みやざきの神楽 ~"むらまつり"に息づく200もの多様な神楽~

宮崎県記紀編さん記念事業推進室 神楽保存・継承実行委員会発行

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みやざきの神楽 ~ みやざきの神楽 ~

神楽の起源と分類

〔1〕巫女神楽(みこかぐら)・〔2〕採物神楽(えりものかぐら)
〔3〕湯立神楽(ゆだてかぐら)・〔4〕獅子神楽(ししかぐら) 
 

 

みやざきの神楽の起り

 みやざきの神楽の中で「高千穂の夜神楽」は全国に知られています高千穂は、「天降於日向之高千穂二上峯」(「釈日本紀」)(※1)とあり記紀神話の天孫降臨の場所とされています。また、明治以前は今の五ヶ瀬町・高千穂町・日之影町の西臼杵3町に東臼杵都諸塚村を合わせた広域の地名で、中世の高知尾圧にほぼ合致します。
 古い時代、高千穂は紀伊熊野神社の荘園でした。この荘園の各地に熊野神社が建てられ、熊野信仰が定着し、神楽も盛んに行われるようになりました。(※2)

熊野神社の支配下にあった当時の高千穂神社に伝わる文治5年(1189)の「十社大明神記」という文書に「七日七夜の御じんらく」という記載があります。「じんらく」とは、神楽のことと解され、平安時代の末には神楽が存在したとされています。
 また、諸塚村の日が暮神楽の資料には、天文15年(1546)の祭文や同16年の唱教、慶長14年(1609)の唱教など神楽に関する資料(※3)が多数残っており、室町時代末には盛んに行われていたことが分かります。

 県央の宮崎市やその周辺の神楽がいつ頃から始まったのかを明確に示す資料はありませんが、中世末に日向国を治めていた都於郡伊東氏が薩摩島津氏に破れ、島津氏が日向国を領有したとき宮崎城主となった上井覚兼という武将の日記(※4)に「天正11年(1583)6月1日に折生迫(宮 崎市)の漁民が神楽を奉納して豊漁を祈願した」とか、「同14年9月28日、加江田(宮崎市)の伊勢社と諏訪社で神楽が行われた」 といった記述があり、少なくとも中世末には神楽が存在したことが分かります。

 県南部では、日南市に文禄4年(1595)の墨書がある神楽面らしき神面が存在していることから、県央部と同時期には神楽が行われたことが分かります。
みやざきの神楽は、古くは高千穂に熊野系の神楽が伝わり、その後、県中央部や南部にも影響を与えています。

※1 柳 宏吉「山岳信仰からみた高千穂」『山岳宗教史研究叢書13』名著出版
※2「日向国高千穂圧神社仏閣神体仏像改控」佐藤文書
※3 渡辺伸夫「宮崎県諸塚村田が暮神楽資料」『演劇研究』第15号抜刷
※4 東京大学史料編纂所『大日本古記録上井覚兼日記』上・下岩波書店
 

 

みやざきの神楽の特徴

〔1〕地域住民による継承・〔2〕神楽の数の多さ・〔3〕唱教(しょうぎょう)、神歌・〔4〕修験道(しゅげんどう)の影響
 

 
 

みやざきの神楽分類

みやざきの神楽 ~

冬神楽・春神楽

みやざきの神楽 ~

 

高千穂神楽

 

 
 

日之影・五ヶ瀬の神楽

みやざきの神楽 ~

諸塚神楽

みやざきの神楽 ~

 

椎葉神楽

嶽之枝尾神楽 栂尾神楽 尾前神楽
 

 

米良の神楽

銀鏡神楽 尾八重神楽 村所神楽
 

 
 

高鍋神楽

みやざきの神楽 ~

美郷町の神楽

みやざきの神楽 ~

 

宮崎平野部の神楽

生目神楽 船引神楽 新田神楽
 

 

日南の神楽

潮嶽神楽 日南の神楽に残る薩摩神楽の痕跡
 

 

高原の神舞(かんめ)

祓川(はらいがわ)神楽、狭野神楽
 

 

福井県に伝わった日向神楽

みやざきの神楽 ~ みやざきの神楽 ~



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宮崎の神楽(MORIMORI編)

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