若山牧水生家(宮崎県日向市東郷町) の写真牧水生家の場所、地図(マップ)等場所: 宮崎県日向市東郷町坪谷3番地地図(マップ): Map(マップファン) N=32.21.34.6 E=131.27.52.6 JR日向市駅東口→宮交バス神門・中山行きで40分、バス停:牧水記念館前下車、徒歩すぐ 見学無料 営業時間 9〜17時(但し入場は16:30まで) 休業日 月曜日(祝日を除く)、年末年始(12月29日〜1月3日) ※上記以外で臨時に休館することがあります。 県指定文化財 指定年月日 / 昭和41年9月9日 牧水生家は、歌人若山牧水が生まれた家です。 牧水(本名:若山繁)はこの家の東にある縁側で誕生し、多感な幼年期をこの山紫水明の地坪谷で過ごしている。 家族や地域の人々によって愛情たっぷりに育てられることで、その短歌作品に大きな影響を受けている。 1845年(弘化2)に祖父の健海[けんかい]が建てたものですが、老朽化の為、平成16〜17年に大規模な解体修理が行なわれましたので、良いのか悪いのか、外観的にはそれほど古さを感じません。 |
若山牧水(1885−1928)若山牧水(本名 繁)は明治18年8月24日、ここ日向市東郷町坪谷に生まれ、豊かな自然と愛情あるれる家族に囲まれて幼少期を過ごした。旧延岡中学に進学。文学に熱心な先生や友人の影響を受けて、短歌や小説を作り始め、次第に短歌文学に傾倒していく。 早稲田大学に進学した牧水は、多くの文学仲間との交流を深め、また恋人との青春恋歌を次々と発表し、注目の歌人となった。 明治45年、太田喜志子と結婚。四人の子供に恵まれる。歌壇の中心として活躍する中、全国を旅し旅情あふれる歌を詠んだ。大正9年には、静かな環境を求めて静岡県の沼津に移り晩年を過ごす。昭和3年9月17日、44歳という若さでなくなるが、9千首もの短歌と自然美あふれる紀行文や随筆を残し、国民的歌人として多くの人に親しまれている。 |
「をとめ子の かなしき心 持つ妻を 四人子の母と
おもふかなしさ 」 牧水 「うてばひびく いのちのしらべ しらべあひて 世にありがたき 二人なりしを」 喜志子 歌碑は、平成22年2月 牧水没後80周年と喜志子没後40周年記念事業として「日向市東郷町若山牧水顕彰会」と「若山牧水・喜志子夫婦歌碑建設委員会」が中心となって建設した。喜志子の歌碑は宮崎県ではじめて。 歌碑には、夫婦が互いへの想いを詠んだ歌が刻まれている。 また、歌碑の前面には旧牧水記念館に使われていた「鉄平石」を敷き詰め、牧水記念館を設計された牧水の長男旅人氏の業績と、牧水記念館の建設の尽力された多くの皆様の思いにも応えている。 |
若山牧水記念文学館若山牧水生誕130周年を記念して平成17年(2005年)4月1日に開館した。若山牧水の歌集や掛け軸の他、遺品・遺墨の展示により牧水の業績・生活の様子がわかりやすく解説されている。 また詩人中原中也と交流が深かった郷土の詩人高森文夫の関係資料も展示されている。 開館時間 9:00〜17:00(入場は16:30まで) 休館日 月曜日(祝日除く)・12/29〜1/3 入館料 高校生以上 300円、 小中学生 100円 |
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