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以下の内容は 平成20年に頂いたもの記したものです。



尾八重神社案内記

御祭神
大山祇神・・・大山に住み、大山を管理する山の神。(娘に木花開耶媛命もある。)
大国主命・・・大国を治める大王の意。「いなばの白兎」の神話及び七福神の一人で「大黒様」と呼ばれ、「えびす様」と共に「かまどの神」として有名。

鎮座地  宮崎県西都市大字尾八重上村八五九番地ロ号
境内坪数  六〇〇坪   ◎社殿 本殿(流造)六坪 ○拝殿(入母屋造)十坪

由緒沿革
当神社は永正八(1511)年11月23日、時の雄八重額主黒木吉英により鎮守神社として創建された。以来 雄八重村の主な神社として篤く尊敬され、飯主が黒木氏から米良(菊池)氏に移った後もその保存維持は領主が専ら担当してきた。(米良民の代に雄八重を尾八重に改めたという。)
  その後明治四(1871年)廃藩置県の際「銀鏡神社」は合祀されたが、村民の敬神の念は非常に篤いものがあり、祭典は村触役を決めて厳修されてきた。しかし「銀鏡神社」は遠隔の地でもあることから明治十三(1880)年に至り村民挙げて神社復旧のことを請願し、同年十二月四日「村社、尾八重神社」となり、氏子・人民協議の上保存維持することになった。
  この神社のには米良(菊池)家以前の領主黒木兵庫重常父子が祀られており、重常の夫人は同地区内にある「湯之片神社に祀られている。その後「尾八重神社例大祭」の折には、「湯之片神社宿神」が舞に入るようになった。一方、「湯之片神社例大祭」の折には同家(黒木家)の悲劇を折りこみ、序奏として対面の事が行われ、鎮魂性の濃い構成となっている。

神楽
◎ 毎年十一月第四土曜日 午後七暗から日曜日午前十時にかけて、尾八重神社例大祭に三十三番構成で奉納される。
◎ 神楽の始まりは保安二(1121年)尾八重湯之片を安住の地と定めた萱岐宇多守(鑓三権現といい湯之片神社の祖。都寓神社に出仕したこともある由)によるとされている。また、ある古老によると「チッコ伝」ともいうが不詳。ともあれ修験色が濃厚で、各所に山伏特有の鎮魂動作がみられる。
【地割、鬼神、磐石、綱の神楽等にみられる「ヘンべ(返閇)」動作もその一つである。】
◎ 米良系の神楽であるが、同じ東米良山の銀鏡神楽とは趣を異にしている。ただ、地主神(土地神)的性格の神々が出現することは変わらない。
◎尾八重神楽独特な舞い振りとして、通称「烏飛び」がある。これは白衣・白袴に素襖をつけ、毛頭《山伏六角型という兜巾の変化したもの》をかぶり、爪先を立て、順(右)、逆(左)、順(右)と、神屋をかけめぐる足の運び方であり、明らかに修験の影響を示すものである。
◎その他特徴的なものとして、●神傑物に里芋を使うこと、●八子の舞(ヤコン舞)、磐石、お酒にも里芋を使った舞が見られる、●百二十番等がある。


祭日
一月一目…………………・歳旦祭
二月十七日………………・祈年祭
三月二十一日……………・春分祭(祖霊祭)
六月三十日………………・大祓祭(水無月祓祭)
九月二十三日……………・秋分祭(祖霊祭)
毎年十一月第四土曜日午後七時~日曜日午前十時
例大祭、猪鹿馬祭り、初詣、厄払い、その他諸祈願
十二月三十一日…………・大祓祭


※備考 以上の事柄は、「尾八重神社明細帳」及び「同神社に関する言い伝え」を古老その他から聞き書きしたものである。