高千穂 浅ヶ部 八十八ヶ所霊場

▶ in 高千穂の史跡 posted 2011.04.22 Friday / 22:46

88 Sacred Sites of Asakabe

高千穂の浅ヶ部地区には、八十八ヶ所霊場があり、歩いて巡る事ができます。

霊場めぐり案内板より
 高千穂町浅ヶ部地区では、天保3年から5年にかけて大飢饉にあい、庄屋が藩に訴えて肥後米を買い付け、難を乗り越えました。その時近郷から得た浄財により、有志が四国八十八ヶ所の寺院の土をもらって帰り、天保6年3月21日に浅ヶ部地区に開眼・開場されました。 
八十八体の御本尊はすべて同一寸法で、高千穂地方に多くの庚申塔・仁王石像を刻している、延岡・舞野の石職人利吉が製作しています。
原石は田原村有志の寄進言われています。
毎月21日には霊場の参拝者が多く集うそうですが、旧暦1月21日の初大師、旧暦3月21日の弘法大師の忌日、旧暦7月21日には各お茶屋さんでお茶や赤飯などのお接待があってさらににぎわいます。
旧暦の3月21日には祖先の慰霊供養「施餓鬼(せがき)法要」、前日の20日は焼山寺での「おこもり」、21日にかけて八十八カ所を歩いて回る「おやまかけ」が行われます。
浅ヶ部 八十八ヶ所霊場 01
[23番の札所の周辺]


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高千穂太郎の墓

▶ in 高千穂の史跡 posted 2011.04.19 Tuesday / 21:35

場所:崎県西臼杵郡高千穂町大字向山椎屋谷
地図:マップファンリンク 
緯度経度:N=32.41.46 E=131.18.6
*地図も緯度経度も自信なし、おおよそと思ってください。
道順的には、高千穂峡ボート乗り場のところの前の道を山の方(向山方面)へ入った道沿いに入口の鳥居があります。
地図はその鳥居の位置です。 

高千穂太郎の墓 01

 高千穂郷は、古来神武天皇の兄、三毛入野命(ミケイリノミコト)の子孫と称する三田井氏が、治めていましたが、平安末期、天慶年間(938~946)に家系が絶え、豊後の国大野郡領主大神大太惟基(おおがだいたこれもと)の長子太郎政次を養子に迎え、代々高千穂太郎を通称したと伝えられています。
その後、高千穂氏は、室町時代に三田井氏とも称し、肥後の阿蘇氏とともに九州中部に小さいながらも独立国域の平和郷を構築しいました。
戦国時代末期、豊臣秀吉の九州平定後の国割りにより、高千穂郷は県(あがた)(延岡)城主高橋九郎元種の支配地となりますが、三田井氏はこれを不服として元種に反抗します。
天正19年(1591)、元種は三田井家の家老大人(おおひと)城主、甲斐宗摂(かいそうせつ)を一計を弄して見方に率いれ、三田井家領主親武(ちかたけ)の本城「中山城」を攻略し、文禄3年(1594)三田井一族は滅亡します。
高千穂太郎の墓は、初代政次の墓として毎年4月15日を例祭日と定め、里人により大切に祀られております。
尚、墓石には「卍捐館松翁永仙大禅定門神儀(えんかんしょうおうえいぜんだいぜんだいじ)」と刻しいぇあり、周囲には「仲山城址」をはじめ、三田井氏の菩提寺の跡が残されています。
また初代高千穂太郎政次の墓の後ろには、最後の仲山城主三田井越前守親武の墓もあります。

卍 はインドに伝わる言祥のしるしで「万」を表す梵字(ぼんじ)・捐館は館を意味で貴人の死を言う。
松翁永仙は法名で大禅定を修した人で大いなる禅門 立派な仏門に入れる人をいう。
神儀は法名の下に書く神位で、死者の霊魂をさす。 (高千穂町教育委員会)


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高千穂町歴史民俗資料館(高千穂町コミュニティセンター)

▶ in 高千穂の施設 posted 2011.04.19 Tuesday / 21:14

高千穂町歴史民俗資料館(高千穂町コミュニティセンター)

*高千穂町歴史民俗資料館は高千穂町コミュニティセンターにありますので、一応タイトルは両方併記しておきました。

場所:宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井1515
地図:マップファン緯度経度:N=32.42.42 E=131.18.19
高千穂武道館の前なので分かりやすいと思います。

 高千穂町歴史民俗資料館には、高千穂に残された古代遺跡古文書、神話、伝説の史跡や民俗文化財など約10,000点の文化遺産が収集、保管展示されています。

開館時間:9:000〜16:300(休館日12月28日〜1月4日)
料金:大人・高校生200円、小・中学生100円


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