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田の神さあ (タノカンサァ) - えびの市末永 -

 
えびの市の位置場所: 宮崎県えびの市大字末永

田の神の石像は鹿児島県の薩摩、大隅、宮崎県の一部に限って分布するもので、田の神さあ(タノカンサア)と呼ばれる。鹿児島県および宮崎県では現在、約2000体の田の神像が確認されているそうです。
えびの市の田のかんさぁの一部
今回は「田の神さあの里づくり」運動に昭和61年から取り組んでいるえびの市の末永の田の神さあを紹介します。
えびの市内には約150体の田の神(田の神さあ)が残されていますが、この末永地区の田の神さあは、イラスト化されたりポスターや人形などにモチーフ化されたりしており、えびの市の田の神さあのシンボル的存在でもあります。
 → えびの市の田の神さあ(一部)はこちら






末永の田の神さあの詳細

建立年:明治元年4月9日(1868) 建立者:末永村 材質:石材
型分類:農民型 形態:座像 像高:50cm 像幅:36p 持ち物:右手にメシゲ左手に椀 被り物:シキ

田の神さあ (えびの市末永)の写真

[画像はクリックすると新しいウインドウで1024pix幅に拡大します。]


下記、文章はえびの市末永地区の現地案内文より転載しました。
(一部、諸県地域のお国言葉が含まれておりますので、県外の方は分かり辛い部分もあるかも知れません。)

末永「田の神さあ」の由来

田の神さあ (えびの市末永) 01当時、この末永地区は水田だけだったのですが、災害が多く、災害を鎮め豊作をもたらすよう話し合いが持たれました。
その結果、代表二人(谷口良助さん、永前清助さん)で川辺(鹿児島県)まで行って「田の神さあ」を作ってもらうことになり出かけました。
「田の神さあ」は馬の背に乗せたり、みなさんが担ぐ「モッコ」(竹で編んだ道具)で末永まで来ました。)
当時は「田の神さあ」の座る場所もなく、永前さん北側墓地の東北の角に居られました。
何もない時代でしたから、毎年5月4日頃になれば「田の神さあ」に「チマキ」を区民のみんさんが上げにこられれば、子供たちはそれをもらいに行くものでした。子供たちはそれが楽しみのひとつでした。
私も子供で「田の神さあ」のことはあまりよく分からなかったのですが、何時の間にか「前原実義」さん宅の裏に「田の神さあ」がおられた頃の事だと思います。前田・大明司の方々が借りて(おっとい(盗む)「田の神さあ」)いかれたとの事でした。3年経ったら帰って来るとの事でした。
私が3,4年生の頃、今日は「田の神さあ」が帰ってこられるという事で、旧末永公民館で前田・大明司の方々が豊作なったお礼にお土産をいっぱい持ってこられて「カンメ踊り」をされたのを覚えています。
注・・おっとい「田の神さあ」は、不作の地区の人達が豊作になるように黙って借りられて(出稼ぎに行く、3年したら帰ってくる)書書きを残して村を出て行き。 念願が叶うといっぱいお土産を持ってお返しにこられる風習。

4,5年経ってから満州事変、続いて大東亜戦争が勃発し「田の神さあ」の事は気にもしなかった頃、その年に私が分区長をしていたときのこと、本石大工さんが私にいきなり(「田の神さあ」を見いやったか)「田の神さあ」を粗末にしているから台風が来ったいが。貴方が分区長だから今年ほどよい年に「田の神さあ」をいい場所に移さないとと云われました。

早速各4分区長宅を廻り話をしたところ、下末永中末永区二分区でやることになり、それ以来長いこと盛大に祭りを行ってきました。
ところが、余りにも長い間「田の神さあ」が屋外に放置されてましたので、私が昭和57年に還暦厄払いを機に「田の神さあ」の入る家を建立し現在の姿が出来上がりました。
現在は、前区長の本石さんが末永区の祭りにしようと働きかけ、五穀豊穣を祈願して区民全員で毎年5月4日に「田の神さあ」のお化粧直し、区の女性部で「にぎりめし弁当・お煮しめ」を作り、「田の神さあ」広場で地区民・来客・高齢者・子供達と盛大に祭りを実施するようになりました。 (谷口正行氏聞き取り)

田の神さあの生い立ち 地域概説

田の神さあ (えびの市末永) 02えびの市は、四方を山に囲まれた盆地で、中央はほとんど水田です。
北側は九州山脈の屋根に沿って川内川が流れており、南側には水分(みくまり)の山といわれる霧島の連山がそびえています。
水量に恵まれたこの地は古くから米どころとして知られてきました。
「飯野」という地名も稲に関係があります。
数ある農作物の中でも稲は特に重要な作物であったから、えびの地方に際立って田の神石像(田の神さあ)が多いのもうなずける。
飯野でも特にこの末永の地域は「田の神さあ」のおかげで、水、土壌的にも恵まれ現在では日本一おいしい「ヒノヒカリ」を生み出している。
この地は、旧島津藩の領域であった。
言うまでもなく島津はこの地に美貌の目を向けていたのである。
それだけに、過去には多くの戦乱にも巻き込まれてきた。
(近くに九州の関が原とも言われる木崎原古戦場跡があります)
えびの市は霧島山の信仰に育まれながら、一方川内川の原流に位置し、薩摩、球磨、日向三国に界を接する交通の要衝でもあった。

田の神信仰

田の神は、田んぼに石像や自然石を立てて祀っている。
田の神さあ」又は「田ノカン」と呼んでいる。
春の彼岸に山の神は里に降りて「田の神」となり、秋の彼岸に収穫が終わると再び山に登って「山の神」となる。
この山の神は、田の神となりたまう神できこりや猟師のための神ではない。
 自然石や石像を田の神として田んぼに立てているのは、ひとつの石神信仰である。それらの石が、ほとんど男器(後ろから観察すると)をかたどっているのは、古代からの仰の表れ・子宝子孫繁栄の表れと見られる。又、これらは自然災害や飢餓反省時のほか、神田開発。門割時に、みずからの幸福のため、その土地の生産力の向上・五穀豊穣を願ってつくられてきた。


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「田の神さあ」の形

田の神さあ (えびの市末永) 05
「田の神さあ」にはさまざまな形が見られ、仏像型・僧型・旅僧型・神像型・田の神舞型に分類することができる。
これらは仏像型系統と神像型系統のふたつに分けられ、仏像型系統は薩摩半島の北側地域から、神像型系統は諸県地方から発生した。
初め「田の神さあ」は、仏像や神像として出発し、それが「田の神舞」などの姿を刻んで庶民化されていった。
つまり仏像系統は初め仏像として出発し、仏像型→僧型→旅僧型、神像型は、神像から出発して神像型→神職型→田の神舞型へと返遷していったものと考えられる。
 南九州で年号の判明しているもののうち、一番古いのは鹿児島県鶴田町紫尾の田の神で、宝永2年(1705)に造立された中島の田の神(神官型)が一番古いと言われている。

(宮崎県で一番古いものは小林市東方新田場に祭られているもので、享保5年(1720)2月との事。)

さて、この「田の神さあ」でありますが、明治元年(1868)造立と記され、「シャモジ」と茶碗を持っております。
杓子とは飯や汁をすくう飯匙(めしがい)、シャモジのことである。
飯杓子をメシゲ、汁杓子をサクシという。
(えびの地方では飯の方をモドシ、汁の方をナオシと呼んでいるところもある。)
メシゲというのは飯匙(めしがい)の点かだという。

主婦を山の神というのは、メシゲが山の神の舞の採物として用いられることとかかわりがある。

田の神の表情

特にこの末永の「田の神さあ」の表情は、笑っているようで泣いているような憂いさえ感じる複雑な表情である。
「鹿児島県の歴史」の中に「薩摩藩の百姓の生活は苦しく、年貢は9割前後、公役=クヤク」=(講=みぞ=ぶしん等の公の夫役)は月に十日前後あったから、農業は女子供の手にゆだねられ、その収穫はやっと一ヶ月の飯料しかのこらなかただけというひどい収穫ぶりであった」と述べてある。

田の神さあ (えびの市末永) 04「旧薩摩藩門割制度」の中に「藩主の農民に対する誅求(ちゅうきゅう)は斯くの如く、限りある精力と体力をしか有せざる農民等が疲労困憊の極に傾くは自然の勢のみ。(中略)さらば農民を慰籍する必要を認め、毎年正月4日をもって「仕度い放題な日」と定め、その日に限り飲食、放歌、乱舞を問わずいかなることも咎めず、もって平常沈滞せる百姓の欝気(うつぎ)を晴しめたり」とある。

藩当局においても苦しい農民の生活は十分承知したと思われる。
なんと言っても米は藩の財政を支える主要な農産物であったから、田の神石像を造ることによって、タノカンコ(田の神講)をますます盛んにし「仕度い放題な日」を設けて農民の生産意欲をかきたてたのである。
このような過酷な暮らしの中で、したたかに生きてきた農民たちが日頃の思いをこめて造ったタノカンは、農民の分身であり、苦渋にみちたその顔は農民自身表情であった。
デフッジョ(大黒さま)は人にかくれてん働け、タノカンはヨクエ(憩え)と言ったげな」という話は古老たちからよく聞いたものである。
働くことをいやが上にも強制され、しかも働くことを何よりも美徳とされた農民社会にあって、「ひとにかうれてん、よくえ」教えてくれた神が、タノカン以外にあったのだろうか。 (えびの市史より)

・・・末永の「田の神さあ」の色づかいは・・・

「仕度い放題な日」これが、わが末永の「田の神さあ」祭りの原点のような気がする。
化粧なんて貧しくて自分自身ができない分、「田の神さあ」にきれいなお化粧をすることによって、自分と重ね合わせて見ていたのではないか。
それにしても、先人の色使いはあでかだと関心するものである。

(以上現地案内板より) 一部補記






田の神さあ関連外部おすすめリンク


えびの市 田の神さあ キャラクター えびの市「田のかんさあ」

“米どころであるえびの市では、実り豊かな地域の文化財である「田の神さあ」をシンボルとする、「田の神さあの里づくり」運動に昭和61年から取り組んでいます。この運動は、宮崎県が提唱する「新ひむかづくり運動」の一環として取り組みが始まったものです。”
宮崎県季刊誌 Jaja じゃじゃ Vol.13号(田の神さあ特集) 
田の神の歴史、宮崎最古の田の神さあ、霧島信仰と田の神さあ、おっとい田の神、末永地区の田の神祭り、宮崎の田の神図鑑、田の神さあを語る、心をつなぐ神様 などの内容です。

「田の神さあ、お色直し」宮崎・えびの(読売新聞記事)
“田植えシーズンを前に、五穀豊穣を願う伝統芸能「田の神祭り」が4日、宮崎県えびの市末永地区で行われた。地元住民が、手にしゃもじを持ったユニークな風貌の神様「田の神(たのかん)さあ」に年に1度の“お色直し”をし、豊作を祈願した。”

あとがき・・田んぼの写真も・・

「田の神さあ」だけではなく前に広がる田んぼの写真も紹介したかったのですが・・
撮影日はあいにくの天気で全くさえない写真となってしまいました。いずれ機会があれば撮り直し、掲載します。
田の神さあ は前々から興味を持っておりました、写真も順次増やして行きたいと思っております。
5月4日にここ末永地区で行われる「田の神さあ祭り」も見てみたいです。
祠の背景は竹林ですが、時折雨混じる雲の日の撮影でしたので背景は真っ暗になってしまいました。
九州の関ヶ原,桶狭間とも言われている木崎原古戦場跡地もわりと近くにありますので周られると良いかと思います。。

(参考資料) 宮崎県下の田の神さあの数

市町村 地蔵型 神官型 農民型 自然石 僧侶型 その他
えびの市 3 18 82 35 1 1 140
小林市 2 25 13 3 4 2 49
野尻町 2 23 9 3 - - 37
高原町 - 9 3 1 1 - 14
都城市 9 58 52 2 - 9 130
三股町 - 6 1 1 - - 8
綾町 - 9 1 - - 1 11
国富町 - 8 1 - - 5 14
宮崎市 - 36 24 - - 8 68
16 192 186 45 6 26 471

この表は、「宮崎の田の神像」(平成9年発行)のデータを基に、都城市、えびの市、小林市がまとめた調査結果を加えて作成したものです。ほかにも未確認の田の神像があると思われますので、参考としてご覧ください。  (上記リンク 宮崎県季刊誌JajaVol.13・2007年発行より)



田の神さあ(タノカンサァ)- えびの市末永 -の写真

宮崎県 えびの市 2009年7月撮影





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