旧吉松家住宅(国指定重要文化財) 串間市
旧吉松家住宅は昭和60年(1985年)頃まで実際に住居として使われていたそうですが、空き家となり、平成15年(2003年)に串間市が購入、平成20年12月 国の重要文化財に指定された。
建造物としては第2538号の指定で、宮崎県内では9件目となっている。
大正期の富豪の建造物が欠くことなく現存することは必要条件として、指定基準のうち「意匠的に優秀なもの」との基準により指定を受けている。
旧吉松家住宅
大正8年の棟上(築102年)。
950坪の敷地に、母屋(197坪)・外蔵・内蔵・ 物置・風呂便所棟が配置され、これらを取り囲む石塀と三ケ所の門など、大正時代の富豪住宅の全てが良好に残っています。
母屋内部の各部屋には、良材を用いた床の間や欄間がすばらしい意匠(デザイン)を見せており、このことから平成20年12月2日、国の重要文化財に指定されました。
- 敷地面積 約950坪
- 主屋 木造(一部2階建て)延床面積約197坪
- 外蔵 木造(2階建て)延床面積約20坪
- 内蔵 木造(2階建て)延床面積約9.6坪
- 物置 木造(2階建て)延床面積約18.8坪
- 外風呂棟 木造(平屋建て)延床面積約6.7坪
- 表門 間口 5.5m
- 石塀 延長 66m
「主屋」「外蔵」「内蔵」「物置」「表門及び塀」の5件が『国土の歴史的景観に寄与しているもの』として国の文化財登録原簿に登録されています。
1.吉松氏について
吉松氏は、およそ500年前、福岡から高鍋・串間へ配置替えとなった秋月氏に従って串間に入った武士の家柄です。
吉松氏が最も栄えるのは明治から昭和初期にかけてのことで、江戸時代の終りに市木川土井の庄屋を務めた吉松卓蔵(たくぞう)から、忠敬(ちゆうけい)l忠俊(ただとし)の3代がこの時にあたり、旧吉松家住宅は忠敬・忠俊親子によって建築されました。
吉松卓蔵:天保9年(1838)生、大正9年(1920)没 戊辰の役、西南戦争などに従軍、初代福島村長
吉松忠敬:慶応元年(1865)生、昭和12年(1937)没 第3代北方村長、第7代福島村長、県会議員、衆議院議員
吉松忠俊:明治18年(1885)生、昭和16年(194り没 第6代福島町長、県会議員
※ 忠俊の後は、亭三郎、亭四郎、友比古が吉松家の当主となりました。【敬称略】
2.住宅の特徴について
- 主な材質:スギ、マツ、サクラ、ケヤキ、カヤ、クワ、クロガキシなどが使用されている。
- 部屋 数:20部屋(和室19・洋室1)畳数:135.5畳。
- 構 成:南に向けてコの字型に構成され、東棟が接客空間、西棟が居住空間になっている。
- 設計・建築:棟梁を東京から招き、高度な設計と技術によって建築されており、今でもゆがみがない。
- 屋根瓦(大)と軒瓦(小)を使い分け、地面から見たときのバランスをとってある。
- 洋間の天井や各部屋の床の間、欄間にすぐれた意匠(デザイン)がほどこされている。
旧吉松家住宅(串間市)開館時間・アクセス・地図等の情報
休館日:毎週火曜日、但し、火曜日が祝日の場合は水曜日・祝日の翌日・年末年始(12月29日〜1月3日)
その他、館内整理等のために臨時休館することがあります。
開館時間:9:00〜17:15
入館料:無料
住所:〒888-0001 宮崎県串間市大字西方5509-イ
地図:
GoogleMap Mapfan Mapion

(238 477 233*65)
緯度経度:31度27分36.82秒 131度13分53.8秒(日本測地系)
駐車場は串間市役所駐車場
JR日南線串間駅より約220m 3分
表門
表玄関
一枚板の板戸12枚全面を用いて竹林絵を描く。
住宅完成期の大正10・11年にかけて今井玉芳(鹿児島市在住)が手掛けたもの。
玄関は通常は使用されず、特別な来客の際にのみ使用されたようで、最後に玄関が使用されたのは、後に「宮崎観光の父」と呼ばれた 故・岩切章太郎氏が来訪された時だったようです。紫外線などの影響がなかったおかげでしょう 今でも当時の状態を保っています。
応接室
住宅唯一の洋間。表玄関を通された賓客用の応接室と思われ、折上格天井、上下開閉の窓など美しく、重厚感を醸し出している。
大広間
玄関より南側奥に構えられた大広間・離れは大人数の賓客、宿泊客に対応するための空間であるし、冠婚葬祭用でもあった。後には、例年7月に催される
愛宕祭りの産金(なおらい)の場としても使用された。室内の設えの素晴しさはもとより、周囲の廊下でも天井の桁材を見せる切目縁を構えるなどの意匠を凝らしている。
特異なものとして床の間の飾り材としてクロガキなども見られる。このクロガキは希少価値が高く3万本に1本とも言われています。
天井骨組みにイギリス式のキングポストトラスを取り入れた土間の台所。
旧吉松家住宅の仏間に
串間神社で夜神楽(神舞)が奉納されていた頃の貴重な神楽面10面(串間市有形文化財)が展示してありました。
1つの面に文明十一年の銘があり、仮面史上貴重な史料、串間神社では毎年12月14日の夜に神舞祭が行なわれていたようです。
文明11年は西暦1479年、543年前 戦国時代ですね。
神楽の好きな私、神面の写真を撮りたかったのですが、残念ながら「撮影禁止」でした。(PR:
宮崎の神楽ページ)
【仏間】仏壇・神棚ともに京都より仏師を招いて作製しており、神仏習合の表現とともに、工芸的な価値を含めて貴重な歴史資料といえる。
吉松家には膨大な蔵書が残されているが、仏教や仏教美術に関する書籍も多く、この方面に関心の深かったことをうかがわせる。
吉松忠敬氏 / 吉松忠俊氏
内蔵 蔵前 逆ぞりの梁
細部のこだわり
屋根瓦(大)と軒瓦(小)を使い分け、地面から見たときのバランスをとってある。
外蔵
外蔵(雛人形の展示)
旧吉松家住宅では 毎年ひなまつりの頃になると「雛飾りの展示」が行われております。
今年は3月末までだったようで、訪れたのは4月はじめ。企画展は終了しておりましたが、外蔵にはまだ展示してありました。
最後に、パンフレットより 串間市の取り組みについて引用します。
串間市の取り組み
串間市が旧吉松家住宅を購入し、保存に着手したのは平成15年6月であり、市の歴史的シンボルとして後世に残し伝えるとともに、文化活動の拠点、市民の憩いの場等として様々な活用を図ることを目的とした。
有志による清掃活動や図面の作成といった献身的な活動を端緒として、市としては、まず、住宅内に残された文書・書籍・民具・工芸品等の歴史資史料整理に着手した。翌平成16年2月17日付で主屋・外蔵・内蔵・物置・表門及び塀の5件が国の登録有形文化財となり、年度が明けて平成16年度においては文化庁の登録文化財設計監理に係る補助を受け、高質の近代和風建築として、また、大正期における地方実力者の居宅としての高い文化的価値にかんがみた改修設計を実施した。
平成17年度に急を要した雨漏り部の防止工事、平成18年度、平成19年度には改修設計に基づいた建物の改修及び屋外環境整備を施している。改修工事においては、吉松氏によって改造されていた現代的な台所や便所を撤去するなどして建築当時の状態に戻すことを基本としながら、今後の活用に向けての各種整備を行った。
平成19年4月9日 一般公開を開始し、以後は「旧吉松家住宅を支える会」の方々による日常的な管理道営がなされている。
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