館の南側に一本の老銀杏が茂っていますが、木喰上人はこの樹に龕(がん)を造り、自作の小さな像を祭って「この樹生い育ち、樹皮が龕(がん)を包み込んだ時、我、再び世に現れれん・・・」と告げてこの地を旅立ったと伝えられています。 (現地案内板等を参照に記載) * 龕とは石や木材を彫ってつくられた、尊像を納めるいわば厨子のようなもののことです。 News 国の文化審議会は、2011年5月20日、日向国分寺跡を史跡に指定するよう文部相に答申した。 7月〜8月頃、正式に指定される見込み。 |
イチョウの時期の写真 4枚追加2013年撮影 |
宝生如来 (ほうじょうにょらい) |
薬師如来 (やくしにょらい) |
大日如来 (だいにちにょらい) |
阿弥陀如来 (あみだにょらい) |
釈迦如来 (しゃかにょらい) |
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日向国分寺と木喰五智館(もくじきごちかん) 宮崎県西都市2008・10 PhotoMiyazaki宮崎観光写真へ戻る リンクフリー(ページへのリンクはご自由にどうぞ) 画像の無断転載を禁じます。 -MORIMORI- Copyright © MORIMORI All Rights Reserved. |