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奈古神社(なごじんじゃ)

宮崎市の位置(アバウト)  Nago Shinto Shrine

奈古神社 鎮座地  宮崎市南方町御供田1192番地

マップファン GPS N=31.57.29.6 E=131.25.15.9 

奈古神社の御祭神

奈古神社 鳥居天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)
鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
神日本磐余彦尊(かむやまといはれひこのみこと)(神武天皇)  

由緒


創建 奈古神社の創建は古く、成務天皇の御代と伝えられる。
由来 奈古神社は古く権現と称され、その後神武天皇を宇佐八幡と崇めたことから奈古八幡宮の勅号を得、また、古来より吾田長屋という地名にちなんで長屋神社とも呼ばれ明治4年に奈古神社と改称されている。

明治初期には本殿のほかに、末社八社が並存していた。
昔から農作、厄払い祈願m家内安全、願い成の神様として尊崇されていた。

例祭日 10月15日  主な祭典 3月21日前後 春祭 

神社の背後は前方後円墳で、祭神の天津彦々火瓊々杵尊の御陵との伝説も残る。

宮崎神宮大祭の御神幸祭(神武さん)は、現在は、宮崎神宮から瀬頭と大淀の御旅所(隔年で交替)まで練り歩きますが、明治時代には、ここ奈古(なご)神社が宮崎神宮大祭のスタート地点となり、宮崎神宮まで練り歩いたそうです。


奈古神社の写真 (画像は1280pixに拡大します)


奈古神社 参道 1奈古神社 参道2

奈古神社 拝殿奈古神社 本殿


奈古山稜と伝説


神社後方の丘は、前方後円の形をした祭神、瓊瓊杵尊の御陵と伝えている。
神社左手の方に、社へと続く石段があります。

奈古山稜とへの石段奈古山稜にある社


諸説ある御陵 Wikipadia「ニニギノミコト」より 


ニニギノミコトの埋葬地である「筑紫の日向の可愛の山陵」の伝承地は南九州各地にある。
明治政府はその中から、旧薩摩藩の学者の意見を参考にして、明治7年に鹿児島県薩摩川内市の新田神社が可愛山陵であると治定した(他の日向三代の神陵も鹿児島県内に治定している)。

しかし、宮内庁の調査により、明治29年、宮崎県東臼杵郡北川町の可愛岳(えのだけ)山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」、宮崎県西都市西都原古墳群にある男狭穂塚=九州最大の古墳=を「可愛山陵参考地」と定めた。ただ、宮崎県宮崎市の前方後円墳にある奈古(なご)神社=江戸時代以前の呼称は長屋神社、宮崎県延岡市天下町(あもりまち)の天下神社(吉野神社)境内にある国指定南方古墳も御陵と伝えられている。可愛岳そのものが神陵であるという伝承もある。

 宮崎県宮崎市 奈古神社


-2013/02-



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