学問の神様太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真 〜福岡観光〜

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真 04

学問の神様 太宰府天満宮の場所(地図)

福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
 Map(地図)リンク 緯度経度 N33/31/05 E=130/32/13
大駐車場は太宰府駅の少し西、この辺りにありました。
(駐車料金は2008年02月現在一回500円)

太宰府天満宮は菅原道真を御祭神として祀る

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は太宰府市にある神社で菅原道真を祀る天満宮の一つ。
学問の神様として崇められ毎年初詣は全国から200万人以上の参詣者がある。

「学問の神」「至誠の神」太宰府天満宮ご由緒


太宰府天満宮は、菅原道真公(すがわらみちざねこう(菅公)の御墓所の上に社殿を造営して、その神霊を御奉祀する神社で、「学問の神」「至誠の神」として世の崇敬を集めています。


 延喜3年(903)2月25日、菅公は謫居(たっきょ)の地、南館(榎寺)において清らかな御生涯を終えられました。
その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。
これは、菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を葬りました。
京より追従した、門弟味酒安行(うまさけのやすゆき)は延喜5年ここに祠廟(しびょう)を創建、次いで左大臣藤原仲平は勅を奉じて太宰府に下って造営を進め、延喜19年に御社殿を建立しました。
醍醐天皇は大いに菅公の生前の忠誠を追懐されて、延長元年(923)に本官を復されました。
そして、一条天皇正暦4年(993)には正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ、天満大自在天神(天神さま)と崇められました。その後、度重なる勅使の下向があり、22社に準ぜられました。
 明治4年、国幣小社に、同15年には官幣小社、同28年には官幣中社に社格を進められ、天神さまの聖廟(せいびょう)の地と称えられて年間700万余の参拝があり、日本全国より尊崇を集めています。 太宰府天満宮の御由緒より引用



太宰府天満宮の写真(クリックすると別ウインドウで拡大します)

太宰府天満宮参道にある「心字池」にかかる3つの赤い橋は過去、現在、未来を現している。

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太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真 03太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真 05
太宰府天満宮はさすが学問の神様 多くの絵馬がかかっておりました。紅梅をバックに二種類のピントで・・

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真 06太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真 07

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真 17




さすが学問の神様太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)・・・

太宰府天満宮はさすが学問の神様 絵馬の数も他の神社と桁違い・・かなりのものです。

太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真 08太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真 09

太宰府の夫婦クス(国指定天然記念物)

太宰府天満宮本殿の裏手に夫婦楠(クス)があります。楠は筑紫路を代表する樹木で、太古の昔より自生し、天神の森を形成している。
その中でも特に大楠といわれ、大正11年3月に他の一本とともに国指定天然記念物に定められたのがこの夫婦楠である。
夫婦が寄り添って立つ姿に見えるのでこの名が付いたそうだ。樹齢は1000年から1500年と推定される。(現地案内板より)


太宰府の夫婦クスの写真 10太宰府の夫婦クスの写真 11
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の梅の写真 12太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の梅の写真 13

延寿王院付近にて

延寿王院は安楽寺天満宮留守別当大鳥居の宿坊で、1754(宝暦4)年桃園天皇より院号を賜る。
1865(慶応元)年かた3年間朝廷を追われた三条実美ら尊皇攘夷派の五卿がこの延寿王院に滞在し、その間、西郷隆盛、高杉晋作、坂本竜馬ら大勢の勤王の志士達が去来して明治維新の策源地となった。(現地案内板より)
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)延寿王院付近の写真 14太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)延寿王院付近の写真 15
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)延寿王院付近の写真 16

飛び梅

太宰府に残る有名な飛梅伝説・・ こちらのページに→ 太宰府天満宮の飛び梅の写真を掲載。

以下は京より菅原道真公が太宰府へ下るとき、京の紅梅殿の梅に別れを惜しみ、詠んだものです。

 東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花
   あるじなしとて 春な忘れそ 菅原道真


「春になり東(京都)の風が吹いたら、においを送ってきなさい梅の花。 主人の私がいなくとも、春を忘れてはいけない。」 という意味です。

この数年後に、菅原道真公は太宰府で亡くなりますが、主の死を知った京の梅が、一晩のうちに太宰府へと空を飛んで来て花を咲かせたというのが、この「飛び梅」の伝説です。

「太宰府天満宮」拝殿へ向かって右側に鎮座するこの「飛梅」は現在では?紅梅ではなく白い梅です。
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)飛び梅の写真 02太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)飛び梅の写真 05
梅ヶ枝餅の写真 18

梅ヶ枝餅(うめがえもち)

太宰府名物、太宰府のお土産言えば、梅ヶ枝餅(うめがえもち・うめがやもち)が有名ですね。

梅ヶ枝餅は、材料に梅を使っているわけではなく・・
あずきあんを薄い生地でくるんだ餅でして、鉄板で焼き、梅の花の形をした焼き目が付いてます。
太宰府天満宮の門前の多くの土産物店で販売されてますので是非ご賞味あれ。

太宰府観光協会による参道・門前町1:お食事と梅ヶ枝餅MAPページ





 太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)の写真


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